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馬蹄銀とは中国において古くは元代から鋳造された銀の秤量貨幣である。
その形が馬蹄に似ていたので馬蹄銀といわれる。
元代から中華民国初期まで民間の銀炉・銀房が鋳造した私造秤量貨幣である。
馬蹄形以外にもじつにさまざまな形の銀錠がある。
銀炉・銀房というのは民間の鋳造業者であり、注文を受けて馬蹄銀を鋳造したりまた、一部、両替商的なことも行っていた。結構信用もあったようだ。

中国という国は昔から銀本位制であり銀嗜好の強い国であった。
金も勿論価値あるのだが貨幣としては、選考されなかったようだ。
王侯の飾り物とか、そっちの利用に重点が置かれていた。
貨幣としてはやはり、銀なのである。

中国での正しい名称は銀錠または元宝であろう。
元代のものはほとんど現存していない。溶かされたりしてしまった公算が大きいのである。
この銀錠は明代に隆盛を極めて、特に大口取引用に利用された。
一般庶民が使うのは銭(銅銭)である。いわゆる1文銭である。
そういう意味では馬蹄銀というのは庶民には縁のない高額貨幣である。

今古奇観 (明代説話集)にこんな話がある。
●油売りが花魁をものにすること(第七話)
 中国古典小説の短編小説の中で最も有名なものの一つ。貧しいが真面目な油売りの秦重と売れっ子の妓女の王美(花魁という渾名)とが結ばれるという話。最後には油売りの商売も繁盛し、生き別れになっていた親に巡り会い、二人の子供が産まれていずれも学問で名を成すなどいいこと尽くめ。
秦重は王美に一目惚れしたが王美のところに一晩泊まるには10両の銀子がいる。ところが秦重には元手が3両しかない。そこで毎日2分や3分といった銀をためて一年あまりで16両にする。その過程に物語的な飛躍が何もなく現実的なところが面白い。

この話の10両の銀子というのが銀錠(馬蹄銀)のことである。

1両(約30〜50グラム)の小さい物から50両(1500〜2500グラム)という巨大な物まである。
これらの明代のものでも、銀価格の高騰で溶解されて現存しない物が実に多い。

清代に入ると紙幣(大清通行宝鈔)が高額取引や遠隔地への送金の、その流通の本流となり、銀錠は運ぶに重いので退蔵されたりしてあまり流通しなくなったようだ。
ただし高額取引には、やはり実物貨幣の価値感の強みで、民国初期までに盛んに馬蹄銀は使われました。
一般庶民は文銭(銅銭)です、銭100文とか、銭一貫文とかですね。
清代末期〜民国初期までにはその役目を終えて、鋳造も流通もしなくなったものと思われる。

満州国の新聞、満州日報 1935.5.5(昭和10)に、満州国政府によって幣制統一のため流通が禁止されて今は使われなくなって死蔵されていた馬蹄銀がおりからの銀価格高騰のあおりで大量に売りに出たという記事が見えますね。

そしてその後は溶解されて銀塊にされてしまったものが多いという。
民間の私鋳銀塊(インゴット)であるところの馬蹄銀よりは、清朝政府公式銀貨幣である、大清銀幣とか、メキシコ1ペソ銀貨や日本の円銀や貿易銀を商売で使うほうが便利になったので馬蹄銀は廃れたのであるようだ。というのは日本を始め各国の貿易銀貨は重量が一定(1トロイオンス)で銀純度も925と良質であるし、第一扱いやすい。というわけで馬蹄銀の衰退を招いたといわれてるのである。
余談であるが、今でも台湾の華僑の旧家などに行くと日本の1円銀貨が大量に退蔵されているそうである。

さて馬蹄銀は中国では大金、高額の代名詞であり、庶民にはての届かぬ貨幣であったので
幸福とか財運のシンボルとされて、その形をまねて、餃子の形が作られたといわれている。
したがって餃子は招財進宝の食材として人気があるのである。

紫禁城には大量の馬蹄銀が退蔵されていて日本軍がそれを持ち帰って溶解したという話も伝わっている。

*明治33年、義和団事件の分捕品・馬蹄銀120万両が日銀金庫に納入されたが、幸徳秋水が「万朝報」で陸軍に、馬蹄銀の着服があったと痛烈に批判した。陸軍のドン山県有朋の恨みを買い、大逆事件の遠因となったという俗説もあるほどである。

さて今、馬蹄銀の本物はきわめて少なく、現存する物もあまりないようだ。
馬蹄銀は、その素朴な味わいと風格でコレクター人気も高いので、
玩賞用の、後鋳品(1930年代以降の鋳造品)や偽物(1950年代以降に作られたもの)が多い。
まあ、馬蹄銀は、そもそも、民間の私鋳品であるから、本来ニセもホンモノもないのではあるが、
流通しなくなった頃、(具体的には1930年代後半以降に作られたもの)は、たとえ銀製でも、本物ではないというしかあるまい。
まして最近のみやげ物的な開運グッズの、鉛製や錫製、ホワイトメタル製、亜鉛合金製のニセ馬蹄銀は、話にもなるまい。

見分け方は、まずその色目と質感を見ることだ。
そしてその羽のそり具合を見る。
灰吹き法による、鋳だまりの細波を見る。
本物は銀錠であるから、銀の含有率は、不定だが、最低でも80パーセントはある。
だから、銀のかたさと銀の色が出ていないものは鉛製の偽物であろう確率が高いといわざるをえまい。
難しいのが後鋳品である。これは善意の銀製であることもあり、にせものと切り捨ても出来にくいしなものであはる。爪で傷つくようなのはやわらかい鉛製、あるいは鉛合金のホワイトメタルだろう。
私も割と良心的な?フェイク1890グラムの50両の馬帝銀を持っているが、やはり角が鈍角で銀製のようなキレがない、
やわらかいたぶん亜鉛合金製+銀も少々?だろうか?
馬蹄銀は人気も高く価値もあるが、 殆どの馬蹄銀は玩賞用の、1930年以降に鋳造された後鋳品か、 1950年以降に作られた偽物ものである。 恐らくこれはその後鋳品か偽物言われるものであるが、
とはいえ、、そもそも、 馬蹄銀は民間で私的に鋳造されていたことから、 後世、鋳造されようが、銀を一定量含有していればあながち、偽物とも言えない。

ああそうだ一つ本物を持っている。
これは1両で、重さは39グラムである。
どうですか?
本物の味わいがあるでしょう。

刻印の文字や印影はあまりあてにならない。

というのは、そもそも、この馬蹄銀というのは、民間の銀炉(精錬所)が私造したものであるから、
特にどう造るという決まりもないわけである。

清朝公鋳の貨幣は文銭と一部の紙幣、そして清朝末期の、大清銀幣(円形銀貨)などだけであり、
馬蹄銀は清朝政府の公鋳品ではありえないのである。
中華民国政府も馬蹄銀は発行していない。中華民国政府では軍閥や、各省が独自の銀貨幣を発行している。
また中国内の各銀行が独自に銀行券を発行して、それらがいり乱れて流通するという混乱状態だったのである。この幣制の乱れは1949年の中華人民政府樹立まで続くのである。

さて馬蹄銀には様々な刻印が打たれている。
その代表的なのが、民国12年鋳造 山西省○○銀炉鋳造などと刻印のあるものである、

というわけで、先の鑑定法で見るわけであるが、その上を行く偽物もあるので鑑定は至難である。

さる中国馬蹄銀研究家によれば、インターネットオークションに出品されている馬蹄銀は99パーセント偽物という話である。

台湾や欧米のコインコレクターにも人気あるので、偽物はあとを絶たない。

本物の値段は今の不景気でも、例えば50両の馬蹄銀で清朝末〜民国初期のものでも、100万円以上はするだろう。
明代のものなら、重文級となる。明代のものはほとんど現存していない。溶解されてしまって地金として売られてしまったのである。現物のまままで残っているのは非常に珍しい。

詳しくは以下のサイトをご覧ください。
このサイトの馬蹄銀の写真は全て本物といって間違いないでしょうから。


http://sycee-on-line.com/index.html


付記

世界最大の銀貨、、馬蹄銀50両  重さは約2キロ
しかし?最近オーストラリアで1キロ?の銀貨が発行されたとか。



金貨では、10キロとか、100キロの金貨も最近作られたそうですよね。
直径51cm、厚さ3cm、額面100万ドル(カナダドル)の
金貨。ついでに重さは100kgだそうです。
古い金貨では、インドのムガール朝のモーハ金貨が2キロで最大ですね。
大きさ、、と言うか幅では、、天正大判が最大でした。重さは170グラムですけどね。


銅貨で最大はその昔スエーデンの銅鉱山で作られた銅貨で
10Daler銅貨は、30cm×70cmの大きさで、重さは20Kgもあるものでした。

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