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東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸にあって
岩手県普代村は死者ゼロ、行方不明者1人にとどまった。
 
被害を食い止めたのは、かつて猛反対を受けながらも村長が造った高さ15・5メートルの防潮堤と水門。
そして震災当日の消防士の献身的な行動だった。
普代村は明治29年と昭和8年の大津波で計439人の犠牲者を出した。
 昭和40〜50年代に普代村の村長を務めた故・和村幸得さんは防災対策に力を入れ
同43年、漁港と集落の間に防潮堤を、同59年には村を流れる普代川の河口から600メートルの場所に
水門を完成させた。
 
イメージ 1
 
 2つの工事の総工費は約36億円。
人口約3千人の村には巨額の出費で、15メートルを超える高さの必要性が疑問視されたが
和村さんは「明治29年の大津波は高さ15メートルあった」という言い伝えに基づき
譲らなかったという。
 しかし防潮堤と水門だけでは村人を救うことはできなかった。
3月11日、地震と同時に水門脇のゲートの自動開閉装置が緊急停止したのだ。
ゲートが開いたままだと、川を逆流してきた津波が村の中心部をのみ込んでしまう・・・。
久慈消防署普代分署の副分署長を務める立臼勝さん(50)ら消防士3人は
地震発生直後、大津波警報の出る中、ゲートに向かった。
故障したゲートを閉めるには水門の機械室で手動スイッチを使うしかないからだ。
津波の危機感はあったが、「まさか、あれほど大きな津波がくるとは思っていなかった」。
 3人は機械室に到着するとすぐにゲートを閉めた。
立臼さんは、引き揚げようと消防車に乗り込んだとき、背後から「バキ、バキッ」と
異様な音がするのに気付いたという。
普代川を逆流してきた津波が防潮林をなぎ倒し、水門に押し寄せてくる音だった。
消防車のアクセルを踏み込み、かろうじて難を逃れた。
 
 
 漁港は大きな被害を受けたものの、防潮堤に守られた村中心部は無傷。
 
 
津波は普代川をさかのぼり水門を越えたが、住宅地や小中学校までは及ばず
河原の木々が倒れた程度だった。
 立臼さんは「水門で9割方の水は止まり、流れ込んだ波も強い雨が降った程度ですんだ。
「もし水門が10メートルしかなかったら被害の多かったほかの地区と同じように壊滅していたかもしれません」
と振り返る。
産経ニュースより抜粋
 
 
苦しみ悲しみを伝えるのも報道だが
こういった報道も、もっと伝えるべき。
 
このダムが完成したのが40年前。
福島原発が完成したのも40年前。
 
津波対策で15m防波堤の建設をしたまちと
津波対策で4m防波堤の建設しかしなかったまち。
 
大自然相手に想定など無い。

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