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今日の朝は日独中小企業セミナーに出席。 歓迎式典(儀仗兵栄誉礼)後、日独首脳会談をワーキングランチ形式で、昼食をとりながら同時通訳で行いました。 この後ガウク大統領を表敬訪問しロンドンに向かいます。 ■ツイートする ■シェアする +--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+(2014.04.30[Wed] 21:23) +--【安倍晋三です】--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+ みなさんおはようございます。 安倍晋三です。 ロンドンは現在、夜の11:00。 明日のキャメロン首相との首脳会談に備えて打ち合わせ中です。 ■ツイートする ■シェアする +--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+(2014.05.01[Thu] 07:53) ▼安倍晋三事務所携帯版HP http://www.s-abe.jp/ *メルマガの配信元です。 ■安倍さんは29日から8日まで、ドイツ、イギリス、ポルトガル、スペイン、フランス、ベルギーのヨーロッパ6ヵ国を歴訪しています。 30日の『朝日新聞』朝刊によると現地時間29〜30日はドイツ、30〜2日はイギリス、2〜4日はポルトガル、また4日にはスペイン、4〜6日にフランス、6〜7日にベルギーをそれぞれ訪れて各国やEUの首脳と会談するほか、イギリスではロンドンはシティーで、ベルギーではブリュッセルのNATO本部で講演するとのこと。 安倍さんは第1次内閣期07年1月にもイギリス、ドイツ、ベルギー、フランスを訪問、その様子はメルマガの配信元『安倍晋三事務所携帯版HP』で閲覧できますが、日本とは遠く離れ、またともに先進国として成熟・安定した関係にあって近隣国に比べて問題が少ないヨーロッパ諸国も、安倍さんの「地球儀外交」においては等閑視されないということでしょう。 また、3月22日から4月1日にかけては中国の習近平国家主席がハーグの核セキュリティサミット出席に合わせてオランダ、フランス、ドイツ、ベルギー各国を訪問したのであり、今回の安倍さんの外遊はそれを意識したものでもあるでしょうか。 安倍さんは1月9〜15日にかけてアフリカのコートジボワール、モザンビーク、エチオピア、中東のオマーンを外遊、資源外交を展開し、またエチオピアの首都アジスアベバのAU本部で「積極的平和主義」に関するスピーチをして日本の存在感高揚に努めましたが、実はその少し前、同月6日から11日には中国の王毅外相もエチオピア、ジブチ、ガーナ、セネガルを相次いで訪問しています。 そのことからも今回のヨーロッパ歴訪の真意の一端が窺えるでしょうか。 『携帯版HP』のトップには恐らく地元の山口4区の遠景をバックに安倍さんが地球を脇に抱える画像が掲げられていますが、それは地元から選ばれてしかしそこにとどまらず世界を視野に国政に当たるという、外交を重視する国会議員としての姿勢を寓意したものでしょうか。 ところで、最初の訪問地ドイツを中心にし、ベルギーも含んだ地域にかつて存在した神聖ローマ帝国で16世紀前半に皇帝だったハプスブルク家出身のカール5世の肖像画にも地球を傍に置いた一枚がありますが、カールは母方のトラスタマラ家がカスティーリャ、アラゴン両王国の王家だったことからスペインなどの王位を兼ねています。 イタリア南部から大西洋を挟んでアメリカ大陸、太平洋を越えてフィリピンまで、ヨーロッパ内外にまさに地球規模で広大な領土を有したカールの後継者フェリペ2世はスペイン王位を得たほか、母方のアヴィス家がポルトガル王家であったことからポルトガル王位を兼ね、以後スペインとポルトガルは3代60年間に渡り同君連合を形成、また2人目の后に今のイギリスの前身の一つイングランド王国の女王メアリ1世を迎えたことで、後にメアリの異母妹エリザベス1世の治世には対立の深まる両国は、しかし両者の結婚(1554年)からメアリの崩御(1558年)までの4年間はむしろカトリックの信仰を紐帯に連携。 ヨーロッパ諸国はそのように長い歴史の中で相互に関係を織りなしていますが、それぞれの日本との関係についても、注目すべき点は挙げられるでしょう。 例えば、ちょうどスペインでフェリペ2世の治世最末期に当たる頃、日本では豊臣秀吉が文禄・慶長の役で朝鮮半島に出兵、朝鮮やその宗主国の明と交戦していますが、秀吉は朝鮮、明の他に、ともにフェリペの領土だったスペイン領フィリピンやポルトガル領インドまでの進出構想を披瀝していて、武威を誇示するかのようにフェリペに日本の甲冑を寄贈。 イギリスについてなら、3月29日の記事で述べたように戦前の日本の外交機軸だった日英同盟の消長とそれに連動する外交敗北や、翻って現代、議員内閣制の国家同士としてのNSC運営での協力関係を挙げねばならないでしょう。 ベルギーは『帝国主義の開幕』(中山治一、河出書房新社)によると、19世紀後半から20世紀初頭の国王レオポルド2世がアフリカ探検に関心を持って1876年に国際アフリカ協会を設立、探検家ヘンリ・スタンリを援助してコンゴ川流域に進出し、1885年7月、協会をレオポルドの広大な私有地としてのコンゴ自由国に編成。 ベルギーは1908年11月にそれを国家として引き受けて植民地としていますが、日本が日清下関条約で最初の植民地としての台湾を獲得したのが1895年4月、朝鮮半島を併合したのが1910年8月であり、日本とベルギーは列強の中では同じ後発組であったと言えるでしょうか。 ドイツとの関係では、1936年11月の日独防共協定、1940年9月の日独伊三国同盟の締結が思い浮かびますが、それに関しては、11年4月22日に衆院本会議で行われた「日独交流150周年にあたり日独友好関係の増進に関する決議」の衆院採択で、安倍さんや麻生副総理兼財務相など保守派を中心に約40人が退席したことに触れてよいでしょう。 同月25日のメルマガによれば、それには「党として賛否を決めない、…それだけ党内の反対が強かった」「私は…賛成出来ませんので棄権し」たのだとのこと。 安倍さんは続けて決議のうち「両国は・・・1940年に日独伊三国同盟を結び同盟国となった。その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるにいたり・・・」の箇所について「まず史実として間違っています」「ドイツは1939年にポーランドに侵攻しています。1940年ではありません」と誤謬を指摘、また「ユダヤ人虐殺等のホローコストを行ったナチスドイツの歴史と我が国の歴史を同一視することは明らかに間違い」などと歴史認識の観点から決議を批判しているほか、「大震災におけるドイツの支援に対する感謝の言葉も入っていません」などと決議の「ずさん」さを挙げています。 決議自体はしかし賛成多数で可決されたのに対し安倍さんは「残念でなりません」としていますが、それから3年、今般の日独首脳会談は内容濃く、正確で未来志向な両国関係構築に資したに違いないでしょう。 フランスとの関係では、旧王家と皇室の男系主義を共通点として言及できるでしょうか。 ヨーロッパでは例えばイギリスやポルトガル、ロシアなど女王や女帝の現れた国が少なくないですが、フランスはサリカ法典に従って女王及び女系を排して、国王は全て初代国王ユーグ・カペーの男系子孫。 すなわち1328年2月に崩御したカペー家のシャルル4世の後にその妹イザベルの子つまりシャルルの甥であるイングランド王エドワード3世が、シャルルの従兄に当たるヴァロア家のフィリップ6世の即位に異を唱えたのや、ヴァロア家のシャルル6世が1422年10月に崩御した後、その王女カトリーヌとイングランド王ヘンリ5世の子のヘンリ6世が1420年のトロワ条約に基づきフランス王としての戴冠式をパリで強行したこと、また1589年8月に同じくヴァロア家のアンリ3世が暗殺され、その妹マルグリートと結婚していたブルボン家のアンリ4世が即位すると、それに反対したスペイン王フェリペ2世が、3人目の后でアンリ3世の姉エリザベートが生んだ王女イサベル・クララを擁立しようとしたのなどはいずれも退けられているとおりです。 そのアンリ4世は母方のアルブレ家の権利でフランス王即位前にナバラ王の地位にあったものの、父アントワーヌはカペー家のルイ9世の9代後の末裔、最後のフランス王であるオルレアン家のルイ・フィリップもブルボン家のルイ13世の6代後の末裔でいずれも家系は王位から長く離れているものの確かに男系の王族なのであり、それは日本において武烈天皇崩御の後、応神天皇の5代後とされる継体天皇が即位しているのに似ると言えるでしょうか。 安倍さんは保守派として皇室問題では男系論者であり、旧宮家出身者の皇籍復帰など、女性宮家や女系天皇などの主張を明確に否定していて、それらも今や完全に沈静。 大正天皇には昭和天皇の他に秩父宮、高松宮、三笠宮の3皇子がいていずれも宮家を興していますが、安倍さんなどの考え方に倣うなら、将来的に皇室に2人以上の皇子があれば、皇統に直近の家系として新たな宮家が創設されるべきということになるでしょうか。 ところで、ヨーロッパにはかつてフランス王家由来の王家が各国にあったものの、それらはいずれも男系主義を放棄、例えばポルトガルではカペー家のフランス王ロベール2世の4代後のアフォンソ1世が1110年に即位してからボルゴーニャ、アヴィス、ブラガンサ各王家が庶系を含めて男系を維持してきたところ(上述のスペイン王フェリペ2世以降60年続いたハプスブルク家を除く)、19世紀前半の女王マリア2世の王配フェルナンド2世がドイツのザクセン=コーブルク=ザールフェルト公家出身であったため、その男系は王家では1853年11月のマリアの崩御で断絶(ただし、マリアの叔父でその即位に反対したものの内戦ミゲリスタ戦争に敗れ、王位から排されたミゲルの系統は今も男系で継続)。 ブルボン家のルイ14世の孫フェリペ5世以来のスペインでは1833年9月のイサベル2世の即位に際してサリカ法典が廃止されており、日本の報道でも触れられることがあるとおり仮に将来的に今の国王フアン・カルロス1世の孫レオノール王女が即位すれば、王配に他のブルボン家(後述)の男子が迎えられない限り、その男系が途絶える可能性が高いでしょう。 なお、スペインでサリカ法典が廃止された際、イサベルの叔父に当たるモリナ伯カルロス・マリアがそれに反発、保守派(絶対主義者)がそれを対立王に擁立し、対してリベラル派(自由主義者)がイサベルと王母で摂政のマリア・クリスティーナを支持し、国内は以後1876年まで3次に渡ってカルリスタ戦争と呼ばれる内戦に突入していますが、男系主義の扱いが国論を二分するのは古今東西を問わずに、日本にも該当するでしょう。 さて、ブルボン家の発祥のフランスでは1830年の7月革命でシャルル10世が退位、その孫のシャンボール伯アンリが1883年8月に薨去してブルボン家の本宗家とも言うべきフランスの家系は断絶しています。 それでもブルボン家の男系は上述のスペインで今のフアン・カルロス1世と王太子フェリペ王子の代まで、および国王の伯父セゴビア公ハイメの系統では確保されているほか、ともにスペインのブルボン家から分かれて現在はカラブリア、カストロ両家系が家長の地位を争う旧両シチリア王家と、ルクセンブルク大公家を含む旧パルマ公家で継承されていますが、男系を直系的に長く維持するのがいかに奇跡的かということと、日本に敷衍すれば、皇統の安定性担保という宮家の意義を思わずにはいられません。 なおヨーロッパでは旧イタリア王家のサヴォイア家が11世紀前半にサヴォイア伯位を得てから同公、サルデーニャ王と家格を上昇させ、1831年には傍系のカリニャーノ公家に交代しながら男系を維持していますが、こちらは第2次世界大戦後の1946年6月、ウンベルト2世が国民投票の結果退位して王位を失っているのであり、その後現在も男系を維持しているとはいえ、同じ同盟国ながら戦後も昭和天皇が皇位を維持した日本とは対照的です。 (R) |

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安倍さんは本当に国のために動いてくださいます
日本人は 支えなければなりません
2014/5/3(土) 午前 0:42 [ アグリOMA ]