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父祖の加護 ケータイ投稿記事

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■安倍さんは候補者が乱立して混迷を極めた12年総裁選では決戦投票を逆転で制して総裁に復帰、それから3ヵ月もせずに12年総選挙で勝利して首相にも復帰していますが、安倍さんはそもそも自身の選挙という選挙で落選したことがありません。
安倍さんは93年7月に国政選挙初挑戦で初当選して以来連続7選、第1次内閣退陣後で最初の09年総選挙では自民党への強い逆風のなか、対民主党候補得票率全国首位となる64.25%を記録するという圧勝をしたことが首相復帰への自信を持たせたことは、13年12月22日のテレビ番組で証言があったとおりです。
また、総裁選には06年と12年に挑戦して2戦2勝ですが、安倍さんは12年9月の総裁選の前、8月に「父は総裁選で2勝2敗。僕は1戦1勝。もう一度総裁選に勝って、安倍家として勝敗を5分にしたい」と語っています。
安倍さんの父親の安倍晋太郎元官房長官は82年総裁選で敗れたほか、87年10月には総裁任期を満了する当時の中曽根首相の後継者として有力視されながら、いわゆる中曽根裁定に泣くことになっています。
安倍さんの言う「父は総裁選で2戦2敗」とはそれらを指していると思われますが、安倍さんは12年総裁選に勝って「安倍家として勝敗を5分」を見事実現したことになります。
また、総裁選での決戦投票については、祖父の岸元首相もそれを経験していることは指摘されるべきでしょう。
岸さんは56年12月の総裁公選を石橋元首相および石井元総務会長と争い、1回目の投票では首位となったものの決戦投票では石橋、石井両陣営の2位3位連合に逆転を許してわずか7票差で敗北。
しかし引き続き党内に強力な勢力を有して石橋内閣では副総理格の外相として入閣、それからわずか3ヵ月後の57年3月には石橋首相が急な健康問題で辞任した後に首相に就任するという強運ぶりを発揮していますが、それらを総合すれば、岸さんは前任者の健康問題で首相に就任した一方、安倍さんは自身の健康問題で首相を辞任、岸さんは1位で臨んだ決戦投票で敗れた一方、安倍さんは2位で臨んだそれを制したということになります。
安倍、岸両家に見られるそういう政治史は、政治家一家の不思議な巡り合わせだと言えるでしょうか。

さて、安倍さんは自身以外の選挙でも、首相や党総裁として当たった殆どで勝利を収めています。
第1次政権期07年参院選でこそ敗れたものの、総裁に復帰後12年10月に野党として臨んだ鹿児島3区補選では同じ町村派の宮路両院副総会長が当選し、弟の岸外務副大臣が12年総選挙で参院から山口2区に転じて当選したのに伴う13年4月の参院山口補選では前下関市長で地元の腹心だった江島参院議員が圧勝、同年7月の参院選では6年前の雪辱を果たして衆参のねじれを解消し、今年4月の鹿児島2区補選でも金子衆院議員を擁して勝利。
安倍さんは長州山口の出身ですが、長州とは江戸末期にはともに倒幕を成し遂げ、明治政府ではライバルとなった薩摩鹿児島での二度の補選で安倍さんが連勝して政権への支持を確認していることは歴史の因縁だろうとは、都度述べているとおりです。
参院山口補選は第2次安倍政権として初となる国政選挙でしたが、それが安倍さんの地元である山口で行われたのは勝利が確実で、政権としては考えられる限り最も堅実な展開だったと言えるでしょう。
全国の知事選でも与野党対決型のでは安倍自民党は2月の東京都知事選では第1次安倍改造内閣で厚労相として初入閣した舛添都知事を支援(都連推薦)して勝利、同月の地元、山口県知事選でも推薦した村岡知事が圧勝しています。
米軍普天間基地移設問題という特殊な事情と11月の県知事選がある沖縄では、1月の名護市長選では敗れたものの、3月の石垣市長選と4月の沖縄市長選で連勝。
自民党は3月に県連の体制を刷新して知事選に備えていますが、基地問題という不安材料が常にある沖縄の知事選は野党が不満の受け皿になる対立候補を擁立しやすいと言え、重要地方選と位置づけて必勝を期し、与野党が対決する来年4月の統一地方選に繋げねばならないと言わねばなりません。

■これまで安倍さんが総裁や首相として臨んだ選挙で大きく取り上げられた焦点の一つには、原発政策を挙げられるでしょう。
すなわち12年総選挙では今の生活の党の前身の旧日本未来の党の代表になった滋賀県の嘉田知事が「卒原発」を標榜したものの大敗、地元山口では上関原発の建設計画があって、自民党推薦の山本前知事が当選した12年知事選と同年の総選挙には旧未来で代表代行を務めた飯田哲也氏が立候補していずれでも落選。
また、13年参院補選では民主党の平岡元法相も脱原発を掲げるも大敗、14年知事選では民主党を離党した高邑元衆院議員がその飯田氏と連携して出馬するもやはり敗北しています。
嘉田氏は7月に知事任期を満了しますが、今月7日6:53の『産経新聞』は「次期知事選に…立候補しない意向」であると報じ、同時に民主党の三日月前国対委員長代理が「卒原発」を継承して出馬すると伝えています。
自民党は経産省出身の小鑓元内閣官房参事官を推薦して擁立しますが、原発を巡っては、政府が「4月に閣議決定した…「エネルギー基本計画」では、安全確保を前提に原発を再稼働させる方針を打ち出し」(時事通信、14.5.21-20:45)ている一方、脱原発を掲げる小泉、細川両元首相が2月の東京都知事選に参戦、7日には「自然エネルギー推進会議」を設立して「11月に任期満了を迎える福島県知事選や来年春の統一地方選で、脱原発を訴える候補者を支援する構えだ」(『産経新聞』同日21:11)というほか、21日に関電大飯原発3、4号機の再稼働差し止め判決が福井地裁によって下される(関電は名古屋高裁に控訴)など路線対立があって、それは滋賀県知事選にも表れることでしょう。
9日23:56の『産経新聞』は、石破幹事長が会見で「滋賀県知事選を、年内に行われる沖縄、福島両県知事選と並ぶ「最重点」に挙げ」たことを伝えますが、それも故のないことではありません。

ところで、滋賀は元来民主党の強い地域であるため、その知事選の結果は海江田代表の「進退問題に直結しかねない」(同上9日『産経新聞』)との指摘があります。
滋賀では、12年総選挙で自民党が全4選挙区を制し民主党で比例復活したのは3区の三日月氏だけだったものの、比例近畿ブロックの民主党各候補の惜敗率は三日月氏が全37人中2位、1区の川端元総務相(三日月氏の議員辞職により繰り上げ当選)、4区の奥村元国対委員長代行、2区の田島元環境副大臣が4〜6位といずれも上位で、確かに民主党の強いことが窺え、三日月氏が議員辞職してまで知事選に挑むという決断をした素地もそこにあるのかもしれません。
海江田氏の任期は15年9月までですが、13年参院選で大敗した後「「1年後に『目に見える成果』を出す」と約束して続投した」、野田、岡田両最高顧問や前原元代表と会談して「「あと1年やらせて欲しい」と頼んだ経緯がある」(『朝日新聞』14.2.8朝刊)という状況。
それにより党内や、地方でも滋賀県連が代表選の実施を要求する(『産経新聞』13.7.30-8:25)などの混乱を収めたものの、その「1年」後がまさに今年の7月であり、それは同月の滋賀県知事選が海江田氏の「進退問題に直結しかねな」くなっていることの伏線の一つだと言えるでしょう。
海江田氏はしかしその後、「任期を全うすることに意欲を示」(『産経新聞』14.4.11-0:30)して方針転換の気配を見せており、それはかえって、党内で海江田氏に対する遠心力を強めることになったと言えます。
それはすなわち4月30日には大畠幹事長が「今夏の党代表選実施もあり得る」(『産経新聞』、同日17:24)と発言、今月13日には玄葉前外相と安住元財務相の会合で代表選前倒しが議論され、その場には中川幹事長代行など執行部メンバーも同席(『産経新聞』14.5.15-10:29)、前原グループも代表選の「前倒し実施を執行部に要請することを検討し」(『毎日新聞』14.5.20-7:00(最終更新同日8:08))、参院では22日に北澤、前田両副代表など10数人が会合して「任期満了を待たずに代表選を行うかどうかも話題になった」(時事通信、同日23:12)などと報じられているとおりですが、代表選前倒しの気運は既に、海江田氏が自ら挙げた今年7月に向けて主流派から非主流派まで広く高まっており、その決定打になる可能性があるのが、同時期で勝算がある「はず」の滋賀県知事選だということでしょう。
海江田氏を取り巻くそういう状況の根底には、一つには党内勢力基盤の貧弱さがあるでしょう。
海江田氏は今は赤松グループの所属で、11年代表選に出馬した際には当時所属していた旧鳩山Gと旧小沢Gに擁立されたように、独自の勢力基盤を有していません。
また海江田執行部で代表代行や幹事長を歴任している大畠氏もかつては同じ旧鳩山G所属だったものの、11年代表選では鹿野元農水相を支持して鹿野Gに移り今はその会長であって(『日経新聞』12.12.21-23:47)、腹心という立場ではないと言うべきでしょうか。
では海江田氏の支持基盤はと言えば自身が代表代行(『産経新聞』12.10.11-18:55)の赤松グループの他、執行部では長妻幹事長代行や松原国対委員長、長島副幹事長など海江田氏と同じ東京選出の議員が少なくないことから(それぞれ7区、3区で比例復活、21区、海江田氏は1区で比例復活)、そういう地縁が頼まれていることを指摘できるでしょう。

海江田氏の進退問題がポスト海江田の存在と不可分であるのは自明ですが、それはまた民主党内の主流派・非主流派関係の逆転ということとも無関係ではないでしょう。
海江田氏の出身の赤松G代表の赤松元農水相が社民党出身であるのに加えて、執行部には高木代表代行や大畠氏、神本副代表、郡司参院議員会長といった労組出身者が要職にあることから、松原、長島両氏や1月に前原Gから起用された渡辺幹事長代行といった保守派も見られるとはいえ今の主流派は左派だとすれば、上述のように反執行部的な動きの見られる前原、玄葉両氏などの右派や、「中道」派の細野前幹事長などが非主流派ということになると言えます。
特に、野田、岡田、前原、安住、玄葉各氏に枝野元幹事長を加えた「六人衆」は非主流派の実力者。
六人衆は与党期に主流派として政権の要職を歴任したものの下野の責任を負って非主流派に甘んじていますが、ポスト海江田に復権を賭けてくることは確かでしょう。
細野氏も1月に「自誓会」を細野派として発足させ今月6日には勉強会を開いており、ポスト海江田を目指すとの観測あるいは期待が消えません。
28日には野党再編を巡って日本維新の会で、結いの党との合流の是非を巡る路線対立があった石原、橋下両共同代表が会談して分党が決まったことは野党再編を進捗させると思われますが、その気運は民主党内にも作用して、再編に積極的な前原氏や細野氏の存在をクローズアップさせるかもしれません。
そうだとすれば、それはかつて菅官房長官がプロデュースして安倍さんが橋下氏との関係を梃子に再浮上し総裁復帰に繋げたのに似ますが、今の橋下氏の「効用」は当時と比べてかなり限定的だとすべきでしょうか。

ちょうど夏に照準されている野党再編の気運が高まることは、民主党としてそれに乗じるべく、海江田氏がもはや滋賀県知事選の勝敗に関わらずかつて自ら述べたように7月にも辞任する可能性を高めたかもしれません。
あるいは、滋賀での勝機を高めるのに再編気運の高まりを利用しようと、つまり皮肉にも勝機がある「はず」ゆえに知事選の前、例えば会期末まもなくにも辞任することさえ考えられるでしょうか。
そしてそうだとすれば、それと対比的に、党首としての任期満了が同じ15年9月である安倍さんの果報ということを改めて思っても怪しむに足りないでしょう。
上述のように安倍さんが節目ごとに迎えたのは地元山口や保守的な地方である鹿児島という有利な地域での補選や知事選だったのであり、そこでの連勝は安倍さんの総裁や首相としての権力が育つのに恰好の経験値となったと言えます。
それは強運の持ち主だった岸さんと、首相の地位にわずかに手が届かなかった安倍晋太郎さんという、二人の父祖の加護ではないでしょうか。


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■第2次安倍政権は9日に発足から500日を数え、安倍さんの首相在任日数は第1次政権と合わせて同日で866日(歴代9位)、また内閣で閣僚の異動が500日間ないのは戦後最長記録であり、現在もそれが更新されています。
政権として初となる内閣改造は6月22日予定の今国会会期末から秋の臨時国会開会までの間に行われるとされていて、そうだとすれば、第2次安倍内閣は今の閣僚のまま最短でも544日、長ければ600日を超えることになります。

さて、内閣改造では新たに安保法制の担当相を設置するものとされていますが、それは安倍さんが集団的自衛権の行使解禁を積極的に目指している以上、改造の看板となるものであると言えるでしょう。
2日7:46の『産経新聞』はその時期について「与党協議の進捗状況によっては、臨時国会直前になって任命する可能性もある」として、流動的であることを指摘していますが、与党協議が進捗して安保法制の担当相新設の機の熟すことが、内閣改造の時機を定める最小律になると言えるかもしれません。
ここで、その候補には例えば岩屋元外務副大臣を挙げられるでしょうか。
当選6回の岩屋さんは初入閣の現実味があり、外交・安保政策に通じて党では安保調査会長や安保法制整備推進本部の事務局長を務め、高村副総裁、石破幹事長、中谷特命担当副幹事長、山本参院幹事長代理とともに与党協議にも参画しており(そのことは岩屋さんの入閣資格を必ずしも制限しないでしょう)、安保法制の議論で安倍さんと同じスタンスであることは間違いありません。
加えて、同じ九州出身の麻生副総理兼財務相の麻生派の所属であるのと同時に、ともに安保政策に通じる石破さんとも近いという党内の立ち位置も、岩屋さんの登用の可能性を思わせます。
ところで、同じように麻生さん石破さんともに近接している議員としては他に当選8回で未入閣の山口元首相補佐官も挙げられます。
また、やはり麻生派で当選4回の井上環境副大臣は麻生さんに近いと同時に同じ東京出身の石原環境相に近いですが、実力者の周辺で見られるそうした関係は何を意味しているのでしょうか。
麻生さんは12年総裁選では高村さんとともにいち早く安倍さん支持を表明してその勝利に貢献しましたが、当初有力視されていたのは大派閥からの支持が厚かった石原さんと無派閥や地方票を糾合していた石破さんだったのであり、それぞれと近い議員が麻生派に見られることは、あの混迷した総裁選の名残であるのかもしれません。

憲法解釈変更の閣議決定による政権内外の動揺が予想され、それを抑えるには人事が一つの手段となり得、また閣議決定を受けた自衛隊法などの改正や10%増税の是非が議論される臨時国会は当初から新たな布陣で迎えるべきことを考えれば、閣議決定→人事という順序も考えられ、閣議決定を今国会中とすることは譲歩したとしても、それらは全て臨時国会開会までに完了しているのが望ましいのでしょう。
すなわち内閣改造・党役員人事を経て第2次安倍政権は来年4月の統一地方選や9月の総裁選を見据えつつも「集団的自衛権シフト」の色彩を帯びることが考えられますが、党では高村さんや石破さんは党外すなわち公明党との与党協議の中心であるため留任されるとして、では党内に向けてはどんな体制が構築されるでしょうか。
「集団的自衛権シフト」において、自衛隊法などの改正では党内の意見集約が必要になるはずですが、総務会が集団的自衛権の問題で紛糾することが多かったのに鑑みれば、その予防を期して総務会長には従前指摘しているように重鎮の額賀元財務相を考えられるでしょうか。
額賀さんは防衛庁長官を二度に渡って務めたほか、党内第二派閥の会長でもあり、「集団的自衛権シフト」と「総裁選対応」の両面に適うと言えます。
また、難航が明らかな与党協議で石破さんが存在感を高めて幹事長に留任する見通しが強まったことで、額賀さんが石破さんとは派閥の問題でかねて折り合いよくないことを勘案するなら、中谷さんを総務会長に想定することも可能でしょうか。
防衛庁長官経験者で与党協議のメンバーでもある8選のベテランの中谷さんは12年総裁選では石破さんの推薦人となっていますが、石破さんに近い議員を党四役に据えることも、石破さんが「周囲に「安倍さんには来年の党総裁選で再選してもらわなければならない」と語るほど、首相のサポートに徹し」、そんな石破さんを安倍さんも「ライバルとみなさなくな」った(『産経新聞』14.5.3-20:08)とされるとおりだとすれば、十分考えられると言えるでしょう。

■ところで、今の野田総務会長は退任することになるものと考えられますが、その後はおそらく安倍さんとは距離を置いてポスト安倍を目指していくことになるのではないでしょうか。
野田さんは8日に「集団的自衛権の行使容認について「プライオリティーが一番高いわけではない。…日本を立て直す一丁目一番地は経済の再生だ」と述べ、首相を牽制」(『産経新聞』同日19:14)、安倍さんもこの問題で党内に会合が乱立した際、野田さんの主催した総務懇談会の報告を受けて「これからは私の直轄機関で議論をしていただく」と「不機嫌そうに言った」という(『朝日新聞』14.3.18朝刊)など、両者の距離感が徐々に滲んできていますが、野田さんはおそらく安倍さんと距離のある勢力へのアピールを図り、また総務会長の退任を織り込んでもいるのでしょう。
野田さんは無派閥ですが古賀元幹事長や13年秋まで総務会長代行を務めていた二階元総務会長といった親中リベラルの実力者の評価があり、それを後ろ盾にして台頭を図っていくことは大いに考えられるでしょう。
野田さんは少子化担当相経験者ですが、7日に関係NPOが「母子健康手帳アプリ」を発表、集団的自衛権については「安全保障も少子化とリンクしてくる」と述べていて(『朝日新聞』14.5.8朝刊)、女性・子供・家庭政策を看板にしてソフト路線をとって、安保政策重視の安倍さんとの差異を打ち出していこうというのではないでしょうか。
しかし、強力な党内勢力基盤を有していないため、長期的には、党内の実力者のうちリベラルな外交・安保政策や人脈の重なる岸田外相の勢力に収斂していくことになるのかもしれません。

安倍さんは経済政策では成長戦略を最重要視し、それはアベノミクスで「本丸」と位置づけられていますが、その中核「女性の活躍推進」は内閣や党の人事でも実践されています。
党で総務会長の野田さんと高市政調会長を起用して四役の半分を女性とし、参院でも橋本前政審会長と山谷政審会長が登用されましたが、それはひいては女性首相候補の登場の気運や伏線に繋がるでしょう。
08年総裁選に立候補した小池元総務会長は昨13年11月に「婚活・街コン推進議連」を立ち上げていて、こちらもソフト政策に取り組む一方、第1次安倍政権に国家安保担当の首相補佐官や防衛相として参画しているように安保政策にも積極的なのが野田さんとの違いであると言えます。
先述のように野田さんは岸田さんに収斂していくかとも思われますが、小池さんは12年総裁選では石破さんを支持、同年12月の第2次安倍政権発足に当たっては幹事長に留任した石破さんによって政調会長に推されていて、こちらは石破さんに今後も連携していく可能性が高いと考えられるでしょうか。
小池さんのように第1次安倍政権で要職に就いた後、石破さんと接近した議員としては山本元金融担当相を挙げられます。
山本さんは06年総裁選では再チャレンジ議連を立ち上げて安倍さんの勝利に貢献し金融担当相として初入閣、10年1月には保守系勉強会のぞみを発足させて憲法改正を目指していますが、それに先んじて当時の高村派を退会し無派閥期間を経て石破さんのさわらび会や無派閥連絡会に参加しています。
しかし山本さんは一方では安倍さんとの交流を保持していて、東京谷中の全生庵で座禅を組むのにしばしば同行したり、かつて石破さんの幹事長続投を進言したことなどは都度報じられたとおりですが、安倍さんと石破さんの間に緊張感があるときは緩衝役になり、両者の協調が安定している環境では党内で主流派に位置づけられるということになるでしょうか。

他に党内で将来の女性首相として有力視されているのが小渕元少子化担当相です。
小渕さんは第2次安倍政権の発足時に入閣を取り沙汰されたものの女性閣僚としては森少子化担当相と稲田行革担当相が起用されたことで見送られ、閣僚経験者ながら財務副大臣に就任。
それは財務相が副総理を兼ねる首相経験者の麻生さんで共同の副大臣が8選のベテランの山口さんだったことと併せて、民主党政権で影響力を誇示した財務省を抑えるのに適ったと言えますが、若く知名度の高い小渕さんは人事の「目玉」として、今度は満を持して再入閣することになるのではないでしょうか。
ところで、小渕さんは同じ額賀派のOBの青木元参院議員会長の評価が高いといい、台頭していく上でその後見を受けることは想像に難くありませんが、額賀派では茂木経産相が閣僚や党役員を歴任していて、こちらも将来の首相候補であるとすべきでしょう。
額賀派では、かつて所属していた石破さんに離党経験があって非主流派に位置づけられ、大派閥が伸張した11年9月の人事ではそれまで2期務めてきた政調会長を茂木さんと交代、それを契機に派閥を退会していますが、茂木さんも初当選時は旧日本新党の所属で非自民の経緯があり、小渕恵三元首相の後継者で一貫して自民党に所属している小渕さんの方が派内の首相候補としては本命視されているのかもしれません。
現在7選の茂木さんは58歳、5選の小渕さんは40歳、安倍さんが次の総裁任期を満了する18年9月にはそれぞれ62歳と44歳で、同時に総裁選を争うことになる可能性は低いと言えるでしょうか。
しかし、都度紹介しているとおり安倍さんは第1次政権期に当時の古賀派に対して、また現在も公明党に対して見られるように「分断操縦」を政治手法にしていることがしばしばあるのであり、閣僚や党役員で処遇されるべき首相候補を二人擁するという、党内第二派閥たる額賀派内の勢力図は、安倍さんの党運営で利用できるポイントになっていく可能性があるでしょう。

以上のように野田さんや小池さん、小渕さんという有力女性議員について検討すればそれぞれに近い実力者の存在が見えてきますが、野田さんを評価している古賀さんと、小渕さんを庇護している青木さんはともに大派閥系で、集団的自衛権の問題では慎重論を唱えるなど歩調を合わせていて、小池さんが近い石破さんとは異質であると言えます。
18年9月のポスト安倍の局面で有力なのは石破さんや茂木さん、岸田さんなどだと考えられますが、以上の有力女性議員が奇しくもそれぞれと近いのは注目すべき勢力図であると言えるでしょう。
そのうち、石破さんは安保政策を通じて安倍さんとの協調を続けてその支持を得ようとし、岸田さんは古賀さんの後見を受けて安倍さんや石破さんとは異なるリベラル路線を看板にしていくことなどが考えられるでしょうか。
ところで、12年総裁選で有力候補の一人だった石原さんは山崎元副総裁から継いだ派閥が規模を小さくしている上、当時の推薦人だった茂木さんや岸田さんが「自立」していることで首相候補として再浮上するかは微妙とせざるを得ないかもしれません。
石原さんは安倍さんとは元来疎遠ではないため第2次安倍政権に対しては協力姿勢をとって安倍さんの総裁再選も支持することが考えられますが、長期的には、つまりポスト安倍政局では安保政策で安倍さんの「直系」を目指す(可能性のある)石破さんではなく、大派閥系の岸田さんや茂木さんなどの支持に回ることになるでしょうか。
そのように、12年総裁選の構図は一時的なものではなく、4年後のポスト安倍政局さえ規定する可能性があるほど、党内のパワーバランスとして既にかなり基本的になっていることが指摘できるでしょう。
また、「12年総裁選以来の構図」の中の各勢力が有力女性議員を持つようになるであろうことは第2次安倍政権期に萌した新機軸であると言えますが、日本初の女性首相は、その二段階を経て登場することになるのではないでしょうか。


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「闘う政治家」の系譜 ケータイ投稿記事

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■安倍さんは15日午後、柳井元駐米大使から安保法制懇が集団的自衛権の行使を可能とすることを求める報告書を受け取り、夕方6時から国民に向けて会見。
会見では自ら作製指示したパネルを用いながら具体的事例を列挙して日本が集団的自衛権を行使できるようになるべきことが説かれましたが、日本が集団的自衛権を行使できるようになることは、日本の安全保障に直結する課題であると同時に、より巨視的には、地域の安全保障に関わるテーマでもあると言えます。
安倍さんの祖父の岸元首相の手による今の日米安保条約は第5条で集団的自衛権に触れていますが、それは現行の憲法解釈によってアメリカに片務的になっているのであり、それを是正して集団的自衛権を双務的にすることで日米安保体制はより高度に充実する、とは都度主張してきたとおりです。
ところで、5条にある集団的自衛権が片務的であるのを補完するために盛り込まれているのが次の第6条いわゆる極東条項で、そこではアメリカが「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため…日本国において施設及び区域を使用することを許される」とされていて、そのことからは、日米同盟がただ日本の外交機軸であるにとどまらず、極東の公共財ですらあることを確認できるでしょう。
すなわちその日米同盟の充実は地域の安全保障に適うのであり、それは南シナ海における中国問題が深刻化する今こそ、日本が果たすべき、また求められている役割であると言えます。
そしてそのための具体的方法が、集団的自衛権の双務化であるということを指摘したいと思います。
今回の安保法制懇の報告の「方向性」と、安倍さんの目指していることは、高度に国際的であると言うべきでしょう。

ところで、極東条項は先述のように集団的自衛権の片務性を補うために設けられたという経緯があるとはいえ、それは現下の安全保障環境に照らしてむしろ今こそ有意義なのであって、集団的自衛権が双務的になっても、それ自体に存在価値があると言えるでしょうか。
日米同盟に地域の公共財としての性質を持たせている極東条項が岸さんの古くて新しい治績に違いないだろうとは、再三主張しているとおりです。

日米を対等に近づけることは岸さんの悲願であり、現行の憲法解釈によって集団的自衛権が禁治産的なのを埋め合わせるべく極東条項を設けたのもそのためですが、行使解禁による日米同盟強化を目指す安倍さんは岸さんに血縁的にも政治的にも確かに連なっていると言えます。
また、安倍さんは今回に限らず消費増税やTPP交渉参加といった重要な決断に及んでは自ら会見を開いて国民に説明し理解と協力を求めていますが、それは安倍さんの目指すまさに「闘う政治家」の姿であると言うべきでしょう。

■行使解禁について、自民党内の慎重論は「砂川判決」を論拠とする「限定容認論」を受けて既に収束し、焦点は今や公明党との与党協議にあります。
都度述べているように、与党協議の責任者は自民党側で高村副総裁、公明党側で北側副代表がそれぞれ担当。
高村さんは安倍さんとは同じ長州閥の先輩で、内閣や党で外交・安保関係の要職を歴任、他に法相も務めていますが、砂川判決に拠る限定容認論も3月6日の安倍・高村会談で浮上したのに始まり、同月31日の安保法制整備推進本部(以下「本部」)の会合で高村さんが首唱して定着したのであり、集団的自衛権の問題での存在感が絶大な重鎮です。
北側さんは高村さんとは連休中の日中友好議連の訪中で同道した際にもこの問題で協議を持ったとされ、また、4月6日には自民党の佐藤国対委員長とともに安倍さんとゴルフを楽しんでいますが、その佐藤さんはリベラル派の谷垣法相に近く、安倍さんの外遊中3月25日に安保法制懇の報告書の提出時期について、当時4月中とされていたのを5月に先送りするべきだとするなど執行部にあって行使解禁に否定的にも目されたのであり、安倍さんが両者を懐柔する意図を持っていたかとは4月22日の記事で指摘しました。
また、公明党との関係では、大島前副総裁の存在に注目せねばならないでしょう。
大島さんは公明党の特に漆原国対委員長との信頼関係が強いとされ、2月に漆原さんがこの問題で批判を強めた際には理解を示して配慮していますが、今月13日には自公が「「…お互いに真摯に話し合っていけば、道が開ける可能性は十分にある」と語り、合意は可能との見通しを示し」(『読売新聞』同日22:44)ていて、派閥の前会長である高村さんを支援して公明党との調整に乗り出すことも考えられるでしょうか。

さて、15日の『朝日新聞』朝刊は与党協議に当たるメンバーとして自民党側では高村さんの他に石破幹事長、中谷特命担当副幹事長、岩屋元外務副大臣、山本参院幹事長代理、公明党側では北側さんの他に井上幹事長、上田政調会長代理、遠山衆院議員、西田参院幹事長の各5人ずつを挙げています。
自民党側の5人のうち高村さん石破さん中谷さんは防衛閣僚経験者、岩屋さんも党安保調査会長で外交・安保政策に通じていると言え、また山本さんは参院を代表して加わっているのでしょう。
参院では脇幹事長がかつて慎重姿勢を強くし、その背後には青木元議員会長の存在がしばしば指摘されていましたが、そういう額賀派ラインに対し、山本さんはむしろ安倍さんの出身の町村派の所属で、それは好条件だったと言えるでしょうか。
公明党の上田さんについては都度紹介しているように安倍さんから「彼の様な人物に公明党の議論を良い方向に導いて欲しいと思っています」(メルマガ、12.4.14)という高評価があり、公明党側のキーマンであると言えるでしょう。
また、自民党側の顔触れが本部の幹部と重なることも自ずと着想されます。
すなわち本部では石破さんが本部長、中谷さんが事務総長、岩屋さんが事務局長、また高村さんが顧問の一人とされていますが、そのうち中谷さんと岩屋さん、また副本部長の一人で防衛相経験者の浜田幹事長代理がいずれも石破さんに近いことは指摘してよいでしょう。
本部のそういう構成から、3月26日の『朝日新聞』朝刊は「「安倍・石破体制」で党内議論を主導する」としていますが、集団的自衛権を巡っては、4月22日の記事で既に紹介したように、3月31日に高村さんが砂川判決に拠る限定容認論を本部の会合で披瀝(上述)した2日後、4月2日に石破さんが憲法解釈変更の閣議決定の先送りを提案し、安倍さんがそれに難色を示したこともあったのであり、「安倍・石破体制」では両者が協調する一方で、路線の相違があることも暗示していると言えるでしょうか。
そうだとすれば、安倍さんに直結するラインが高村さんや本部で本部長代理を務める高市政調会長など、対する石破さん以下のラインが浜田さんや中谷さん岩屋さんなどと解することは可能でしょう。
実際、参院を中心に強かった慎重論を鎮めたのは上述のように限定容認論を唱えた高村さんだったのであって、それは派閥会長経験者の重鎮である高村さんの主張が党内で発言力のある長老やベテランに浸透しやすいだろうことや、逆にそれらと距離のある石破さんが主導的でなかったことに符合します。
ところで、石破さんが閣議決定先送りを提案した理由は「公明党への配慮」ですが、石破さんは13年参院選では埼玉選挙区で自民党が古川参院議員を公認するのと同時に、得票の分散を懸念する党内の反対を押し切って公明党新人の矢倉衆院議員の推薦を決定しており、公明党との信頼関係構築を特に意識しているかと窺うことは可能でしょう。
そうだとすれば、石破さんのラインは党内議論では高村さんの陰に隠れがちであったとしても、公明党との与党協議で存在感が期待されていると言えるでしょうか。

■3月15日の記事では今国会閉会から秋の臨時国会開会までの間に行われる内閣改造・党役員人事について、それは憲法解釈変更の閣議決定の時期と相関し、人事が先で閣議決定が後だった場合、人事が「集団的自衛権シフト」の性質を強くするかと指摘しました。
安倍さんは人事について2月に吉田参院幹事長代行や石井副幹事長との会食で「通常国会が終わったらすぐか、臨時国会前のどちらが良いか悩んでいる」(時事通信、14.2.28-23:42)と発言したとされるほか、4月28日には8月末に行う方向で調整しているとの報道がありましたが、それまでに与党協議が妥結していなければ、その自民党側責任者である高村さんはもちろん、石破さんも留任される可能性が高くなるかもしれません。
石破さんはかねて「幹事長続投をにら」(『朝日新聞』14.3.7朝刊)んでいるとされ、1日9:26の『読売新聞』によれば「「ポスト安倍」の有力候補でありながら、首相を支える姿勢に徹しており、党内では…「幹事長続投論」が強まっている」ということ。
そこでは理由として「選挙対策で実績を上げている」ことや「憲法解釈見直しに向けた党内の意見集約にも力を注」いでいることが挙げられていますが、しかし、石破さんの選挙対策にはこれまで上述の13年参院選での埼玉選挙区における対応や党員獲得にノルマを設定したことなどに重鎮や長老から反発があったほか、集団的自衛権に関しても党内の慎重論を抑えたのは砂川判決を引いた高村さんの貢献が大きかったという経緯があるのであり、石破さんの幹事長留任が有力視されるようになってきたのは、与党協議における継続性と、「首相を支える姿勢に徹して」いることで「首相が石破氏をライバルとみなさなくな」(『産経新聞』14.5.3-20:08)っているともされることが関係していくのではないでしょうか。
そうだとすれば、12年総裁選を争った2人による「安倍・石破体制」は今や総体としては安定して、来年9月総裁選で再選を目指すのとも連関しながら、安倍さんの党内勢力基盤の一つとなっているということになるのでしょう。
ところで、与党協議との関連という「集団的自衛権シフト」によって、当初は入閣も有力視された石破さんが仮に幹事長に留任するとして、それは内閣改造にどう連動するでしょうか。
3月6日の記事では岸田外相の異動の可能性は低いかもしれないことなどから石破さんを重要閣僚に位置づけられる総務相に仮定しましたが、幹事長に留任するなら、総務相には参院の実力者として入閣の有力な脇さんを想定できるでしょう。

さて、高村さんや石破さんが臨む公明党との与党協議が困難なものとなることは間違いないと言えます。
自公はこれまでにも特定秘密保護法制定や教育委員会制度改革で温度差のあることがありましたが、自民党は前者では法案に「知る権利」を明記し「第三者的機関」の設置を打ち出すなど「公明党側の要求を次々の」み、後者では「教委を名目上の執行機関として残しつつ、運用面で首長の権限を強める折衷案をまとめ」(『朝日新聞』14.2.19朝刊)ていて、あくまで自公の枠組みでそれら保守的な安倍カラー政策を前進させています。
それは高い理想を掲げて国民に示す一方でリアリストとしての評価が広く高い安倍さんらしい軌跡であったと言えますが、集団的自衛権の行使解禁についても、それが見られることになるのでしょう。
辺境の島嶼部への重武装漁民の上陸や、他国の潜水艦が領海内に侵入、潜航して退去命令に従わない場合などのグレーゾーン事態への対応の検討を先行させる方針であるのも、合意の積み重ねを通じて公明党との距離を縮めていこうとするものであるとされているとおりです。
その路線を首唱したのは石破さんであり、グレーゾーン事態をまず取り上げる与党協議ではやはり石破さんが今まで以上に存在感を高めることになるのでしょう。
グレーゾーン事態を先行させることは閣議決定を今国会中に拘らないことに繋がりますが、石破さんは既に1月にそれに言及、菅官房長官も7日にそう説明し、衛藤首相補佐官も「私は公明党を取る」(『産経新聞』14.1.25-10:12)と早くに明言しています。
集団的自衛権を含む安倍カラー政策の進め方は、高い理想を掲げると同時に譲歩と妥協を懐柔策にして、漸進的に成果を上げるという政治のリアリズムを教えているかのようです。
それはまた、リアリストでなくしては「闘う政治家」たりえない、ということでもあるでしょうか。


(R)

ロシアと中国 ケータイ投稿記事

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みなさんおはようございます。
現在パリにいます。(今こちらでは深夜の0:00を少し回ったところです。)
昨日フランス入りし、翌午前中にオランド仏大統領と首脳会談を行い、その後二人で歩いて日本大使公邸に向かいました。
公邸では和食紹介レセプションが開かれました。

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■10日間に渡った安倍さんのヨーロッパ歴訪もこのフランスと次のベルギーで終わり、8日夕方には無事に羽田空港に凱旋帰国しました。
最初の訪問国はウクライナ問題で日本と立場を近くするドイツ、次は共に議員内閣制の下でNSCを持ち、その運営を工夫して安全保障面で協力を深めたイギリス、ポルトガルとスペインではアフリカや中南米に多い両国の旧植民地まで視野に含めて「地球儀外交」の面目を躍如としたのはこれまで都度指摘したとおりです。

連休中も安倍さんのほか訪中した高村副総裁、訪米した石破幹事長から集団的自衛権の行使解禁に関する発言が相次ぎましたが、そういう「積極的平和主義」の背景には、アメリカが01年10月から始まったアフガン戦争や03年3月に起きたイラク戦争、08年のリーマンショックなどによる軍事的、経済的な負担に苦しんで、極東における最大の同盟国である日本が期待される、あるいは果たすべき役割が増していることがあるのは確かでしょう。
そしてそういうアメリカの状況の表れたのが、内戦状態にあるシリアへの軍事介入に踏み切れなかったことだと言えます。
すなわち昨13年8月、アサド政権がかねて国内の民主化運動を弾圧、化学兵器を使用したとされたのに対してオバマ大統領が軍事介入を一端は決断したものの9月にはそれを見送ってアメリカが「世界の警察」であることを自ら否定。
それが象徴的な世界のパワーバランスの変化に符合するのが、日本の対外政策が「積極性」を帯びることなのは間違いないのであり、積極的平和主義を唱える安倍さんは、世界史的な変動に対応しながら日本を率いていると言えるでしょう。

シリア問題では日本の他にフランスもアメリカの軍事介入を支持しましたが、フランスはシリアの旧宗主国。
フランスは1920年8月のセーヴル条約でオスマン・トルコ帝国から今のシリアやレバノンに相当する地域を委任統治領として獲得、シリアについては1946年4月の独立まで支配していますが、同地域はその25年前の1895年10月にトルコ帝国の首都イスタンブールでキリスト教徒のアルメニア人が弾圧された事件を受けてイギリスのソールズベリ首相がイギリス、フランス、オーストリア、イタリア、ロシアによるトルコの分割を列強に提議した構想の中でもフランスに割り当てられていて(『帝国主義の開幕』中山治一、河出書房新社)、フランスとは縁があったと言えるでしょうか(その構想は、当時トルコに影響力を持って世界戦略でイギリスと対立していたドイツが領土保全を訴えたため失敗)。
かつての宗主国・植民地関係は今もなお機能して、シリア問題におけるフランスの積極姿勢や、安倍さんのポルトガル、スペイン訪問の背景にあるのであり、そのことからは、それが地球儀外交に好都合な国際関係の梃子であることを指摘できるでしょう。

■安倍さんは最後の訪問国ベルギーではブリュッセルのNATO本部で演説。
7日0:49の『産経新聞』によれば、集団的自衛権の行使解禁などの積極的平和主義によって「揺るぎない平和国家としての歩みを礎に、これまで以上に世界の平和と繁栄に強くコミットする」と謳い、またNATO諸国を「基本的価値観を共有する…「必然のパートナー」」と位置づけて「関係を強化する考えを示し」ていますが、それは「価値観外交」の理念にほかなりません。
従って、今回の外遊では第1次政権以来の「価値観外交」と第2次政権下で新たに打ち出された「地球儀外交」という、安倍外交の2つの発想が明確化されたと言えるでしょう。

それらが焦点を結ぶのは必然的に中国問題だということになるのは、中国が日本や米欧などNATO諸国とは基本的価値観を共有しておらず、また日本とはアフリカや中南米つまりまさに地球規模で影響力扶植と資源獲得で競争関係にあることから自明であると言えます。
また積極的平和主義に基づく集団的自衛権の行使解禁に関しても、日米安保体制の高度化を意味するそれが、極東で覇権主義・膨張主義をとる中国に対応しようとするものであることは論を待ちません。
4月末にはアメリカのオバマ大統領が来日して、日本側の求めによって、尖閣諸島が日米安保条約5条の適用範囲であることが保証されたとおりです。

さて、安倍さんがNATO本部での演説で中国を具体的に挙げて「対外姿勢、軍事動向は国際社会の懸念事項だ」と指摘し、軍拡の「内訳が明らかにされず不透明だ」と批判(同上『産経新聞』)したことが話題になっていますが、日本時間6日夜のその演説の翌7日、南シナ海で中国とベトナムやフィリピンの間に起きた事件が大きく取り上げられました。
すなわちベトナムの排他的経済水域内パラセル諸島付近の海域で中国がオイルリグを設置して海底油田を掘削していて両国の艦船が3日以降複数回に渡って衝突、7日にはベトナム側の船員が負傷したほか数隻が損傷したといい(『毎日新聞』14.5.7-21:45(同8-1:09最終更新))、フィリピンは同日、スプラトリー諸島ハーフムーン礁沖で中国の密漁船を6日に拿捕したことを発表(『産経新聞』14.5.7-17:36)。
フィリピンは4月28日に旧宗主国でもあるアメリカと軍事協定を締結して米軍の国内への事実上の再駐留を容認、共同軍事演習を重ねるなど中国への強硬姿勢をかねて特に見せ、ベトナムも中国とは共産党一党支配という政体を共有しチョン書記長が親中派であるというもののサン国家主席とズン首相が親日派(『朝日新聞』10.12.19朝刊)、原発開発では日本やロシア、スプラトリー諸島近海での油田開発ではインドとそれぞれ協力するなど多方面外交を敷いていますが、両国が南シナ海で中国と衝突する伏線は既にあったと言えます。
中国が「9点破線」あるいは「牛の舌」という、南西諸島と台湾を結ぶ第一列島線に連なる境界線で南シナ海全域の管轄権を主張していることは11年9月7日の記事で紹介したとおりですが、それを伝える同月4日の『朝日新聞』朝刊はまた、「日本にとっての具体的な懸念」の一つに「南シナ海で「変なルール」(政府関係者)ができて東シナ海に波及する」ことを挙げています。
東シナ海では中国が尖閣諸島を「核心的利益」と位置づけて当局艦船が接続水域や領海に侵入し、上空を防空識別圏内に設定、あるいは沖縄トラフすなわち南西諸島の西辺いっぱいまでの大陸棚の権利を主張して、その内側の日中中間線付近(中国側)でガス田開発を進めていますが、東シナ海と南シナ海には中国問題が同様の構図で存在していることを物語っているのは明白です。
それを象徴するのが、今回ベトナム政府が公開した中国艦船による衝突の映像が、10年9月に尖閣諸島沖で発生した海自艦船への中国漁船衝突事件のいわゆる「尖閣ビデオ」を彷彿させることだと言えるでしょうか。
また、マラッカ海峡を出口とする南シナ海は日本にとって中近東とのシーレーン上にあり、そこでの情勢は「航行の自由」やエネルギー安保の観点からも日本に無関係ではありません。

さて、そのように東シナ海情勢に対して「対岸の火事」ではないのが南シナ海情勢だと言えますが、それにはウクライナのクリミア半島情勢も同様に挙げねばならないでしょう。
ウクライナにおいてロシア系住民が多数でロシア黒海艦隊の拠点もあるクリミアは、2月のヤヌコビッチ政権が倒壊した政変を契機にロシアに編入していますが、ロシアはその際に軍事介入し、日本や米欧の制裁対象となってG8からも除外されました。
安倍さんはNATO本部での演説ではウクライナ問題についても触れ、「「力による現状変更を許してはならない。アジアにも影響を与えるグローバルな問題だ」と指摘」(既出7日0:49『産経新聞』)していますが、ここでロシアを中国に置き換えれば、その真意が東シナ海を見据えたものであることは自ずと明らかです。
北方領土問題の解決に向けて元来ロシアのプーチン大統領との信頼関係構築に積極的で成功していた安倍さんをしてウクライナ問題でロシアを批判せしめたのは、東欧のクリミア情勢が極東、東シナ海情勢に照らして決して「対岸の火事」ではないからである、ということは、安倍さんがNATO本部でロシアや中国を批判、その矢先に南シナ海が中国問題で緊迫するという状況では特筆してよいでしょう。

ところで、クリミア半島は15世紀以来イスラム系のクリム・ハン国が支配、ロシアはそれを1783年にエカチェリーナ2世が併合してから1991年のソ連崩壊まで領有し、その後はウクライナの一部となって現在の混迷に至りますが、そういう経緯の中で注目すべきは、1783年のロシアによる併合でしょう。
なんとなれば、それは1695年にピョートル1世がクリミア半島の北接するアゾフ海方面に遠征して以来の黒海・地中海方面への南下政策の一環だったのであり、ロシアの伝統的な南下政策は中央アジアや極東にも広がって、日本にとっても20世紀初めに満州問題や日英同盟、日露戦争の背後事情となったように当時の世界情勢の一大要素だったからですが、その根底にはロシアが外洋への出口として常に不凍港を求めていたことがあります。
それは偏にロシア北方の北極海が冬季に凍結するからですが、都度触れているように、近年では一転、海氷の溶解によって北極海航路の開発が現実的になり、アジアとヨーロッパの効率的な航路として、また海底資源の宝庫として、北極海は世界の注目を集めています。
ロシアに地の利がある北極圏のそういう変化は、とりもなおさず国際社会におけるロシアの位置づけを将来変えていくことになるのではないでしょうか。

日本は北極評議会にオブザーバー参加し、安倍さんが超党派の「北極圏安保議連」の会長を務めていますが、そういう北極政策や、日本や東南アジア諸国にとっての中国問題、あるいはロシアも6ヵ国協議の一員である北朝鮮問題などにおいて、日本はロシアにどう接していくことになるでしょうか。
上述のとおり東欧のクリミア情勢に極東で通じるのが東シナ海情勢だと解したとき、ロシアと中国は国際社会で同じニッチを占めていることになりますが、特に中国問題をプライオリティーの高い喫緊の外交懸念とする日本にとってロシアは最大の脅威ではないのであり、両国を全く同列に論じることは日本外交を二正面作戦に陥らせて、戦略上有力な選択肢を放棄するリスクを伴うと言えます。
思えば日本は戦前、日露戦争を戦った後はロシアとは1907年7月に日露協商を結んでむしろ接近し、両国に英仏を併せた4ヵ国は第一次世界大戦まで国際政治上の一集団を形成、協商は計4次に渡って1917年のロシア革命で政体が変わるまで維持されています。
戦前の日本の外交機軸は当然日英同盟にありますが、地域の大国であるロシアとの協商はそれと併せて日本の戦略に適って対外政策を安定させたに違いありません。
そしてそれは、日本の外交機軸が日米同盟に変わった現代でも、ロシアの地政学的な重要性が変わらない以上、日露関係が主に中国問題を念頭に日本外交を補強しうるものであることを示唆していると言えるでしょうか。
ウクライナ問題は北方領土問題打開の機運が兆していた日本にとって最悪のタイミングで起きたと言えますが、日本が今後、日米同盟主義と国際協調を乱さない範疇で日露関係の改善に積極的になることは十分考えられます。
ロシアと中国はともに「力による現状変更」を辞さずに「19世紀的」で、国際ルールを逸脱して他の大国とは「異質」であるとされますが、しかしその中でも両国を更に分けて把握し、特にロシアとの関係前進を図る必要はあるのでしょう。


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まさに地球儀外交 ケータイ投稿記事

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日本の総理大臣として史上初のポルトガル訪問。

両国の出会いは、ポルトガル人が種子島に漂着した1543年。470年余りの歴史があります。

パッソス・コエーリョ首相と首脳会談をさせていただきました。

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「ここに地終わり海始まる」
ユーラシア大陸最西端のロカ岬を訪れました。

はるか大西洋を望み、日本からポルトガルを訪れた天正遣欧使節に想いをはせました。

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■今回のヨーロッパ歴訪はイベリア半島にも及び、本文にあるようにポルトガル、次いでスペインを訪問。
4日21:33配信(5日2:21最終更新)の『毎日新聞』によれば、スペインではラホイ首相と会談、経済面では「スペイン企業のアジア進出を日本政府が、スペイン語圏の中南米への日本企業進出をスペイン政府が後押しすることで一致」。
「スペイン語圏の中南米への日本企業進出」とありますが、後述するように安倍さんはポルトガルではポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)を通じて天然資源の豊富な新興国への進出の足掛かりとしようとしているのであり、今回のポルトガルとスペインというイベリア半島の両国訪問はそれ自体視野の広い外交ながら、しかし見据えているのは両国の旧植民地を含んで更に地球規模で、それこそまさに「地球儀外交」と呼ぶに相応しかったと言えます。
また、それはスペインやポルトガルが15〜16世紀にかけて大航海時代の雄であったのがそもそも無関係でないことも指摘できるでしょう。

会談はラホイ氏の出身地サンティアゴ・デ・コンポステラで行われ、ラホイ氏自らサンティアゴ巡礼路やサンティアゴ大聖堂などの世界遺産を案内するという歓迎を受けたとされます。
スペイン滞在は1日にも満たず今回の外遊では最も短く、サンティアゴ・デ・コンポステラで会談が行われたのも、そこがラホイ氏の地元であるのとともに北西部ガリシア州で、前の訪問国ポルトガルに近いのが好都合だったためでしょうか。
しかし、そういう過密スケジュールとなったにも関わらずスペイン側からはそれをフォローするかのような歓待があったことは、喜ばしいと言うべきでしょう。

■日本とポルトガルやスペインの交流は世界史的には大航海時代の中で、メルマガにもあるように戦国期16世紀に始まり、それ以降流入したキリスト教を含むいわゆる南蛮文化の異国趣味・異国情緒が、当時の日本史を彩っています。
詩人・北原白秋の『邪宗門秘曲』には「加比丹(カピタン)」「天鵞絨(ビロード)」「麻利耶(マリヤ)」などのこの頃の南蛮貿易で伝わった外来語に漢字を当てた表現が多用されて異国情緒が溢れていて、その雰囲気が私は好きです。
安倍さんの地元山口で高村副総裁の地盤1区の山口市では、1551年にスペイン人トルレスが旧大道寺で日本最古の教会堂を開設、ザヴィエルや1613年の慶長遣欧使節を斡旋したソテロもスペイン人で、来日ポルトガル人の業績としては、ヴィレラの『耶蘇会士日本通信』とフロイスの『日本史』が有名。
天正遣欧使節は1582年に日本を発ってからマカオに寄り、マラッカ海峡を抜けてゴアに寄港、その後インド洋をアフリカ大陸沿いに喜望峰を回り大西洋に出て北上、84年にリスボンに到着していますが、使節の少年たちの情熱の跡だったそのルートの前半は、現代では日本のシーレーンに重なります。

4日の『朝日新聞』朝刊は安倍さんとコエーリョ首相の共同声明では、日本がポルトガルとその旧植民地の国々からなる「ポルトガル語圏諸国共同体」にオブザーバー参加することについて、ポルトガルが「歓迎する」ことなどが盛り込まれたと報じています。
同記事はまた安倍さんが「南米、アフリカで存在感を高めつつあるポルトガル語圏諸国との連携を深めていく」と述べていることを伝えていますが、そこにもあるとおり南米のブラジル、アフリカのモザンビークは「豊富な天然資源をもつ新興国」で、安倍さんは1月のアフリカ・中東歴訪ではモザンビークにも訪問、「北部の地域開発に約700億円の政府途上国援助(ODA)」(『朝日新聞』14.1.15朝刊)拠出を表明しています。
その外交体系に照らすに、安倍さんはいずれそう遠くない将来、中南米にも外遊してブラジルも訪れることになるのではないでしょうか。

■ポルトガルは19世紀末にアフリカで植民地としてポルトガル領東アフリカ、同西アフリカを建設、それらは1975年6月と11月にそれぞれモザンビークとアンゴラとして独立。
また1500年にカブラルがポートセグロに到達して以来進出したブラジルは、1807年11月にフランス皇帝ナポレオン1世がイベリア半島に出兵してスペインでは翌08年5月にブルボン家のカルロス4世、フェルナンド7世父子を廃位し実兄ホセ1世をナポリ王から異動して即位させるなど圧力を強めたのを受けてブラガンサ家のポルトガル女王マリア1世や摂政王太子ジョアンが遷都して移ったことで、リオデジャネイロが12年間、ポルトガルの王都だったことがあります。
ブラジルはその後マリアの跡を継いだジョアン6世がポルトガルに帰国(1821.7)したのを機に自立を始め、1822年9月にはジョアンの王子ペドロ1世を皇帝に擁して帝国として独立。
1826年3月のジョアン6世の崩後、ポルトガル王位はペドロが同4世として形式的に継ぎ直ちに退位して王女マリア2世が即位していますが、その際には2日の記事でも触れたように、王位継承問題にイデオロギー対立が相俟って1832年6月にミゲリスタ戦争と呼ばれる内戦が起きています。
すなわちマリアの即位にはペドロの弟ミゲルが対抗して、スペイン王家出身の母カルロータ・ホアキーナや絶対主義者などの保守派がそれを支持、対してマリアとその後見のペドロをリベラル派が支持して内戦に突入。
ペドロは当初マリアとミゲルの結婚を工作して融和に努めるものの、それを断念した後はブラジル皇帝を退位して内戦に専念、結局、イギリスの支援を得て1834年5月にミゲルを破って上述のようにマリアを即位させてまもなく同年9月に崩御。
なおイギリスはかつてハプスブルク家のスペインとの同君連合から独立(1640.12)しようとするジョアン4世も支援、その王女カタリーナをイングランド王チャールズ2世が王妃に迎えた際にタンジールやボンベイを婚資として獲得(1661)、ナポレオン戦争では王室がリオに退去したポルトガルを対仏戦争の前線とするなど影響力を有しているほか、『帝国主義の開幕』(中山治一、河出書房新社)によれば19世紀末のボーア戦争に際してはドイツの介入を防ぐため秘密協定でいずれもポルトガル領のアンゴラやモザンビーク、ティモールを英独が処分することを決め(1898.8)、その一方ではポルトガルの海外領土の保全を了解してみせる(1899.10)などしているといい、イギリスの巧みな外交はポルトガルを対象にして見ることができると言えるでしょう。

さて、2日の記事でも紹介したようにポルトガルでミゲリスタ戦争が進行していた頃、スペインでも王位継承問題にイデオロギー対立が連関してカルリスタ戦争と呼ばれる内戦が起きています。
それはかつてナポレオン1世に廃位された(上述)後1813年12月に王位を回復していたフェルナンド7世が1833年9月に王子のいないまま崩御、それに先んじて女子と女系の即位を認めないサリカ法典が廃止されて王女のイサベル2世が即位したのにフェルナンドの弟モリナ伯カルロス・マリアが反発・対抗して始まり、以後その子モンテモリン伯カルロス・ルイスやその甥マドリード公カルロス・マリアが王位継承権を主張して(それぞれカルロス5、6、7世を称す)1876年まで3次に及んでいますが、その支持者(カルリスタ)は絶対主義者や教会関係者などの保守派、勢力圏は都市より農村が中心で、王都マドリードを抑え自由主義者に消極的ながら接近していたイサベルと母親で摂政のマリア・クリスティーナの陣営(イサベリーノ、クリスティーノ)と全く対照的です。

スペインのカルリスタ戦争のそういう構図はポルトガルで同時期に進行したミゲリスタ戦争と共通ですが、スペインではフェリペ5世が即位してブルボン家の統治が始まった1700年11月からサリカ法典が廃止されるまで女子と女系は王位から排除され、ポルトガルではそれまでにも既出のマリア1世のほか14世紀にもベアトリス女王が即位していたことがあるように女王は否定されていないものの王位継承は元来あくまで男子優先だったのであり、両国で姪と叔父が王位を争うという奇しくも同じ構図で内戦が勃発したとき、保守派がいずれでも後者を支持したのは自然な成り行きだったと言えます。
日本でも報道されたようにイギリスやオランダでは王位継承は性別に関係なく第1子によるように改正されていますが、日本の皇室典範の改正論議でもかつて女帝と女系の即位容認の他に浮上した、皇位継承を皇子皇女を問わずに第1子優先とする案は、カルリスタ戦争やミゲリスタ戦争のような「内戦」とまではならなくても、国内で世論の分裂など深刻な対立を招きかねなかったと言えるでしょうか。
当時の小泉政権の中でそういう皇室典範の改正への反対の代表格だったのが官房長官だった安倍さんですが、保守派のその安倍さんの考えと今回のヨーロッパ歴訪に含まれたイベリア半島のスペイン、ポルトガル両国の歴史は、皇位継承における男系主義の取り扱いという点で、関連する部分を見出すことが可能でしょう。

■「CPLPへのオブザーバー参加」ということに関連すれば、日本はちょうど1年前の昨年5月、CPLPへに先駆けて北極評議会(AC)へのオブザーバー参加を決めていることと、それに関連して超党派の「北極圏安全保障議連」に触れねばならないでしょう。
ACは12年7月27日の記事で既に紹介したようにアメリカ、カナダ、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、ロシアからなる国際機構で、日本はインド、イタリア、中国、シンガポール、韓国とともにオブザーバー参加資格を獲得、そして12年7月に「北極圏安全保障議連」の会長に選出されたのが安倍さんです。
それを報告する同月25日のメルマガでは北極海航路の開発や海底資源を巡る競争が激しくなっている状況を挙げて、日本として権益を確保すべく必要な予算措置や法整備に取り組む必要性が指摘されていますが、北極圏はこれから世界の焦点が集まる地域なのであり、ACへのオブザーバー参加は日本の北極圏政策の第一歩だったと言えるでしょうか。
南米やアフリカはもちろん北極圏も日本の近隣地域というわけではないですが、「地球儀外交」を実践する上で、CPLPの枠組みを梃子にしACを通じてそれらの各国・地域に進出しようとするのは、その具体的な方法ということにほかなりません。
また、「日本の総理大臣として史上初のポルトガル訪問」ということや、日本とはこれまで馴染みの薄いポルトガル語圏諸国や北極圏、あるいはスペイン語圏を俯瞰的に広く視野に入れていること自体が、安倍外交・地球儀外交の積極性の表れであることは言うまでもないでしょう。
ところで、「北極海航路が開発されば、ドイツ・ハンブルクと横浜間はスエズ経由の航路より4割近く短縮できる」(『朝日新聞』12.4.22朝刊)ということですが、安倍さんがロカ岬で想いを馳せた天正遣欧使節の頃はそのスエズ運河も開削されていなかったため喜望峰を回ったのであり、喜望峰ルートからスエズ経由そして北極海航路という日本とヨーロッパの海上交通路の地球規模の変遷は、時代の大きな移り変わりを感じさせます。


(R)

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