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+--【安倍晋三です】--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+

みなさんおはようございます。日本とは約8時間の時差のあるイギリスにてキャメロン首相と首脳会談を行い、日英の安全保障分野の協力強化、経済、オリンピックに向けての協力等について合意しました。


そして今夜はイギリスの経済界、世界の投資家を集めたギルドホールでの晩餐会でスピーチをしました。
日本の成長戦略を世界に向けて発信していきます。
服装の規定は伝統に則りブラックタイ。
スピーチ練習終え、服装の最終チェック(笑)。

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+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+(2014.05.02[Fri] 09:08)

▼安倍晋三事務所携帯版HP
http://www.s-abe.jp/
*メルマガの配信元です。

■ブラックタイで決めたシティーでの講演の雄姿と聴衆のスタンディングオベーションは日本でも映像で伝えられましたが、日本国民のためアベノミクスで重要な海外の対日投資呼び込みに余念がありません。
法人減税への決意が改めて明らかにされたことにも注目すべきでしょう。
キャメロン首相との会談では「安全保障分野の協力強化」が議題になったことが本文にありますが、それからは、日英が戦前には同盟関係にあったことが自ずと想起されます。
1914年に始まった第1次世界大戦は7月にオーストリアがセルビアに宣戦、翌8月にはそれぞれを後援するドイツがロシアに宣戦、まもなくイギリスおよびフランスとドイツが開戦して拡大していますが、英仏独はアフリカや太平洋そして極東に勢力範囲を持っていたため戦争はそれらの地域にも波及。
ドイツとイギリスは極東ではそれぞれ山東半島とそれが南接する長江流域を勢力範囲とし、またそれぞれ膠州湾と山東半島北端の威海衛を租借して艦隊の拠点にしていて、『帝国主義の開幕』(中山治一、河出書房新社)によれば、イギリスは対独宣戦した8月4日から僅か3日後の7日、「同盟国である日本にたいして、シナ海でのドイツ武装巡洋艦船の捜索と撃破を要請」。
それを受けた日本では長州出身の元老井上元内相が翌8日に「今回欧洲ノ大禍乱ハ…大正新時代ノ天佑ニシテ…、此天佑ヲ享受セザルベカラズ」「英・仏・露…三国ト一致団結シテ、茲ニ東洋ニ対スル日本ノ利権ヲ確立セザルベカラズ」(『世外井上公伝』)と指摘、翌9日には第2次大隈内閣の加藤外相が閣議で「一は英国からの依頼に基く同盟の情誼と、一は帝国が此機会に独逸の根拠地を東洋から一掃して、国際上に一段と地位を高めるの利益と、この二点から参戦を断行するのが機宜の良策と信ずる」(伊藤正徳『加藤高明』)と提言。
その後15日には最後通牒を発し、それが容れられないと23日にドイツに対し宣戦して日本は第1次世界大戦に参戦していますが、ところで、日本の参戦は加藤外相が「日本は今日同盟条約の義務に依って参戦せねばならぬ立場には居ない」(同上『加藤高明』)と述べているように、極東で伸張しようとしてイギリスの打診を好機に同盟の範囲を超えた、極めて積極的なものだったことが明らかです。
そのため「日本から…積極的参戦の通告を受けたイギリスは、日本の意図がイギリスの期待をはるかに越えるものであったことを知っておどろき、八月一〇日、日本の軍事行動をイギリス商船の保護だけに限定することを申し入れたが、これは、日本への参戦依頼を取り消すための間接的表現であったといってよい」というほか、「かさねて日本の戦闘区域を限定する案も出された」ものの(同上『帝国主義の開幕』)、先述のように対独最後通牒、開戦に至っています。
そして日本は第1次世界大戦後のヴェルサイユ体制では山東半島や太平洋の旧ドイツ権益を継承したものの、それが修正されたワシントン体制では山東半島を中国に返還、海軍力については対米英主力艦保有比率を軍令部の求めた7割を下回る6割に抑えられたほか、太平洋に関する四ヵ国条約(1921.12)で日英同盟、中国に関する九ヵ国条約(22.12)で日米石井・ランシング協定がいずれも廃棄、マルチの関係に取り込まれてバイの関係を失ってしまっていますが、その背景には、ヴェルサイユ体制に飽き足らず、また第1次世界大戦勃発によるヨーロッパ列強の間隙を突いて新たに太平洋に膨張した日本を警戒するアメリカの巻き返しがあったと言えます。
『帝国主義の開幕』には、日英同盟廃棄は、アメリカや太平洋のイギリス自治領諸国が警戒、反対して決まったことが指摘されていますが、その後の外交的孤立にも無関係ではないそういう展開に、日本が第1次世界大戦で見せた積極姿勢が影響したことは間違いないのでしょう。
なお、日米関係については大局的には悪化していった一方、それを食い止めようとする努力は確かにあったのであり、例えば長州出身で財界から満州に進出していた鮎川義介が自身の率いる満業にアメリカ資本の導入を計画、それをもってアメリカの伝統的な満州政策の原則である門戸開放に応じ日米関係を打開しようとしたことなどは、指摘せねばならないでしょう。

ところで、安倍さんはこの外遊ではシティーでの他にブリュッセルのNATO本部でも講演をします。
先日のドイツでのメルケル首相との会談では日独が立場を近くするウクライナ問題も議題になったといいますが、両国はロシアとはエネルギー問題また特に日本は北方領土問題があって深刻な対立は回避したい立場にある、というのはしばしば指摘されるとおりなのでしょう。
しかしNATOはアメリカとMDを進めて、それによるルーマニアやポーランドでのミサイル施設建設を距離的に近いロシアが嫌っているように、アメリカを中心とする「西側」としての性格が強いとすれば、そこでの講演はむしろ制裁にやや重点を置いたものになるのかもしれません。
日英同盟は1900年5月の北清事変を契機にロシアがシベリアから南下、満州への駐留を続けたのを両国が警戒して結ばれたものですが、ロシアはその後、ソ連時代の1945年8月の終戦の混乱期に北方領土を占領したのであり、2014年2月ウクライナでヤヌコビッチ政権が倒されたクーデターに乗じてクリミア半島を占拠したのは、満州や北方領土の占領に似ていると言えるでしょうか。

さて、日本は今、安倍さんの下で「積極的平和主義」を打ち出していますが、その進め方はどうでしょうか。
戦前の歴史に照らせば、それは国際協調を原則に、特に今の日本の外交機軸としての日米同盟との整合性を付けながら進められるべきことが要諦だということになるでしょう。
そしてまた、それは日米同盟論者でかつ国際協調を重んじる安倍さんによってその通り取り組まれていることが直ちに明らかでしょう。
すなわち安倍さんは日米安保条約5条が触れる集団的自衛権の双務化と、それによる日米同盟関係の強化を、第1次政権期以来の、あるいは今の日米安保体制を築いた祖父の岸元首相以来の課題としていて、第2次政権を率いる現在は憲法解釈変更の閣議決定と自衛隊法や周辺事態法などの個別法の改正でそれを実現しようとしていますが、そういう安倍さんの外交が日米同盟を逸脱することはないのは明らかです。
集団的自衛権の行使解禁について、アメリカのオバマ大統領は先の来日時に安倍さんとの共同声明で「歓迎」と「支持」を明言、2日にはバイデン副大統領も訪米、会談した石破幹事長に「歓迎する」と伝えているほか、知日派のアーミテージ元国務副長官も同様で、戦前に日英同盟を超えて第1次世界大戦に参戦したのとは違って、日本が安全保障上の役割を積極的に果たせるようになるべく同盟国と密接に連絡・調整していることは言うまでもありません。
安倍さんはまた日米同盟を「アジア太平洋地域の平和と繁栄の礎」と位置づけていますが、そのとき、より重要な意味を持ってくるのは4月29日の記事でも触れた安保条約6条いわゆる極東条項でしょう。
6条はアメリカが「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与する」ことを述べていて、それはつまり日米同盟に、単に両国の問題であるにとどまらない、地域の財産としての性質を持たせていると言うべきではないでしょうか。
また、それはアメリカが「太平洋国家」を自認し、「リバランス政策」で南シナ海における中国問題に対応しようとしている現状と符合するのであり、54年前に集団的自衛権の片務性を補完すべく生まれた極東条項が今やそれ自体で自存的な意義を持つ「古くて新しい治績」なのではないかとは、先の記事で述べた通りです。
そして、日米同盟が地域の財産として充実して機能することは、集団的自衛権の双務化などの「積極的平和主義」が、国際協調という原則の下で運用されることの端的に現れにほかならないでしょう。

保守主義は恐らく本質的に反米主義や民族主義、国粋主義、エスノセントリズムと親和的な部分があり、不作為でいれば、それは容易にそういう独善的な方面に漂流していくのでしょう。
その点、日米同盟論に積極的に立脚する親米保守や国際協調主義は多分に抑制的かつ理性的で、政治科学的に編み出されて、保守主義としてより高度であるに違いありません。
また、究極的にはアメリカの核の傘を背景とする日米安保体制をとる日本においては民族主義や反米保守とは理論上しか存在しない虚数のようなもので、親米保守路線こそが、日本の保守主義における唯一の現実的な解であるとすべきでしょう。

■2日7:46の『産経新聞』は、「政府・自民党が、集団的自衛権の行使に必要な法整備に向け…担当閣僚を新たに設置する方向で検討に入った」と報道。
その理由には「憲法解釈がからむ答弁を外相や防衛相に任せるわけにはいかない」という「指摘」を挙げていますが、安倍さんは今国会閉会後から秋の臨時国会開会までの間、28日の報道だと8月末以降に内閣改造・党役員人事を行う考えを明らかにしているので、集団的自衛権に関する担当閣僚の新設が、党内の関心事である次の人事と関連していくことは必然的でしょう。
ところで、「憲法解釈がからむ答弁を…任せるわけにはいかない」とされている岸田外相と小野寺防衛相はともに岸田派の所属で、その前会長である古賀元幹事長は25日に内閣改造について小幅に済ますことを求めて「所属の4閣僚の続投に期待をにじませ」(『産経新聞』14.4.25-23:56)ていますが、集団的自衛権の問題で外相や防衛相に代わる新たな担当相が新設されることは、岸田派の占めるそれらの閣僚ポストも交代の対象外ではない、というメッセージとして受け止められる向きもあるいはあるかもしれません。
古賀さんは集団的自衛権の行使解禁に消極的であることを隠さず、「宏池会政権の再現」を訴えているほか、岸田さんも将来の総裁選立候補に意欲を見せています。
それらは来年9月の総裁選で岸田派が安倍さんと対決することを意味するのではなく、むしろより直近、次の人事で岸田さんが再任されるなど岸田派が現政権で引き続き一定数の閣僚・党役員ポストを与えられることを求めていると受け止めるべきかと思われ、また実際に、安倍さんも岸田派としての閣僚の数を大きく減らすことはせず、岸田さんは外相に再任することになるのではないでしょうか。

またそもそも、実際に新たな担当相が設置されたとして、その人選自体が焦点になることは間違いありません。
石破さんをその有力候補に挙げることは強ち筋違いではないでしょうが、石破さんは安倍さんとは集団的自衛権の行使解禁を巡って路線の違いが見え隠れすることもあったように依然一定の距離があり、それはなお不透明だとすべきでしょうか。
石破さんについては1日に幹事長続投の可能性が報じられた一方、党内で重鎮・長老や派閥勢力と距離があることもしばしば指摘されるのであり、安倍さんが来年9月の総裁再選を念頭にその再任を躊躇することも考えられるでしょう。
その場合、石破さんを集団的自衛権の担当相に新任する可能性も考えられますが、この連休中に訪米して存在感の発揮に努める石破さんの処遇が安倍さんにとって最大の思案のしどころであるのはやはり間違いないでしょう。


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日本とヨーロッパ ケータイ投稿記事

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+--【安倍晋三です】--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+

今日の朝は日独中小企業セミナーに出席。
歓迎式典(儀仗兵栄誉礼)後、日独首脳会談をワーキングランチ形式で、昼食をとりながら同時通訳で行いました。
この後ガウク大統領を表敬訪問しロンドンに向かいます。

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+--【安倍晋三です】--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+

みなさんおはようございます。
安倍晋三です。


ロンドンは現在、夜の11:00。
明日のキャメロン首相との首脳会談に備えて打ち合わせ中です。

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▼安倍晋三事務所携帯版HP
http://www.s-abe.jp/
*メルマガの配信元です。

■安倍さんは29日から8日まで、ドイツ、イギリス、ポルトガル、スペイン、フランス、ベルギーのヨーロッパ6ヵ国を歴訪しています。
30日の『朝日新聞』朝刊によると現地時間29〜30日はドイツ、30〜2日はイギリス、2〜4日はポルトガル、また4日にはスペイン、4〜6日にフランス、6〜7日にベルギーをそれぞれ訪れて各国やEUの首脳と会談するほか、イギリスではロンドンはシティーで、ベルギーではブリュッセルのNATO本部で講演するとのこと。
安倍さんは第1次内閣期07年1月にもイギリス、ドイツ、ベルギー、フランスを訪問、その様子はメルマガの配信元『安倍晋三事務所携帯版HP』で閲覧できますが、日本とは遠く離れ、またともに先進国として成熟・安定した関係にあって近隣国に比べて問題が少ないヨーロッパ諸国も、安倍さんの「地球儀外交」においては等閑視されないということでしょう。
また、3月22日から4月1日にかけては中国の習近平国家主席がハーグの核セキュリティサミット出席に合わせてオランダ、フランス、ドイツ、ベルギー各国を訪問したのであり、今回の安倍さんの外遊はそれを意識したものでもあるでしょうか。
安倍さんは1月9〜15日にかけてアフリカのコートジボワール、モザンビーク、エチオピア、中東のオマーンを外遊、資源外交を展開し、またエチオピアの首都アジスアベバのAU本部で「積極的平和主義」に関するスピーチをして日本の存在感高揚に努めましたが、実はその少し前、同月6日から11日には中国の王毅外相もエチオピア、ジブチ、ガーナ、セネガルを相次いで訪問しています。
そのことからも今回のヨーロッパ歴訪の真意の一端が窺えるでしょうか。
『携帯版HP』のトップには恐らく地元の山口4区の遠景をバックに安倍さんが地球を脇に抱える画像が掲げられていますが、それは地元から選ばれてしかしそこにとどまらず世界を視野に国政に当たるという、外交を重視する国会議員としての姿勢を寓意したものでしょうか。

ところで、最初の訪問地ドイツを中心にし、ベルギーも含んだ地域にかつて存在した神聖ローマ帝国で16世紀前半に皇帝だったハプスブルク家出身のカール5世の肖像画にも地球を傍に置いた一枚がありますが、カールは母方のトラスタマラ家がカスティーリャ、アラゴン両王国の王家だったことからスペインなどの王位を兼ねています。
イタリア南部から大西洋を挟んでアメリカ大陸、太平洋を越えてフィリピンまで、ヨーロッパ内外にまさに地球規模で広大な領土を有したカールの後継者フェリペ2世はスペイン王位を得たほか、母方のアヴィス家がポルトガル王家であったことからポルトガル王位を兼ね、以後スペインとポルトガルは3代60年間に渡り同君連合を形成、また2人目の后に今のイギリスの前身の一つイングランド王国の女王メアリ1世を迎えたことで、後にメアリの異母妹エリザベス1世の治世には対立の深まる両国は、しかし両者の結婚(1554年)からメアリの崩御(1558年)までの4年間はむしろカトリックの信仰を紐帯に連携。

ヨーロッパ諸国はそのように長い歴史の中で相互に関係を織りなしていますが、それぞれの日本との関係についても、注目すべき点は挙げられるでしょう。
例えば、ちょうどスペインでフェリペ2世の治世最末期に当たる頃、日本では豊臣秀吉が文禄・慶長の役で朝鮮半島に出兵、朝鮮やその宗主国の明と交戦していますが、秀吉は朝鮮、明の他に、ともにフェリペの領土だったスペイン領フィリピンやポルトガル領インドまでの進出構想を披瀝していて、武威を誇示するかのようにフェリペに日本の甲冑を寄贈。
イギリスについてなら、3月29日の記事で述べたように戦前の日本の外交機軸だった日英同盟の消長とそれに連動する外交敗北や、翻って現代、議員内閣制の国家同士としてのNSC運営での協力関係を挙げねばならないでしょう。
ベルギーは『帝国主義の開幕』(中山治一、河出書房新社)によると、19世紀後半から20世紀初頭の国王レオポルド2世がアフリカ探検に関心を持って1876年に国際アフリカ協会を設立、探検家ヘンリ・スタンリを援助してコンゴ川流域に進出し、1885年7月、協会をレオポルドの広大な私有地としてのコンゴ自由国に編成。
ベルギーは1908年11月にそれを国家として引き受けて植民地としていますが、日本が日清下関条約で最初の植民地としての台湾を獲得したのが1895年4月、朝鮮半島を併合したのが1910年8月であり、日本とベルギーは列強の中では同じ後発組であったと言えるでしょうか。

ドイツとの関係では、1936年11月の日独防共協定、1940年9月の日独伊三国同盟の締結が思い浮かびますが、それに関しては、11年4月22日に衆院本会議で行われた「日独交流150周年にあたり日独友好関係の増進に関する決議」の衆院採択で、安倍さんや麻生副総理兼財務相など保守派を中心に約40人が退席したことに触れてよいでしょう。
同月25日のメルマガによれば、それには「党として賛否を決めない、…それだけ党内の反対が強かった」「私は…賛成出来ませんので棄権し」たのだとのこと。
安倍さんは続けて決議のうち「両国は・・・1940年に日独伊三国同盟を結び同盟国となった。その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるにいたり・・・」の箇所について「まず史実として間違っています」「ドイツは1939年にポーランドに侵攻しています。1940年ではありません」と誤謬を指摘、また「ユダヤ人虐殺等のホローコストを行ったナチスドイツの歴史と我が国の歴史を同一視することは明らかに間違い」などと歴史認識の観点から決議を批判しているほか、「大震災におけるドイツの支援に対する感謝の言葉も入っていません」などと決議の「ずさん」さを挙げています。
決議自体はしかし賛成多数で可決されたのに対し安倍さんは「残念でなりません」としていますが、それから3年、今般の日独首脳会談は内容濃く、正確で未来志向な両国関係構築に資したに違いないでしょう。

フランスとの関係では、旧王家と皇室の男系主義を共通点として言及できるでしょうか。
ヨーロッパでは例えばイギリスやポルトガル、ロシアなど女王や女帝の現れた国が少なくないですが、フランスはサリカ法典に従って女王及び女系を排して、国王は全て初代国王ユーグ・カペーの男系子孫。
すなわち1328年2月に崩御したカペー家のシャルル4世の後にその妹イザベルの子つまりシャルルの甥であるイングランド王エドワード3世が、シャルルの従兄に当たるヴァロア家のフィリップ6世の即位に異を唱えたのや、ヴァロア家のシャルル6世が1422年10月に崩御した後、その王女カトリーヌとイングランド王ヘンリ5世の子のヘンリ6世が1420年のトロワ条約に基づきフランス王としての戴冠式をパリで強行したこと、また1589年8月に同じくヴァロア家のアンリ3世が暗殺され、その妹マルグリートと結婚していたブルボン家のアンリ4世が即位すると、それに反対したスペイン王フェリペ2世が、3人目の后でアンリ3世の姉エリザベートが生んだ王女イサベル・クララを擁立しようとしたのなどはいずれも退けられているとおりです。
そのアンリ4世は母方のアルブレ家の権利でフランス王即位前にナバラ王の地位にあったものの、父アントワーヌはカペー家のルイ9世の9代後の末裔、最後のフランス王であるオルレアン家のルイ・フィリップもブルボン家のルイ13世の6代後の末裔でいずれも家系は王位から長く離れているものの確かに男系の王族なのであり、それは日本において武烈天皇崩御の後、応神天皇の5代後とされる継体天皇が即位しているのに似ると言えるでしょうか。
安倍さんは保守派として皇室問題では男系論者であり、旧宮家出身者の皇籍復帰など、女性宮家や女系天皇などの主張を明確に否定していて、それらも今や完全に沈静。
大正天皇には昭和天皇の他に秩父宮、高松宮、三笠宮の3皇子がいていずれも宮家を興していますが、安倍さんなどの考え方に倣うなら、将来的に皇室に2人以上の皇子があれば、皇統に直近の家系として新たな宮家が創設されるべきということになるでしょうか。
ところで、ヨーロッパにはかつてフランス王家由来の王家が各国にあったものの、それらはいずれも男系主義を放棄、例えばポルトガルではカペー家のフランス王ロベール2世の4代後のアフォンソ1世が1110年に即位してからボルゴーニャ、アヴィス、ブラガンサ各王家が庶系を含めて男系を維持してきたところ(上述のスペイン王フェリペ2世以降60年続いたハプスブルク家を除く)、19世紀前半の女王マリア2世の王配フェルナンド2世がドイツのザクセン=コーブルク=ザールフェルト公家出身であったため、その男系は王家では1853年11月のマリアの崩御で断絶(ただし、マリアの叔父でその即位に反対したものの内戦ミゲリスタ戦争に敗れ、王位から排されたミゲルの系統は今も男系で継続)。
ブルボン家のルイ14世の孫フェリペ5世以来のスペインでは1833年9月のイサベル2世の即位に際してサリカ法典が廃止されており、日本の報道でも触れられることがあるとおり仮に将来的に今の国王フアン・カルロス1世の孫レオノール王女が即位すれば、王配に他のブルボン家(後述)の男子が迎えられない限り、その男系が途絶える可能性が高いでしょう。
なお、スペインでサリカ法典が廃止された際、イサベルの叔父に当たるモリナ伯カルロス・マリアがそれに反発、保守派(絶対主義者)がそれを対立王に擁立し、対してリベラル派(自由主義者)がイサベルと王母で摂政のマリア・クリスティーナを支持し、国内は以後1876年まで3次に渡ってカルリスタ戦争と呼ばれる内戦に突入していますが、男系主義の扱いが国論を二分するのは古今東西を問わずに、日本にも該当するでしょう。

さて、ブルボン家の発祥のフランスでは1830年の7月革命でシャルル10世が退位、その孫のシャンボール伯アンリが1883年8月に薨去してブルボン家の本宗家とも言うべきフランスの家系は断絶しています。
それでもブルボン家の男系は上述のスペインで今のフアン・カルロス1世と王太子フェリペ王子の代まで、および国王の伯父セゴビア公ハイメの系統では確保されているほか、ともにスペインのブルボン家から分かれて現在はカラブリア、カストロ両家系が家長の地位を争う旧両シチリア王家と、ルクセンブルク大公家を含む旧パルマ公家で継承されていますが、男系を直系的に長く維持するのがいかに奇跡的かということと、日本に敷衍すれば、皇統の安定性担保という宮家の意義を思わずにはいられません。
なおヨーロッパでは旧イタリア王家のサヴォイア家が11世紀前半にサヴォイア伯位を得てから同公、サルデーニャ王と家格を上昇させ、1831年には傍系のカリニャーノ公家に交代しながら男系を維持していますが、こちらは第2次世界大戦後の1946年6月、ウンベルト2世が国民投票の結果退位して王位を失っているのであり、その後現在も男系を維持しているとはいえ、同じ同盟国ながら戦後も昭和天皇が皇位を維持した日本とは対照的です。


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野党再編の側面で ケータイ投稿記事

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+--【安倍晋三です】--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+

今日は早起きして6時32分発はやぶさ1号に乗り、岩手県野田村、譜代村、野田畑村、岩泉町を訪問しました。どこも桜が満開です。


完成した災害公営住宅、工事の進む高台移転予定地を視察しました。
三陸鉄道が全線開業し、さけの稚魚の放流も再開、復興が着実に進んでいる事を実感しました。
しかしまだ仮設住宅での生活を余儀なくされている方々もおられます。住まいと生業の再生を更に加速させて行きます。
桜の向こうに見えるのが三陸鉄道です。ゴールデンウィークはきっと賑わう事でしょう。

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▼安倍晋三事務所携帯版HP
http://www.s-abe.jp/
*メルマガの配信元です。

■この岩手訪問はテレビ各局でも取り上げられ、住民との交流や三陸鉄道の赤字に金模様のレトロ車両乗車、鮭の稚魚放流の様子、携帯電話のカメラで写真を撮る様子が放送されていました。
この訪問には根本復興相、鈴木元環境相、坂井国交兼復興政務官が同行。
根本さんは安倍さんの側近、鈴木さんは「盟友」(メルマガ、12.4.8)、それぞれ福島2区と今回訪れた町村を含む岩手2区選出でともに被災地出身かつ岸田派における安倍シンパの代表格です。
神奈川5区が地盤の坂井さんは隣接する神奈川2区選出の菅官房長官に近いといい、昨年9月の副大臣・政務官人事では2人しかいなかった再任組の1人(もう一人は安倍さん側近で福島1区選出の亀岡内閣府兼復興政務官)であり、今回岩手に安倍さんに近い顔ぶれが揃ったことは、安倍さんが震災復興を重視して側近を担当役職に充てていればこそでしょう。

23日に法人税の実行税率引き下げを目指す党中堅・若手の有志からなる議連「次世代の税制を考える会」は「裏には菅氏や竹中平蔵元総務相の姿が見える」(『朝日新聞』14.4.24朝刊)とされますが、その幹事世話人の鈴木馨祐衆院議員は神奈川7区選出であり、こちらも同じ神奈川の菅さんに近いかというのは、そこからも窺えるでしょう。
党税調には野田元自治相や宮澤参院政審会長代理といった旧大蔵省出身の幹部が揃って法人減税に慎重であり、議連はそれに「対抗する狙い」があるとされますが、鈴木さんが実は財務省出身であることには注目されるでしょう。

■27日投開票の鹿児島2区補選と沖縄市長選ではともに与党の推した候補が勝利。
沖縄市長選では桑江前県議が当選しましたが、選挙の争点は「革新市政の継続か刷新」(『産経新聞』14.4.28-0:54)。
共産・生活・社民各党などが推薦した島袋前副市長は今の東門市長直系の革新系で、それが否定されたことは、1月に米軍普天間基地移設先の辺野古のある名護市長選で敗れ、11月に県知事選を控える政府が、態勢を着実に立て直していることを証明したと言えるでしょう。
今の仲井真知事は進退を明らかにしていませんが、県議会が昨年12月の辺野古移設容認に対して1月に辞任要求を決議していることもあり、進退に言及していないのは知事としてレームダックになるのを嫌っているためかもしれません。
党沖縄県連は3月29日に西銘前国対副委員長を会長に選出、またいずれも会長経験者の具志、新垣、翁長各副会長を配して「県知事選に向け臨戦態勢に入っ」(『産経新聞』同日20:52)たと伝えられていますが、仲井真氏不出馬の可能性も視野に入れているのではないでしょうか。

鹿児島2区では金子元県議長が当選しましたが、安倍さんが総裁に復帰して最初に迎えた国政選挙は宮地両院副総会長が7選して国政復帰を果たした同じ鹿児島で隣の3区だったのであり、安倍さんの出身の長州山口と江戸末期に同盟関係を結んで日本を変え、明治政府ではライバルとなった薩摩鹿児島の補選で連勝して、政権は好調と世論の支持・評価を再確認しました。
アベノミクスの本丸たる成長戦略の根幹となる一方、3区を含む鹿児島県内で盛んな畜産に関わると指摘される日米TPP交渉は23〜25日のオバマ大統領来日でも決着を見ませんでしたが、それが補選に影響していた可能性もあるとすれば、まとまらなかったのはむしろ好ましかったと言えるでしょう。
成長戦略としてのTPPは交渉事である以上、関税についての歩み寄りはあって当然なのであり、アメリカにとっても成果となる妥結発表はこれから議会中間選挙のある11月までの間、かつ日本国内では予想される党内や野党の反発を抑えねばならないことを考えれば6月末の国会閉会間際、内閣改造・党役員人事の直前というのが望ましいタイミングでしょうか。
オバマ氏来日ではアメリカが日本の集団的自衛権行使解禁を歓迎・支持することや、尖閣諸島が日米安保条約第5条の適用対象であることが確認されました。
安倍さんはまた日米同盟は「アジア太平洋地域の平和と繁栄の礎」と述べましたが、日米同盟が単に両国の問題に止まらないで「アジア太平洋地域」に関わるのは、第6条=極東条項がアメリカは基地の提供を受けて「日本国の安全」に加え「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与する」と定める理念に合致すると言えるでしょう。
第6条は岸元首相が第5条の集団的自衛権がアメリカに片務的なのを補うためにセットにしたものですが、それは翻って現在、28日にも南シナ海問題に関して米軍のフィリピン再駐留が決まったような今の極東情勢にも適うのであり、安倍さんによって集団的自衛権が双務化されても、今やそれ自体自存的な意義があるはずです。
岸さんが54年前に残した日米同盟ひいては親米保守主義という「高度な保守」は、古くて新しい治績であったと言うべきでしょう。

さて、選挙では自民・公明の与党が金子さんを推したのに対し、民主・維新・結い・生活の野党4党は民主党を離党して無所属となった打越前衆院議員を推薦して闘って敗れましたが(惜敗率は7割以下)、中央政界では野党再編が依然模索されている現状があり、打越陣営の構成は注目に値するでしょう。
野党再編の現在の急先鋒の結いの江田代表は「どんなに遅くても、夏までには結いの党はなくなっている」(『朝日新聞』14.4.24朝刊)と述べて会期末にも維新と合流することを目指していますが、同じく再編に積極的な維新は旧太陽系を除く大勢がそれに呼応し、橋下共同代表も「来春の統一地方選を念頭に「野党再編の形をどんなに遅くとも夏までには固めてもらいたい」と指示」(『朝日新聞』14.4.27朝刊)、一部では与野党「接戦」ともされた補選直前の25日には参院で統一会派が組まれていたのであり、両党協力の象徴だった打越氏が勝利していれば政権に敵対する野党再編を勢いづかせていたに違いないことを考えるなら、この勝利は大きかったはずです。

みんなの党を離党して結いに参加した議員の中には、12年総選挙において維新の根拠地である大阪に隣接する兵庫でみんなの党から比例復活当選した畠中国対委員長と井坂幹事長代理(それぞれ7区と1区)が含まれていて、それは結いがまず維新との合流を目指すのに符合しますが、逆に、維新の比例近畿当選議員の中には結いとの合流に否定的な旧太陽系の三木、三宅両衆院議員(それぞれ兵庫5区で復活と単独)が含まれています。
維新・結いの参院統一会派の代表となった片山参院議員会長が「(合併の)方向に行くのは望ましい」(『朝日新聞』14.4.26朝刊)と述べているように旧太陽系が一律に野党再編に否定的であるとは言えないため三木、三宅両氏のスタンスは不明ながら、仮に否定的であるのだとすれば、同じ兵庫選出でみんなの党から結いに移って維新と合流したい畠中、井坂両氏とは維新とくに橋下氏からの引力の及び方が全く対照的であると言えるでしょう。
また逆に、三木氏は12年総選挙の惜敗率が5割を切る49.17%、比例名簿3位での優遇と近畿における維新ブランドで当選した経緯があるのを一例にすれば、地盤の弱い議員の多い旧太陽系は野党再編に反発して離党、保守系新党を結成しても次の選挙での展望は開けないだろうため、橋下氏などに抵抗することはないかとも考えられるでしょうか。

「橋下氏の勢力圏の旧太陽系」である三木氏は野党再編に関する維新内部のジレンマの直中にあるかもしれませんが、悩ましい立場にあるのは旧太陽系を率いる石原共同代表も同じでしょう。
石原氏は野党再編に関する橋下氏の「方針を容認したという」(既出27日『朝日新聞』)とされる一方、同じ席上「「みんなの党の方が考え方が近い」と異議を唱えた」(『産経新聞』14.4.27-11:30)ことも報じられています。
もっとも、みんなの党は結いの分離で維新全体との距離は離れているほか、旧太陽系とみんなの党は集団的自衛権の問題を含む憲法観は共通でも、旧太陽系には平沼国会議員団代表や藤井同総務会長などかつて郵政民営化に反対して自民党を離党している議員もいて、民営化路線堅持で菅さんとも協力する渡辺前代表以来のみんなの党とは経済政策が大きく異なるのであり、維新が結いよりみんなの党と再接近したり、旧太陽系が仮に分離するとしてもそのときみんなの党を当てにする可能性はほとんどないのでしょう。
旧太陽系が今のところ維新で一体的なまま野党再編に流されているのは、そのような行き詰まりや上述の三木氏が典型的と言える選挙事情によるものと考えられますが、それには皮肉にも、同じ保守派の第2次安倍政権の好調も影響しているかもしれません。
27日7:55の『産経新聞』によると江田氏は維新との合流に当たって「旧太陽の党系を「国粋主義者」として排除を狙っている」とされます。
それは橋下氏が「結いに配慮し、結いと結ぶ政策合意には集団的自衛権を明記しないよう主張した」というように「政策で妥協してでも結いに歩み寄る姿勢を強め」ているのに乗じて交渉において踏み込んだものかとも思え、江田氏としても旧太陽系の選挙事情という足下を見て、真意は数を意識して旧太陽系が「国粋主義」色を抑える(橋下氏が旧太陽系を操縦できる)なら分裂による「排除」が絶対条件ではないと思われますが、旧太陽系がそれに堪えずに仮に分離、保守系新党を発足させたとしても先述のようにその展望が開けないのには、第2次安倍政権が保守層にとって既に現実的な選択肢として現にあることも関係しているはずでしょう。
そしてそれはリアリストという評価のある安倍さんの保守主義が穏健であるがゆえにウィングが広く、アベノミクスの好調と併せて保守層から無党派層あるいは一部リベラル層まで含めて広汎に訴求していることを意味していると言えるほか、国民によく応えて世論がラディカルに右傾化するのを防ぎ、その健全性を確保していることも指摘できます。
維新と結いの野党再編が進むにつれて旧太陽系の動向に焦点が当たっていますが、それが萎縮するにせよあるいは分離・新党結成に打って出て恐らくは挫折するにせよ、それは他の保守勢力が安倍さんの果報に中てられてしまったということかもしれません。
それはとりもなおさず、野党再編の側面で、「あるべき保守」もしくは「保守の現実」が示されているということにほかならないでしょう。

なお橋下氏は結いとの合流に前のめりになって政権と共有する集団的自衛権の行使解禁への姿勢を後退させているということが指摘されていますが、それは恐らく橋下氏の戦略ではないでしょうか。
橋下氏や松井幹事長は安倍さんや菅さんあるいは民主党保守派の前原元代表との距離が近いのであり、当面は江田氏に譲歩しても、結いと合流して新党で維新系が多数派として主導権を得れば集団的自衛権に関する主張を復活させることはなお考えられるのかもしれません。
そうだとすれば、旧太陽系が既述のように見通しの厳しい分離・新党結成に走るのは拙速で、維新に留まるのが賢明だと言えるでしょうか。
維新と結いの野党再編の見通しはまだ多分に不透明ですが、それが座礁するなら御の字、進捗しても新党で橋下氏や旧太陽系が主導的になれば政権がそれに介入、国会で多数派工作できる余地は十分にあると言えるかもしれません。


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休日の過ごし方 ケータイ投稿記事

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+--【安倍晋三です】--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+

昨日、桜とお天気に誘われ、久しぶりに日本橋三越に買い物に出掛けました。


平成元年の消費税3%導入時、竹下総理も同じ三越に出掛け、1万5千円のネクタイを買って消費税450円支払ったとの事でした。
私は靴、本、佃煮、ヨーグルト等約4万円の買い物で2958円の消費税を支払いました。
当時の3%から5%を経て8%と大上がりました。今回の引き上げは、伸びていく社会保障費に充てると共に子育て支援の充実の為にも使って行きます。
写真の本は、先般お目にかかったエコノミストの方々のお話が大変興味深く、売り場にあったお三方(嶋中雄二氏、永濱利廣氏、原田泰氏)の本を購入したものです。

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+--【安倍晋三です】--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+

我が家の庭のリンゴの木とアカバナマンサクに綺麗な花が咲きました。
今日のお昼は、花を愛でながらゆっくりしています。

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■一通目にある「日本橋三越」は、1904年12月に開業した前身の「三越呉服店」以来の、日本初の百貨店。
戦後1949年7月には下山事件で旧国鉄の下山総裁が失踪した現場となり、89年4月と今次14年4月には消費税に関連して時の首相が率先して消費に現れて、東京の中心で歴史の舞台になっていると言えるでしょうか。

■二通目ではゆっくりとした休日の昼を過ごしたことが伝えられていますが、報道からは、休日やあるいは平日でも公務を終えた夜などに、政治的な意図を伴うと見られる日程がしばしばあることに注目されるでしょう。
例えば安倍さんは6日、茅ヶ崎市で佐藤国対委員長や公明党の北側副代表などとゴルフを楽しんでいますが、これが集団的自衛権の問題を意識したものであったことは間違いありません。
佐藤さんは3月25日に安保法制懇が報告書を提出する時期について「5月の連休明けでもいい」と述べたほか、公明党との議論の状況から「今国会での閣議決定は困難との見通しも示した」「関連法案についても「(秋の)臨時国会で仕上げることにはならない」と述べた」(『産経新聞』同日20:16)などと報じられています。
佐藤さんは谷垣グループの所属ですが、その領袖の谷垣法相は親中リベラル・党内左派の重鎮で、3月7日には「憲法解釈があまりに不安定だと国家のあり方そのものも動揺してしまう。憲法解釈は極めて安定性がある必要がある」などと述べて「慎重な考えを示した」「解釈変更を目指す首相に一定の距離を置く姿勢を鮮明にした」(『朝日新聞』14.3.8朝刊)と報じられているほか、3月1日の記事でも紹介したように2月12日にはグループの会合で逢沢元国対委員長とともに対中韓外交の点から政権を批判、同じく谷垣グループの川崎元厚労相も5日に「なぜ今、集団的自衛権なのか。自民党議員でもよく分からない」(『産経新聞』同日16:52)と発言。
佐藤さんもそれらに歩調を合わせて、党内では集団的自衛権に否定的なリベラルに位置づけられるということでしょうか。
また、これまで国対委員長のほか同代理や同筆頭副委員長を歴任していて国対経験が長く、公明党との連絡が密であるとすれば、そうしたことも集団的自衛権に対するスタンスと符合するでしょう。

さて、2日18:24配信の時事通信の記事によれば安保法制懇はその後、報告書の提出時期を政府が当初検討していた4月中から「5月に先送りする方針を固め」ており、実際に佐藤さんが語ったような日程になっています。
ところで、佐藤さんが上記の発言をした3月25日は実は安倍さんが核セキュリティサミット出席のためハーグに外遊していて日本を離れていた時期に当たるのであり、ではそれを踏まえたとき、佐藤さんの発言はどういう性質のものであったと考えられるでしょうか。
それについて3月26日11:30の『産経新聞』は「首相を支える立場の党の国対責任者から先送り論が飛び出したことは、官邸に強い衝撃を与えた」と指摘しており、それに基づけば、佐藤さんの発言は執行部の一員として官邸の意向を受けて譲歩する考えを示した計画的なものなどではなく、先述のように党内左派の系譜の佐藤さんが、安倍さんの不在の間に踏み込んだものだったと考えるべきなのかもしれません。
そして、それから12日後の6日のゴルフでは、安倍さんが佐藤さんを懐柔しようとしたかと考えることは可能でしょう。

佐藤さんが国対委員長に同代理から昇格して就任したのは13年10月、第2次安倍政権が発足してから唯一の閣僚・党幹部の交代ですが、それは前任の鴨下元環境相が前月末に再任されてまもなく体調不良により辞任したのを受けて急遽決定したものだったのであり、安倍さんに近い腹心として起用されたのではなかったと言えるでしょうか。
国対委員長には谷垣執行部の川崎さんや逢沢さんなど総裁の側近が起用されることもありますが、安倍さんの場合は第1次政権期には二階元総務会長と大島前副総裁という国対通のベテラン、今の第2次政権ではいずれも石破幹事長に近い浜田幹事長代理と鴨下さんや先述の佐藤さんなど、国対委員長に側近を充て(られ)ていないことが注目されます。
今の通常国会閉会後にも行われる人事では国対委員長ポストに関して、就任して一年経たない佐藤さんの再任ももちろん考えられますが、異動のあった場合、側近が起用されることはあるでしょうか。

■集団的自衛権を巡っては谷垣グループなどの党内左派のほか参院に慎重論が強いことも指摘されていました。
その中心は脇参院幹事長であり、その背後には同じ額賀派のOBの青木元参院議員会長の存在が伝えられましたが、それに対抗して、党内の意見集約に向けて参院に対しても懐柔策が採られていることは指摘せねばなりません。
安倍さんは9日の夜に脇さんや山本参院幹事長代理などを公邸に招いていますが、同日23:46の『産経新聞』によると、そこで安倍さんは「「さまざまな諸課題があるが、今国会で決めるべきものは決める」と述べ、参院側の協力を求めた」というのであり、それが「集団的自衛権の行使容認を念頭に置いた発言とみられる」というのはもはや明らかでしょう。
当日のことについて紹介している山本さんや若林副幹事長のブログ記事それに新聞各紙の記事によると、招かれたのは参院幹事長室のメンバーのうち吉田参院幹事長代行を除いた9人で、政府からは世耕官房副長官が同席、1時間半ほどの会食が持たれたとされます。
また記念撮影も行われたということですが、その後の『読売新聞』朝刊によると、それは出席者が安倍さんを前列中心に雛壇に並んでさながら組閣の際の写真撮影のように行われ、その中では安倍さんの右隣の脇さんが「副総理」、左隣の三原参院副幹事長が「女性閣僚」に擬せられたといい、その様子は出席した西田副幹事長のブログ記事で確認されます。
脇さんは3月初めには「「原点から議論し直し、一から方向性を作り直そう」と述べ、行使容認を前提とせず党内議論を進めるよう求め」(『毎日新聞』14.3.10-23:15)ていて、そのハードルは高かったと言えますが、同月25日に総裁直属で設置された安保法制整備推進本部では本部長代理に就任、今月4日にも「憲法に違反せずに国家としてやるべきことが定まれば、それを限定してやればいい」と述べて、高村副総裁が首唱する「限定容認論」に理解を示しています(『産経新聞』同日17:12)。
砂川判決を論拠にした「限定容認論」が戦略になっていった経緯は20日の『朝日新聞』朝刊に詳しく、それによれば3月6日の安倍・高村会談で高村さんが「集団的自衛権を十把一絡げで全部認めるとか、だめだとか言う議論は間違い」と訴え、安倍さんもそれに同意、高村さんは翌7日に党の会合で「必要最小限のもの」に言及し、31日に「公開の場で砂川判決に触れた」とのこと。
ところで、上記『朝日新聞』は高村さんが砂川判決を引用したことで「党内で容認論が大勢を占めるようになった」と指摘していて、それが政府の戦略として奏効したことは確かな一方、しかし集団的自衛権の行使解禁を「改憲」でなく「憲法解釈の変更」で実現しようとする上では不可避の妥協でもあったと言えるでしょうか。
脇さんはその31日に「(自身の考えは)ほとんど副総裁と同じだ」(『毎日新聞』14.3.31-22:41(最終更新23:32))と述べて歩み寄っていますが、政府が限定容認論という妥協を打ち出す一因ともなったと言える参院の慎重姿勢をリードして、存在感を存分に誇示したのは間違いありません。

そのように脇さんは既に政府に協力する姿勢に転じていますが、9日夜の会食は安倍さんがそれに報い、関係を補強しようとしたものだったのでしょう。
参院3選の脇さんは入閣の有力候補であり、組閣を思わせる形式で記念撮影をしたのは、次の人事での入閣を暗示して今後の協力を確実に取り付けようとしたものだったかもしれません。
また、参院4選の世耕さんは脇さんや山本さん以下が公邸を訪れた9日の他にも、2月28日にいずれもやはり参院額賀派の吉田さんおよび石井副幹事長が公邸に招かれて会食したのにも同席、既出3月26日の『産経新聞』が「連日、脇氏らと連絡を取り合い、説得と動向把握を続けている」とするように安倍さんの側近として奔走しており、こちらも入閣有力でしょう。
公邸での会食や週末のゴルフ、あるいはテレビ出演などのセレモニーを積極的に用いるのは、安倍さんの政治手法の特徴の一つであると言えるでしょうか。

■上述のように限定容認論を首唱して党内議論の集約に貢献した高村さんは集団的自衛権に関する与党協議で自民党の責任者を務めていますが、対する公明党の責任者は北側さん。
6日のゴルフに佐藤さんとともに北側さんが招かれたのは、集団的自衛権の問題で与党協議を円滑にしようという狙いと無関係ではなかったでしょう。

弁護士でもある高村さんは外相や防衛相、党外交再生戦略会議議長を歴任しているほか法相も務めており、砂川判決を論拠とする限定容認論は、高村さんならではの戦略だったと言えます。
3月15日の記事でも述べたように安倍さんはそもそも安保法制整備推進本部長には当初高村さんを想定していたともされますが、では実際に本部長に起用された石破さんの動きはどうでしょうか。
本部では他に浜田さんが筆頭副本部長、中谷特命担当副幹事長が事務総長、岩屋元外務副大臣が事務局長にそれぞれ起用されていて、いずれも石破さんに近い安保政策通が幹部に揃っていますが、先述のように、党内議論は安倍さんに直結する高村さんが主導したのであり、石破さんのラインが存在感を発揮したとは今のところ言い難いでしょう。
更に、石破さんは今月2日つまり高村さんが砂川判決を引用して限定容認論で党内をまとめる方向づけをしたわずか2日後というタイミングで、「公明党の理解を得る狙い」から「解釈変更の閣議決定を先送りしたうえで、自衛隊法など個別法の改正で対応することを提案」、しかし「安倍首相は…難色を示し」た(『朝日新聞』14.4.20-20:24)と報じられたように、日米安保体制の高度化を祖父の岸元首相以来の課題とする安倍さんと、安保政策通の石破さんは、集団的自衛権の行使解禁という目標は共有していても、そのための方法論に差異があることも窺えます。
それはそのまま両者の依然微妙な距離感を物語るものにも見えますが、あるいは双方の強い「思い入れ」によって、主導権を巡る角逐があるということなのでしょうか。
石破さんは次の人事では入閣の可能性が高いですが、集団的自衛権の議論で安倍さん自らが主導的である現状に鑑みれば、外交・安保政策には直接関わらない重要閣僚、例えば総務相などで処遇されることが考えられるかもしれません。


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日英関係から ケータイ投稿記事

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+--【こんばんは安倍晋三です】--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+

今日も朝から核セキュリティサミット行われました。
その合間を縫って二国間会談を行っています。昨日もイタリア首相、カザフスタン大統領に加えオランドフランス大統領、キャメロン英国首相と会談いたしました。
今日はEU委員長、議長、ハーパーカナダ首相、メルケル独首相と会談を行い、二国間そしてウクライナ情勢、アジア情勢等について議論しました。


また昨晩の国王主宰の晩餐会で私の両隣の席のリトアニア大統領、ノルウェー首相、両女性首脳とも様々な課題について率直な意見交換を行う事ができました。
同じ捕鯨国であるノルウェーとは科学的検証の意義、妨害行為の問題点について話し合いました。
デザートの際、私の隣席に移動された国王陛下と日蘭の交流の歴史についてお話をする栄に浴しました。

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■本文中登場するキャメロン首相のイギリスについて、日英が安全保障の面での関係深化が進んでいることには頓に注目されます。
13年10月24日の『朝日新聞』朝刊は、当時進んでいた日本版NSC設置の動きを契機に日英が「急接近」したことを指摘、早く10年5月にNSCを設置しているイギリスは「ノウハウを日本に提供」、「日英協力の利点について「同じ議院内閣制で、意思決定のプロセスが似ている」としている」とします。
第1次安倍政権期に日本版NSC創設を提言している森本前防衛相は13年2月10日の『日経新聞』朝刊紙上で「日本版NSCは、大統領制である米国のNSCというよりは、選別して効果的な情報を上げられる英国版をモデルにしている」と語っており、それは上記『朝日新聞』にある「日英協力の利点」に通じるでしょう。

ところで、上出『日経新聞』で森本さんは「NSC担当の首相補佐官と官房長官の権能をどう分担できるか」と提起して「補佐官に情報が集まるよう権能を高めた方がいい」とする一方、ハーグにも安倍さんに同行したその「補佐官」の礒崎首相補佐官は「情報は基本的に官房長官に集約すべきだ」と語っていて、相違が見られます。
どちらに情報を集約するにせよ両者が官房長官と国家安全保障担当首相補佐官の位置づけ明確化の必要性を主張するのは、第1次安倍政権で官房長官だった塩崎政調会長代理と補佐官だった小池元総務会長が対立したことを踏まえたものだと言えますが、現在は安保法制懇の座長代理を務める国際大学の北岡学長はおそらくそれを念頭に、12年6月にまとめた『国家の危機管理機能・長期戦略立案に関する提言』の中で「国家安全保障問題担当の補佐官が首相官邸内で孤立することがあっては…本来の創設の趣旨も達成できないため…この補佐官を「国家安全保障担当官房副長官」と定め…内閣官房長官に直結する位置付けとする」としています。
では、それでも13年12月に発足した日本版NSCで「国家安全保障問題担当の補佐官」に首相補佐官が選ばれた理由は奈辺にあるのでしょうか。
北岡さんは『提言』の中で官房長官について「時には「安全保障問題担当」の側近として、国家の安全保障問題や国家安全保障に係る危機管理において…判断を下すこともある」としていますが、官房長官のそういう職掌を同副長官に「補佐」させることは、ひいては日本版NSCにおける官房長官の存在感を高めるかもしれません。
また、逆に、官房長官からの独立性が同副長官に比べて強い首相補佐官に「補佐」をさせることは、日本版NSCにおいて官房長官をやや抑制して、むしろ首相の指導力をより明確にする効果があると考えられるでしょうか。
官房長官より首相が主導的であるのは「官邸主導」のあり方としてはより高度・進化的であり、それを目指す安倍さんが「国家安全保障問題担当の補佐官」に官房副長官でなく首相補佐官を選んだのは、そういう志向が反映されたためだったかもしれません。

06年8月23日の『産経新聞』によれば、安倍さんの日本版NSC創設構想には前月7月に北朝鮮がミサイルを発射した際の「教訓」の影響があったといい、第3次小泉改造内閣の官房長官だった安倍さんが「北朝鮮に対する国連決議を行う際、頻繁にハドリー米大統領補佐官と連絡を取り合った」と明かしていることが伝えられています。
ハドリー氏は国家安全保障担当大統領補佐官としてまさに「国家安全保障問題担当の補佐官」でしたが、アメリカで官房長官(閣僚)に比定されるのは強いて言えば大統領首席補佐官(非閣僚)であるため、官房長官の安倍さんは本来ではハドリー氏のカウンターパートとしては不自然だったかもしれません(当時は国家安保担当の首相補佐官は置かれていなかったのでやむを得なかったでしょう)。
その点、翌9月に首相になった安倍さんが小池さんを任用してハドリー氏のカウンターパートとなる国家安保担当の首相補佐官を置いたのは「教訓」を生かした「正常化」だったと思われますが、官房長官として国家安保担当大統領補佐官と相対した安倍さんが、首相としては(官房長官ではなく)国家安保担当の首相補佐官をそのカウンターパートとしたということも、日本版NSCにおける官房長官の相対的抑制と、それと表裏一体の、首相の指導力強化による官邸主導の高度化に符合すると言えるでしょう。
06年10月12日『朝日新聞』朝刊は第1次安倍政権期の安全保障会議(NSCの前身)について06年10月の「首相が訪韓で不在の中、北朝鮮による核実験実施の兆候を受け」て開かれた際のを例として「仕切り役は塩崎官房長官で、正式メンバーでない小池氏は目立たなかった」と伝えていて、日本版NSC創設への過渡期であった当時はまだ官房長官が主導的だったことが窺えます。
しかし以上のように考えると、礒崎さんと森本さんで相違の見られた、「NSC担当の首相補佐官と官房長官の権能をどう分担できるか」との課題については、森本さんの主張するとおり「補佐官に情報が集まるよう」にすることが基本になっていくのかもしれません。
その点、日本版NSCが創設されてまもない現在は菅官房長官が「国家安全保障強化担当」の特命を帯びていて、その辣腕が官邸機能強化に欠かせないことは既に定評ですが、長期的には、官房長官と国家安保担当首相補佐官の権限調整や住み分けは課題になっていくのかもしれません。

上出『朝日新聞』は、安倍さんが「首相官邸主導の政治をめざして…大統領が強い権限を持つ米国のホワイトハウスを意識し」ていると指摘しており、そのために首相補佐官を重用することで官邸にホワイトハウス的な機能を、首相に大統領的な権限を備えようとする上ではアメリカのNSCを模範とすることも少なくなかったはずですが、それは安倍さんが上述のハドリー氏との接触を奇貨としただろうのに加え、同『朝日新聞』によれば日本版NSC創設は「旧知」の間柄だという米知日派を代表するマイケル・グリーンCSIS上級副所長の「助言を得ながら、温めてきた構想だ」ということからも明らかでしょう。
その上でハードルとなるのが、日本およびイギリスは議院内閣制でアメリカは大統領制という、森本さんも言及する政体の違いでしょうが、同上『朝日新聞』は日米英各国の官邸の仕組みを比較して、むしろ米英を同類項で括って日本と区別しています。
すなわちアメリカについては「行政権限について…実質的に大統領に集中している」「補佐官は…既存の省庁に頼らずに大統領に政策を提言できる」、イギリスについては「首相や閣僚を補佐する特別顧問の制度」を紹介、その中の「首相官邸担当のうち3人までは官僚への指揮命令権も持つ」などとし、一方の日本については「行政権は合議による内閣にある」「構造的に省庁の発言力が強くなる」などと指摘。
イギリスについてはまた北岡さんも『提言』の中で10年5月12日のキャメロン政権発足と同時に英国版NSCが発足してアフガニスタン戦略やリビア空爆作戦、対イラン制裁強化などの課題で「意思決定の中心的な役割を担っている」ことと、そこでは「国家安全保障補佐官…が首相に有益な助言を行」っていることを挙げていますが、その「国家安全保障補佐官」がアメリカの国家安保担当大統領補佐官に準じるものであることや、上記「首相官邸担当の特別顧問」と何らか関係するかということは十分考えられるでしょう。
それらに基づけば、米英と日本は補佐官や特別顧問といった側近を梃子にした省庁への主導権のレベルで区別されることになり、日本と議院内閣制を共有するイギリスは、アメリカとは官邸の省庁に対する指揮権や主導権の強さを共有している、ということになります。
すなわち議院内閣制を採りながら首相官邸の機能強化の進んでいるイギリスのそういう努力が、日本にとってNSCを創設する上で示唆的だったのでしょうか。
そうだとすれば、日英は須くして安保・インテリジェンス政策で協力を深めたと言えるでしょう。

■日本は1858年6月に江戸幕府がアメリカ総領事ハリスとの間に結んだ日米修好通商条約により対外的な片務的領事裁判権(治外法権)を承認していましたが、それを撤廃できたのが、1894年7月の日英通商航海条約の締結という日英関係においてのことであったのには注目してよいでしょう。
イギリスは当時その世界戦略でロシアと緊張関係にあり、長州は吉田松陰先生の松下村塾出身の山県有朋はその第1次内閣で首相だった90年3月の『外交政略論』でシベリア鉄道敷設によるロシアの南下を引いてそれを指摘、1900年5月の義和団事件を契機にロシアが満州を占領したのを警戒して、朝鮮半島を「利益線」とする日本と、威海衛を租借地、長江流域を勢力範囲として中国大陸に権益を有したイギリスの利害が一致することから日英同盟を主張し、それは02年1月に実現しています。
イギリスは当初ロシアへの備えには山東省を勢力範囲とするドイツを期待して00年10月に揚子江協定を結んだものの、ドイツが満州問題に関与することを嫌ってイギリスの構想が座礁したところに日本が積極的に参入して日英同盟が成立したという経緯がありますが、その2年後には日露戦争、先んじて日英通商航海条約締結の翌月には日清戦争が始まっていて、日英関係が日本の意を強くさせていたことが窺えるのであり、日英関係は当時の日本の外交機軸だったことは明らかです。

日英同盟は第1次世界大戦の後1921年12月に太平洋問題に関する日米英仏の四ヵ国条約が結ばれて廃棄されていますが、翌22年2月には中国問題に関する九ヵ国条約が結ばれて日本はアメリカとの石井・ランシング協定も廃棄。
1919年6月来のヴェルサイユ体制に飽き足らなかったアメリカの巻き返しにより日本がそのようにワシントン体制でマルチの関係に取り込まれる一方で米英とのバイの関係を失っていったことは、それに抗しきれず国際社会の枠組みづくりで後手に回り外交的孤立に陥っていくことの凶兆だったとすべきでしょうか。
そういう意味では、今は成熟した日英関係は、戦前のその変遷が、現在の外交のあり方に少なくない示唆をしているのかもしれません。
また、日英同盟協約第三条に基づけば日露戦争にフランスの同盟国ロシアが参戦すればイギリスも参戦して日本と「共同戦闘ニ当ル」ことになっていたものの、しかしイギリスがそれを嫌って、フランスの参戦阻止の保険を求めたことが、開戦から程なくして外交革命とも称される画期的な英仏協商の締結(04年4月)された一因となり、第三条をこの場合事実上骨抜きにしていますが、それは外交の冷徹さを物語っています。
1907年6月の密使事件の舞台として日韓因縁の地であるハーグでは中国や北朝鮮の問題を意識したアメリカが取り持って日米韓3ヵ国首脳会談が行われましたが、対して中国は米中韓の枠組みを極東に形成して日本の孤立化を図っているとされるのであり、安倍さんがそれに抗して3ヵ国首脳会談を重視したのは戦略的・理性的で、対立国の陥穽に飛び込んで戦前の蹉跌を繰り返すべきでないという大命題に合致します。


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