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稚内空港到着後、最初に訪れた「稚内港北防波堤ドーム」
バスの中から撮影
高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m
柱の総数70本、半アーチ式構造
2001年に北海道遺産に指定されています。 「稚内港北防波堤ドーム」は
北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき
ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で
昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤です。
半世紀を経て老朽化が著しかったため
昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ
昭和55年に景観がよみがえりました。 樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり
古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は
世界でも類のない建築物だそうです。
海上保安庁くにがみ型巡視船「りしり」、フェリーからの撮影です。
「稚泊航路記念碑」(バスの中から撮影)
大正12年、鉄道省により稚内〜大泊間に連絡航路が開設。
終戦の昭和20年8月に閉鎖されるまでの22年間の業績を讃えるため
昭和45年11月に建立された記念碑です。
「稚泊連絡航路」22年の歴史の中で行き来した乗客は
なんと284万人にものぼるそうです。
【碑文】
この地稚内から、いまは異国の地、樺太大泊に、国鉄稚泊航路が開設されたのは、宗谷線が稚内まで全通した翌年の大正12年5月1日である
「この航路は、167キロの海上を約9時間を要し、ときに宗谷海峡特有の濃霧、あるいは結氷、流氷との悪戦苦闘により守られてきた
昭和2年砕氷客貨船亜庭丸(3,355トン)、昭和7年最新鋭船宗谷丸(3,593トン)が就航するに及び、その往還は飛躍的に繁栄の一途をたどってきた
しかし、終戦直後の昭和20年8月24日18時、22年にわたる歴史的使命を終え、その幕を閉じたのである
いまここに星霜20有余年、稚内桟橋がその面目を一新するときにあたり、有志相図り稚泊航路の輝かしい業績と、幾多先人の苦労を銘記してこの碑を建立し、永久に記念するものである
昭和45年11月吉日
有志を代表して
旭川鉄道管理局長 深沢今吉
稚内市長 浜森辰雄 「大泊港」を調べました。樺太南端の港です。
当時、「樺太−小樽」間 航路もあったんですね。
敗戦により、稚内の歴史が大きく変わった様子が伺えます。 |
2018礼文島・利尻島
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