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旅行2日目
まずは、礼文島「うにむき体験センター」に行きました。
「活きたウニ」の殻を自分で割って「食べる」ことができます。
礼文島で採れるウニは
北からの「リマン海流」と南からの「対馬暖流」がぶつかる、栄養豊富な海で、最高の「利尻昆布」を餌に、養分をたっぷり蓄えた、「磯の味の王様」と言われています。
ウニは、「クスリ臭くて、苦い」から嫌い!という方、いらっしゃいますよね。
「クスリ臭さ」や「苦み」の原因は、ウニではなく、「ミョウバン」にあります。
生のウニは、そのままの状態だと2日程で融けてしまいます。
カタチが崩れるのを防ぐために「ミョウバン」を使います。
「ミョウバン」を添加する事により、組織を引き締め、身崩れを起こしにくくする効果があります。
「ミョウバン」を使うと、味は犠牲となり「クスリ臭さ」や「苦味」が出てしまうそうです(^^;
新鮮なウニは、「ミョウバン」を使う必要がないため
「市販のウニ」は苦手でも、「新鮮なウニ」は「美味しい」と感じる方が、多くいるそうですよ〜♪
ウニの割り方は「簡単」です。
赤い色をした「ウニ専用の殻むき器」を、ウニの真上から刺して、数回たたき「パカッ」と開けるだけ
あとは、スプーンでウニを取りだし、海水に浸して、「内臓」や、中に残っている「えさの昆布」を取り除きます。 関東では出逢うことのなかった「新鮮なウニ」を、味わうことができました(≧▽≦)
↓よかったら、動画も見てくださいね♪
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2018礼文島・利尻島
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宿に到着後、周辺を散歩しました。
「気温10℃」関東と比較して10℃以上低いです(^^;
礼文島のゆるキャラは「あつもん」
由来は、礼文島のみに生息する野生のラン「レブンアツモリソウ」です。
先ほど乗船したフェリーが「稚内」へ向かいます。
翌日早朝、部屋から望む「利尻富士」
この日、発達した低気圧の通過により、関東以北は荒れ模様
運良く「稚内周辺」は雨マークがついていませんでした。日頃の行いかな(笑) 窓をあけると「カモメ」が近くまで飛んできます。
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「稚内港」から、礼文島「香深(カフカ)港」を目指します。
「稚内港」フェリーターミナル(写真左)を出港。
右手に「北防波堤ドーム」が見えます。
稚内の街並み
稚内港北防波堤灯台(高さ:15メートル)
「北防波堤ドームの背中」(≧▽≦)
利尻港から「利尻富士の山頂」が見えました。
どんな姿を現すのか、とても楽しみですヾ(≧▽≦)ノ
ノシャップ岬と利尻富士
今回の旅で一番観たかった「残雪利尻富士」が全景を現しました。
実際の利尻富士は、予想以上に雄大で感動しましたヾ(≧▽≦)ノ
ノシャップ岬の北端の灯台は、「出雲日御碕灯台」に次ぐ
全国第2位の高さ(塔高:43m)を誇る、紅白ストライプ「稚内灯台」 「利尻富士」の前では、フェリー「ちっちゃ過ぎ」(;'∀')
額縁撮影〜(≧▽≦)
礼文島「香深港」が見えてきました。
入港
アッというまの船旅でした。(航行時間約2時間)
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「稚内」の由来は、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」
冷たい水の流れる沢という意味です。 日本最北端に位置する稚内市は、
宗谷岬からわずか43kmの地にサハリン(旧樺太)を望む国境の街。 北方圏諸国への玄関口としても知られています。 2011年(平成23年)4月3日に新駅舎となった「稚内駅」 2012(平成24)年5月にオープンした「道の駅わっかない」が併設されています。 日本最北の「道の駅」です。 駅前広場のほぼ真ん中に「ポツン」とたたずむ 「最北端の線路」と「記念碑」 「最北端の線路」は、駅のホームから建物内を通過し、広場まで続いています。
どうして駅の建物を突き抜けているのか? 不思議に思い、調べてみました。 かつては
さらに北にある「北防波堤ドーム(↑写真右上)」の稚内桟橋駅ホーム(稚内駅構内扱い)や
「貨物ホーム」まで、線路が延びていたそうです。
廃止に伴い、現在の場所に「最北端の線路」が移動…
その時は、まだ駅構内にあったそうです。
それが、2011年の新駅舎完成時に広場となったとのことです。
駅構内に置かれているモニュメント 稚内駅は、「広くて」とても「きれい」でした。 |
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稚内空港到着後、最初に訪れた「稚内港北防波堤ドーム」
バスの中から撮影
高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m
柱の総数70本、半アーチ式構造
2001年に北海道遺産に指定されています。 「稚内港北防波堤ドーム」は
北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき
ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で
昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤です。
半世紀を経て老朽化が著しかったため
昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ
昭和55年に景観がよみがえりました。 樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり
古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は
世界でも類のない建築物だそうです。
海上保安庁くにがみ型巡視船「りしり」、フェリーからの撮影です。
「稚泊航路記念碑」(バスの中から撮影)
大正12年、鉄道省により稚内〜大泊間に連絡航路が開設。
終戦の昭和20年8月に閉鎖されるまでの22年間の業績を讃えるため
昭和45年11月に建立された記念碑です。
「稚泊連絡航路」22年の歴史の中で行き来した乗客は
なんと284万人にものぼるそうです。
【碑文】
この地稚内から、いまは異国の地、樺太大泊に、国鉄稚泊航路が開設されたのは、宗谷線が稚内まで全通した翌年の大正12年5月1日である
「この航路は、167キロの海上を約9時間を要し、ときに宗谷海峡特有の濃霧、あるいは結氷、流氷との悪戦苦闘により守られてきた
昭和2年砕氷客貨船亜庭丸(3,355トン)、昭和7年最新鋭船宗谷丸(3,593トン)が就航するに及び、その往還は飛躍的に繁栄の一途をたどってきた
しかし、終戦直後の昭和20年8月24日18時、22年にわたる歴史的使命を終え、その幕を閉じたのである
いまここに星霜20有余年、稚内桟橋がその面目を一新するときにあたり、有志相図り稚泊航路の輝かしい業績と、幾多先人の苦労を銘記してこの碑を建立し、永久に記念するものである
昭和45年11月吉日
有志を代表して
旭川鉄道管理局長 深沢今吉
稚内市長 浜森辰雄 「大泊港」を調べました。樺太南端の港です。
当時、「樺太−小樽」間 航路もあったんですね。
敗戦により、稚内の歴史が大きく変わった様子が伺えます。 |





