気ままに フォトアルバム

時間はないもの、創るモノ・・・と自分に言い聞かせ ヾ(≧▽≦)ノ

2018礼文島・利尻島

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


旅行2日目

まずは、礼文島「うにむき体験センター」に行きました。

イメージ 1

「活きたウニ」の殻を自分で割って「食べる」ことができます。


礼文島で採れるウニは
北からの「リマン海流」と南からの「対馬暖流」がぶつかる、栄養豊富な海で、最高の「利尻昆布」を餌に、養分をたっぷり蓄えた、「磯の味の王様」と言われています。

イメージ 2


ウニは、「クスリ臭くて、苦い」から嫌い!という方、いらっしゃいますよね。
「クスリ臭さ」や「苦み」の原因は、ウニではなく、「ミョウバン」にあります。

生のウニは、そのままの状態だと2日程で融けてしまいます。
カタチが崩れるのを防ぐために「ミョウバン」を使います。

「ミョウバン」を添加する事により、組織を引き締め、身崩れを起こしにくくする効果があります。

「ミョウバン」を使うと、味は犠牲となり「クスリ臭さ」や「苦味」が出てしまうそうです(^^;

新鮮なウニは、「ミョウバン」を使う必要がないため
「市販のウニ」は苦手でも、「新鮮なウニ」は「美味しい」と感じる方が、多くいるそうですよ〜♪


ウニの割り方は「簡単」です。
イメージ 3

赤い色をした「ウニ専用の殻むき器」を、ウニの真上から刺して、数回たたき「パカッ」と開けるだけ

イメージ 4

イメージ 5

あとは、スプーンでウニを取りだし、海水に浸して、「内臓」や、中に残っている「えさの昆布」を取り除きます。

イメージ 6
関東では出逢うことのなかった「新鮮なウニ」を、味わうことができました(≧▽≦)


↓よかったら、動画も見てくださいね♪




宿に到着後、周辺を散歩しました。

「気温10℃」関東と比較して10℃以上低いです(^^;
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

礼文島のゆるキャラは「あつもん」
由来は、礼文島のみに生息する野生のラン「レブンアツモリソウ」です。

イメージ 4




先ほど乗船したフェリーが「稚内」へ向かいます。
イメージ 5

イメージ 6



翌日早朝、部屋から望む「利尻富士」
イメージ 7


この日、発達した低気圧の通過により、関東以北は荒れ模様
運良く「稚内周辺」は雨マークがついていませんでした。日頃の行いかな(笑)
イメージ 8


窓をあけると「カモメ」が近くまで飛んできます。
イメージ 9






「稚内港」から、礼文島「香深(カフカ)港」を目指します。

イメージ 1


「稚内港」フェリーターミナル(写真左)を出港。
イメージ 2


右手に「北防波堤ドーム」が見えます。
イメージ 3

イメージ 4

稚内の街並み
イメージ 5


稚内港北防波堤灯台(高さ:15メートル)
イメージ 6


北防波堤ドームの背中」(≧▽≦)
イメージ 7


利尻港から「利尻富士の山頂」が見えました。
どんな姿を現すのか、とても楽しみですヾ(≧▽≦)ノ
イメージ 8


ノシャップ岬と利尻富士
今回の旅で一番観たかった「残雪利尻富士」が全景を現しました。
実際の利尻富士は、予想以上に雄大で感動しましたヾ(≧▽≦)ノ

ノシャップ岬の北端の灯台は、「出雲日御碕灯台」に次ぐ
全国第2位の高さ(塔高:43m)を誇る、紅白ストライプ「稚内灯台」
イメージ 9


「利尻富士」の前では、フェリー「ちっちゃ過ぎ」(;'∀')
イメージ 10

額縁撮影〜(≧▽≦)
イメージ 15


礼文島「香深港」が見えてきました。
イメージ 16


イメージ 17


入港
イメージ 18

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13



アッというまの船旅でした。(航行時間約2時間)
イメージ 14




「稚内」の由来は、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」
冷たい水の流れる沢という意味です。

日本最北端に位置する稚内市は、
宗谷岬からわずか43kmの地にサハリン(旧樺太)を望む国境の街。
北方圏諸国への玄関口としても知られています。

イメージ 6


2011年(平成23年)4月3日に新駅舎となった「稚内駅」
イメージ 1


2012(平成24)年5月にオープンした「道の駅わっかない」が併設されています。
日本最北の「道の駅」です。
イメージ 2


駅前広場のほぼ真ん中に「ポツン」とたたずむ
「最北端の線路」と「記念碑」
イメージ 3


「最北端の線路」は、駅のホームから建物内を通過し、広場まで続いています。


どうして駅の建物を突き抜けているのか?
不思議に思い、調べてみました。
 
イメージ 4

イメージ 5

かつては
さらに北にある「北防波堤ドーム(↑写真右上)」の稚内桟橋駅ホーム(稚内駅構内扱い)や
「貨物ホーム」まで、線路が延びていたそうです。

廃止に伴い、現在の場所に「最北端の線路」が移動…
その時は、まだ駅構内にあったそうです。
それが、2011年の新駅舎完成時に広場となったとのことです。



駅構内に置かれているモニュメント
イメージ 7

イメージ 8


稚内駅は、「広くて」とても「きれい」でした。




稚内空港到着後、最初に訪れた「稚内港北防波堤ドーム」

バスの中から撮影
イメージ 1

高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m
柱の総数70本、半アーチ式構造
2001年に北海道遺産に指定されています。

イメージ 2

「稚内港北防波堤ドーム」は
北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき
ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で
昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤です。

半世紀を経て老朽化が著しかったため
昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ
昭和55年に景観がよみがえりました。

イメージ 3

樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり
古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は
世界でも類のない建築物だそうです。


海上保安庁くにがみ型巡視船「りしり」、フェリーからの撮影です。
イメージ 5

イメージ 6




「稚泊航路記念碑」(バスの中から撮影)
イメージ 4

大正12年、鉄道省により稚内〜大泊間に連絡航路が開設。
終戦の昭和20年8月に閉鎖されるまでの22年間の業績を讃えるため
昭和45年11月に建立された記念碑です。
「稚泊連絡航路」22年の歴史の中で行き来した乗客は
なんと284万人にものぼるそうです。

【碑文】
この地稚内から、いまは異国の地、樺太大泊に、国鉄稚泊航路が開設されたのは、宗谷線が稚内まで全通した翌年の大正12年5月1日である
「この航路は、167キロの海上を約9時間を要し、ときに宗谷海峡特有の濃霧、あるいは結氷、流氷との悪戦苦闘により守られてきた
昭和2年砕氷客貨船亜庭丸(3,355トン)、昭和7年最新鋭船宗谷丸(3,593トン)が就航するに及び、その往還は飛躍的に繁栄の一途をたどってきた
しかし、終戦直後の昭和20年8月24日18時、22年にわたる歴史的使命を終え、その幕を閉じたのである
いまここに星霜20有余年、稚内桟橋がその面目を一新するときにあたり、有志相図り稚泊航路の輝かしい業績と、幾多先人の苦労を銘記してこの碑を建立し、永久に記念するものである

昭和45年11月吉日

有志を代表して
旭川鉄道管理局長 深沢今吉
稚内市長 浜森辰雄



「大泊港」を調べました。樺太南端の港です。
イメージ 7
当時、「樺太−小樽」間 航路もあったんですね。


敗戦により、稚内の歴史が大きく変わった様子が伺えます。


イメージ 8


全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
Deep
Deep
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事