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がんばれ!女社長!!
八街市のとある駆出し不動産。。日々奮闘する女社長と、スタッフの徒然日記なのです。。。

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屋根の上から

今日も外は炎熱地獄。
まだ7月・されど7月31日。

一昨日は 中古住宅の屋根の雨漏り修理の下見に行きました。

イメージ 1

朝九時・・・屋根の上は爽快です。

でも昨日の台風で雨が侵入したかどうか・・調査は慎重です。

室内の雨漏りと昨日の台風はどうやら因果関係はないものと思いますが古い雨漏り

の跡が心配な為瓦の乗せ買代えをする事になりました。

昨日は顔がヒリヒリしました。このところ高いところに登る事が多くて顔に

シミがだいぶ増えて着ました。

やっぱり気になります

初恋の行方

宮城に帰った時のおまけの話は笑えます。

ずっと昔・・・・50年も前の初恋の話。聞いてもらえますか?

私の高校時代は 全寮制の高校で3年もの間 まるで少年院のような学生時代を

過しました。

唯一 少年院と違うのは 男女共学だった事でした。

同じ学びやの中に 男子寮・女子寮があって まあ学校としては多感な思春期の子供

達を預かるのだから相当神経質になっていました。

この二つの学生寮を繋ぐのは大食堂。 朝食・夕食はここに500人ばかりの

男子・女子が集まってそれぞれの青春を過していたのだが・・・・。

時はフオークソング全盛期。  学生運動も一呼吸おいて のんびりとした時代に

私はフォークソング部を立ち上げ ボーカルを担当していました。

「あの素晴らしい愛をもう一度」「花嫁」・・・・・。年に一度のキャンプファイ

ヤー。同級の男子2人・一年後輩の女の子1人と私。合計たった4人のグループ

なのに思春期ですわ・・・・。 後輩の子の彼氏のS君を横恋慕した私。

あることか フォークの仲間の恋人を横取りしてしまいました。

全校バスケット大会の彼の思いがけないスーパーマンぶりに突然恋心を抱いてしまい

まったのです。

同じ学生寮の中の後輩の彼氏を取った場合・・・当然女子仲間の制裁はまっている

訳で・・・。完全無視が1年余り続いた3年生の終わりに当然卒業を迎えました。

東京に就職が決まっている私。 故郷静津川今は南三陸と言います。に帰るS君

。お別れ1週間前 少しお目こぼしの出ている寮の規律を破り2人で映画を見に

いきました。 「ある愛の詩」。   3月の宮城はとても寒く 船形連邦の

雪の吹き下ろしは顔を格別ホッペをまっ赤にします。

寮に帰るバス停で雪の中 S君と握手をして 同じ寮に別々に帰りました。

結局 何も話せず イルカのなごり雪の世界にすっぽり入ったような別れでした。

嫁に来て欲しい・・・と言う言葉も東京に向かって飛び出す私には何判断もなく

私は後ろを一度も振り向きませんでした。

思い出す事も無くなったS君を・・・あの大地震・大津波が一気に引き戻しました。

日々出てくる被害者名を毎日目を凝らし・・・心から案じていました。

色々あった私の故郷。 帰ることもないと思っていましたが、3年前思いがけず

同級会のお誘いを戴き 迷いながら参加させてもらいました。

どこにもある同級会なのですが、 不参加者名簿の 中にS君の名がありました。

「津波では皆さんにご心配をお掛けしました。元気でやっています」

心にさざ波がたちました。  あれからどうしただろう・・・。

結婚できなかったら船に乗る。まあ漁師になる。と言う事だとおもうけど。

津波には遭わなかったんだ。

今年 伯父の墓参りに行くと決まったときから どうしてもS君に会いたい。

と思うようになりました。

同級生の信子さんに話したら、一緒に行ってくれる!ッてことになって片道3時間

もかけて何のアポも取らず アホ2人組は南三陸を目指して行きました。

御礼は南三陸の復興村で海の魚をおごってやる!ってことで50年前の悪い癖で

信子さんを未だに子分だと信じ連れまわす事になりました。

南三陸は広大な空き地に大型トラックやら テレビで見た光景が広がっていました。

ナビのお陰ですんなり着いたS君の家。

丁度12時。 立派なお宅で 物音1つしない雰囲気で 少しおじけずいて

帰ろうかな〜。と思った時1台の白いバンが入って来ました。

中に男性が一人乗ってきたので 聞いてみようと車に近寄って行くと、パンチパーマ

のオジサンです。   あの〜S君のお宅を探しているんですが・・・。

ジ~っと見るとかすかに面影が・・・・。

なんと パンチパーマのおじさんはSくんでした。

・・・・・・・・・・しかし。

あの美少年をドウ崩すとこの顔になるのか・・・。

そうか私もこんなに崩れているのか・・・・。

あの〜わたす・・・わ・た・すです!。

「はあ〜?」 だれだべ・・・・。

30分ほどよもやま話しましたが 結局思い出してもらえないまま信子さんと

南三陸のうにでもくっていっかあ!   てなことになって海辺の屋台村について

お寿司を注文したら  「わたす 生ものくえね〜」  って。

早く言えよ。 朝から南三陸のうに!っていってんだろうが!・・・

会話が完全に50年前の信子さんと私の会話になってしまいました。

信子さんが私の為に持ってきたお土産のシソ巻きは 誰だかわかんない人のお土産

に置いてきてしまったので 私達は何のお土産も持たず貴重な故郷の1日を棒に

振って帰ってきました。

初恋実るべからず!  初恋たどるべからず! 里心抱くべからず!

貴重な教訓を得る事になりました。信子さんご苦労様でした。




ふるさとにて

 ふるさと宮城に帰ってきました。

伯父の戦死した島の砂をお墓に埋める為です。

久しぶりのふるさとは全てが様変わりしてもう私の知っているふるさとではありませrん。

83歳になる母の末の弟・すなわち戦死した伯父の弟にあたる叔父もなんとか元気に

していましたが まあ年寄りの達者は春の雪なんて言いますから いつお迎えがきても

心つもりは必要です。

タラワ島の積もる話をして 早々に古川駅前のビジネスホテルで早々就寝の一日でした。
同級生の信子さんに付き合ってもらった餅の食べ放題は 当日の昼ごはんでした。

4杯も食べてしまいました。

お餅大好きです。

次の日はミニ同級会をやってもらって 47年もタイムスリップしたような

素敵なときを過しました。

17歳の私の手紙を保管していた友達から見せてもらった不思議な胸のザワザワ

は青春を思い出したからでしょうか。

記念に貰って来ましたが、思いの他 しっかりした17歳だったと感心しました。

もう一人の自分を 空の上から見た感じです。

アルバムに貼って 宝物にしました。

帰りの新幹線の大宮あたりから 竜宮城から帰った浦島太郎の心境で 現実にもどって
働いています。

少し疲れが抜け気っていませんが がんばります。

ご報告」


速いものであっという間の半年。

結構間抜けなお笑いの時間もあったのに・・・ブログも何度も書いては消し・・・・。

何事も後ろ向きの考えに固執して 楽しい事に気がつかず通り過ぎたこの半年。

今 マーシャルギルバート諸島の8日間を 神様がくれた心のお疲れタイムと思える

ようになりました。

タラワ島の貝殻と一握りの砂を 伯父の故郷の墓の脇に埋めてあげようと今週土曜日

故郷に帰ることにしました。

私が姪としてできる最後の仕事になりました。



何か楽しい事を ご報告したい!   ・・・と思って考えたら そうあるある

思いつきで 楽器を何かやりたいと ドラム教室に通い始めました。

中学生の時 独学で叩いていたドラム。

簡単に出来ると思ったら大間違い。

右手・左手・ 右足・左足・ 脳みそ  全部バラバラに機能して全然協調しません。

まあ  先の短いばあ様には面白い事になるかもしれません。

又ご報告します。

マーシャル・ミレ島

今日は 我が家のお・は・か・・・・お墓が建てられています。

2時に現地確認に行って来ました。

古い納骨堂の中に 小さな骨壷が1つ入っています。

昔 死産した息子の為に なけなしのお金で作った納骨堂。

私たちの結婚の最初のハードルでした。

待ちに待った最初の子供は 10ヶ月の私のお腹のなかで 息絶えていました。

20歳の私の越えるに越えられない挫折です。

今日久しぶりに息子の姿をまのあたりにして 小さな骨壷に涙がこみ上げてきました。

突然 すみません!   マーシャル・ミレ島の写真です。
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この島の人々は親日的で チャーター機が到着すると手作りの花の首飾りを掛けて

くれます。村民総出で歓迎をしてくれました。

72年前は血で染まった海岸も 今は美しい貝殻でいっぱいです。

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イメージ 3

でも ここには 本当に戦争がありました。

この海の底には 未だに日本人の骨が ほとんど収集されぬまま残っています・

それにはまあそれ相応の理由があるのですが・・・・。

日本から遠く南の果て マーシャル・ギルバート諸島 キリバス諸島には私達の

先祖が眠っていました。

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