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本社は、西区、神出町の古神地区に鎮座されております。 当社の創建は不詳ですが、平安時代の初期(800〜)京都伏見から平家の一族がこの地に来て、 開墾をし、農耕を始めたそうで、雌岡山の素盞鳴尊・奇稲田姫命の間に生まれた多くの子神を祀る 村となり、このときに当社が創始されたとおもわれます この地には、平安時代より、「罐子(かんす)」と云う茶釜を作っていたそうで、この罐子を「古神罐子(こかみかんす)」といわれ現在も使われているそうです。 また、この地域一帯は、平安時代から鎌倉時代にかけて、須恵器生産が盛んに行われていました。 現在約100基余りの窯跡の存在が確認されており、「神出窯跡群」と呼ばれています。 窯の形態は7〜8mの「登り窯」が多く、なかには1〜3mの「ダルマ窯」と呼ばれる小型の窯もいくつか存在しています。(写真ー10) また須恵器だけでなく、寺院などの瓦の製作も行われていました。(写真ー12) 「神出窯跡群」で製作された須恵器は各地に送られており、東北から九州にまで分布しているそうです。 (写真は、神戸市埋蔵文化センターに保管、展示されている物を撮影したものです。) 境内の灯籠には、享保十四年(1729)と天保二年(1831)があり、一番前の古い灯籠には盃状穴がありますが、年代は不詳です。
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火のみやぐら、今でも残っているんですね、鐘が無いのは、戦争中に鉄として収めた為でしょうか、信州もそのような事で鐘の無い火の見やぐらを時々見ます。
2007/7/31(火) 午後 2:41 [ けん ]
なんだか、神社より、焼き物や掘り出し物のほうに気をとられます。
2007/7/31(火) 午後 5:49
焼き物にたずさわる一族が、この辺りに居住していたのでしょうね。やはりこの辺りの土が焼き物にとって適していたのでしょうね。地域の歴史が感じられます。
2007/7/31(火) 午後 9:11
「神出窯跡群」は神社の境内にあるのでしょうか?今も作られているのでしょうか?よい土があるのでしょうね!
2007/7/31(火) 午後 11:10
平家は盛んに京都から瀬戸内海に出る地域を開発していったと前に読んだことがありましたがここもそれが発端なんですね! 素焼きの産地だったとは面白いです。土と墨が良かったんでしょうね!
2007/8/1(水) 午前 4:42 [ fuji ]
昔ながらの道が交差しているんですね。人の往来には欠かせない、目印になる、辻の鎮守さまだったのかも。。。傑作です!
2007/8/1(水) 午前 9:29
塀などがなく素朴な感じがいいですね。
火の見やぐらが神社にあるのですね。
2007/8/1(水) 午前 9:39
kensanさん、そういえば半鐘がありませんね。
戦争は色んなとことにあとを残しています。
2007/8/3(金) 午後 5:11
ナンデモじじぃさん、焼き物の掘り出し物が多いですよ。
2007/8/3(金) 午後 5:13
親父さん、この周辺の土は、赤い粘土で須恵器に最適のように思いました。
2007/8/3(金) 午後 5:18
グッドライフさん、この神出町のいたるところに窯跡があるようです。特に雌岡山の山腹には多いようです。
2007/8/3(金) 午後 5:21
Fujiさん、技術が朝鮮からこの地に伝わり、土が適していたことによるらしいです。
2007/8/3(金) 午後 5:32
Nobikitさんのコメントは勉強になりありがたいです。
辻の鎮守さまなのですね。傑作ありがとうございました。
2007/8/3(金) 午後 5:34
古代の窯元ですね〜〜白磁のような皿も造っていたのでしょうか??〜〜中国からの輸入品でしょうか〜〜♪鬼瓦にポチ!
2007/8/3(金) 午後 7:29
右近さん、白磁はどうでしょうか?。全体に色が白っぽいですね。
2007/8/4(土) 午前 4:13
きょうこさん、順序が違い遅くてすみません。
北区とか西区の神社は公民館と消防施設が一緒になっている例が多いようです。
2007/8/5(日) 午前 9:44