西宮市、皇大神宮社(こうたいじんぐうしゃ)のご紹介です。
御 鎮 座 地
西宮市と尼崎市の境界となっている武庫川(むこがわ)に沿うって阪神電鉄線があり、その洲先駅から真直ぐ西に進んだところに上田の地があり、広い公園があり、この北東の角に当神社が鎮座されております。
昔この場所は葦の生えた沼地だったそうですが、公園と上田公会堂となっています。
近くには、
「武 庫 の 浦 の 入 江 の 渚 鳥 羽 く ぐ る も 君 を 離 れ て 恋 に 死 ぬ べ し」 の万葉歌碑が立っています。
今日もこの先の武庫の浦には、多くのユリカモメなどの水鳥が舞い上がっておりました。
御 由 緒
当神社の創建は、明治十二年の神社明細帳によりますと、享保二年酉(1717)五月に勧請されたと明記されていますが、当社奉賛会の記録では正徳元年(1711)の創建とされています。
いずれにしてもこの享保年間は、全国的におかげ参り盛り上がったそうで、この村にも「伊勢講」が組まれていたそうです。
その後、文化十三年(1816)に社殿は焼失し、同年再建されました。
また阪神大震災では全倒壊し、平成十二年一月に神明造りの拝殿、本殿が再建されました。
境 内 社
社殿右側の境内には、猿田彦社、稲荷社、天玉明社の三社と、その右に神明造りの社があります。
石造物と盃状穴
文化十三年の再建の翌年、文化十四年に鳥居をはじめ、石灯籠、狛犬が奉納されて境内整備が行われています。
「天照皇大神宮」と彫られた社号石の次にある石灯籠は、文化十四年(1817)九月の刻銘があり、
その左側の灯籠の奥に敷石があり、盃状穴が2個、穿かれています。
当社の奉賛会
この上田地区は「氏子」の名称をなくして、奉賛会が組織されています。
現在180戸が会員で、祭礼・神事などの運営ならびに神社管理が行われております。
昔からの土地の方々と、新しくこの地に住居を置かれた方々との差別的なことが無いように配慮されたもので、氏子の呼び名は使わないそうです。
阪神大震災では、神社の社殿、石造物などは全てが倒壊しましたが、この周囲の上田地区の民家は一戸も倒壊せず、人々は「お宮さんが身代わりになってくれた」と、崇敬の念を新たにされ、奉賛会の方々は将来の修復費などにそなえて、積み立てを始められおられるそうです。
当社は本務神職はおみえにならず、尼崎市西大島の大島神社の兼務社となっています。
ご参考 :西宮市上田中町48
阪神電鉄 武庫川線 洲先駅 西へ4分
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大きな広々とした公園ですね。昔の葦が生えていた様子が目に浮かびます。
2008/1/20(日) 午後 7:43 [ けん ]
神社が倒壊して民家に倒壊なしですか。偶然と云えばそれまでですけど、私にも経験があります。幼い頃、交通事故で私は軽症でしたけどお守りが割れました。ありがたいことです。
2008/1/20(日) 午後 9:20
昔からずっと神社が建っていたということはそれだけ安全な場所のはずなので、そこだけが倒壊したというのは、不思議なことですね。狛犬は、ちょっと素朴な感じに見えます。傑作です。
2008/1/21(月) 午前 0:31
建物が新しそうできれいですね。神様は新しいところが好きとか、聞いた記憶があります。それはさておいて、おととい数箇所の神社めぐりをしたら、盃状穴らしきものを結構見つけました。意識していると見つけられるものですね。
2008/1/21(月) 午前 7:54
新しいかたちの奉賛会、全国に普及するといいですね〜〜どこもかしこも閉鎖的で廃れ、困るのは神様だけです〜〜地方は若者がいないだけに深刻です〜〜♪^−^ポチ!
2008/1/21(月) 午前 10:45
公園の片隅に追いやられたように見えますが、そうではなく地区の皆さんを御守りする最適なところに鎮座してるんですな。
そんな経緯があるのなら奉賛会の崇敬心は厚いでしょうね。
2008/1/21(月) 午後 1:58
神社風景はどの神社を散策をしてもゆったりとした気持ちになりいいものですね。社は新しくなれども歴史は言い伝えられて残っていくものですね。
2008/1/21(月) 午後 2:58
気持ちよい景色の中にあるんですねぇー
地元に愛されて崇拝されて素敵な神社です。
準備金まで積み立てているなんてすごいって思いました。
末永く大事にしたいですね!
2008/1/21(月) 午後 3:26 [ fuji ]
阪神大震災では被害にあわれたのですね。
残念ですが仕方ないですね。
そんなことも含めて歴史に刻まれていくのですね。ポチッ!!
2008/1/21(月) 午後 4:00
さいさいさん、お久しぶりです。武庫川で泳がれたことがあるのですか〜〜。今でもきれいな水ですね。
盃状穴は昔にお願い事で石で穿ったものらしいのですが、それを後に灯明皿として使ったり、お供え物を入れたり、あるいは子供の遊び用とかいろいろあるようです。従って場所によっては、お神酒をお供えしたこともあろうかと推察されています。
2008/1/22(火) 午後 1:52
グッドライフさん、レインボータウンをご存知でしたか。
大阪万博の頃に建てられた当時としては25階立てのタワービルと騒がれたそうですね。この記事の中に入れようか迷ったのですが、それは上まで昇って写真を撮ろうと意気込んで出かけたのですが、マンションに入るのを躊躇しました。
そして周辺が発展しているので、昔のように目立たなくなっていました。
2008/1/22(火) 午後 2:00
kensan、昔は葦が生えた沼だったそうですが、少しはそうゆう姿が残っているといいのですが。〜〜
2008/1/22(火) 午後 2:02
親父さん、交通事故に遭われたことがあるのですか〜〜。
一生の間には色々ありますが、私も解かりませんが、救われたことに感謝でしょうか。
2008/1/22(火) 午後 2:56
nobikitさん、狛犬の写真がありませんでした。文化十四年(1817)のものだそうです。
地震の際に神社境内は、液状化現象を起こしたようです。
2008/1/22(火) 午後 3:01
ぶんわんさん、盃状穴ありましたか〜〜。本当ですか〜〜♪♪。
是非画像を見せてください。
2008/1/22(火) 午後 3:06
右近さん、お会いした方には、いいお話を聞かせていただきました。
この地の奉賛会の考え方がもっと広く伝わるといいですね。
2008/1/22(火) 午後 3:31
ひろ爺さん、おっしゃる通りなのですが、昔の参道は公会堂になっています。一の鳥居が境内にくっついたようです。
しかし奉賛会の方々の崇敬は篤く地域の小規模神社のお手本となることでしょう。
2008/1/22(火) 午後 3:38
kyonさん、神社は歴史の証人となりますね。いつまでも言い伝えられて欲しいですね。
2008/1/22(火) 午後 3:41
fujiさん、この神社の奉賛会の方々の考え方と、努力の結果だとおもいます。素晴らしいことです。
2008/1/22(火) 午後 3:44
きょうこさん、震災も神社の歴史の1ページですね。
ポチ有難うございます。
2008/1/22(火) 午後 3:46