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当社は、宝塚市の中央の売布山手町に鎮座されております。 この地は、旧米谷(まいたに)村で、伝説の中に、売布神社(めふじんじゃ)は、米谷村の北部、長尾山山麓の突き出た所、猪名野を一望できる丘陵にあって、神の座す神奈備山に鎮まっています。とあります。 境内の由来書きには次の様に書かれております。 今から約1380年前の推古天皇十八年の御創建で、御祭神は下照姫神(したてるひめ)(大国主命の姫君)とその夫君の天稚彦神(あめのわかひこ)をお祀りしています。 当地に来られた下照姫神(したてるひめ)は、飢えと寒さで困窮している人々を見て、稲作りの技術を伝え、麻を植えて布を織ることを教えました。 その後豊かな生活を送ることが出来た里人は、その御神徳を慕い、ここにお祀りしました。 説明書きに 八代将軍徳川吉宗のとき、並河誠所(なみかわせいしょ)は寺社奉行大岡越前守忠相より畿内の地誌編集を命じられた。 彼は宝塚市域内の調査の際、地元で「貴船大明神」と呼ばれていたこの神社が、延喜式の神名帳に記される売布神社であることを明らかにした。 そこで元文元年(1736)、この神社の社号を正す為にこの標石が立てられた。と書かれています。 ご参考 :宝塚市売布山手町1−1
阪急宝塚線 売布神社駅 西に300m 5分 |

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売布神社には、行こう行こうと思いながら、一度も行っていません。
阪急電車の駅にもあるくらいなので、もっと大きな神社だと思っていました。
2008/6/7(土) 午後 11:22
本殿がずいぶん奥に鎮座されているのですね。
奥行きが感じられて神域の神聖な印象をうけました。
2008/6/8(日) 午前 2:46 [ mas*a*dp*e ]
由緒案内がきれいに書かれていますね。ご拝殿はいつも開かれているのがいいですよね。
2008/6/8(日) 午前 9:18
神殿が小山の中にはめ込まれるパターンは横浜でも時々見かけます。山の神となっているのですかネ。
2008/6/8(日) 午前 9:19
大きな木ですね。カヤの木なのですね。
周りもたくさんの木に囲まれていますね。
階段。これから夏は大変ですね。
蚊の対策も忘れないでくださいね。・・楽しみにしています。ポチッ!!
2008/6/8(日) 午前 9:52
推古天皇の時代の創建なんですか。由緒ある神社ですね。宝塚にこのような神社があったなんて意外です。この時代はどうしても奈良をイメージします。
2008/6/8(日) 午前 10:22
3番目の写真は鳥居ですか?あんまり見たことがありませんでした。
大国主命の姫は下照姫というんですね。
2008/6/8(日) 午後 3:29
由緒ある神社ですね。こちらは合祀や廃れた神社が多くて由緒ある神社は少ないですね!
2008/6/8(日) 午後 11:50 [ - ]
石鳥居の補強、標柱の鉄棒、拝殿奥の柱の真新しさを見ると、震災で大きな被害があったのでしょうか。。。かりに柱一本でも、古くからのものを引き継いだ改修は素晴らしいと思います。傑作です。
2008/6/9(月) 午後 2:54
古い式内社は合祀されたりで、名前が変わってしまうと手懸かりが無くなってしまいますが、このように残してあれば、後世に伝わりますね〜〜♪全国の式内社も調べていたのでしょうか?〜〜うれしい情報をありがとうございました〜〜♪ポチ☆
2008/6/10(火) 午後 6:43
グッドライフさん、売布神社は由緒からしても大きな神社はずですが狭められたのでしょうか。
最初の写真の鳥居から参道入口は南で、小学校も元境内地と池だったそうです。昔は駅までが含まれていたのではないでしょうか。
2008/6/11(水) 午後 3:28
JINさん、参道入り口、馬場先はもっと南でかなりの距離があります。昔はかなりの規模を誇っていたのでしょう〜〜。
2008/6/11(水) 午後 3:31
ヒロ爺さん、由緒書きがきれいに解かりやすく書かれているとうれしいですね。
神社は拝殿がいつも開いているといいのですが、無人の場合の神社ではそうもいかないのでしょうね。
2008/6/11(水) 午後 3:35
ぶんわんさん、このようになっているのが厳かな感じがしていいですね。
2008/6/11(水) 午後 3:36
きょうこさん、ボツボツ〜蚊が出てきましたよ〜〜。
私は何故か蚊に好かれる体質のようです。
石段が多いと迂回の道を探して、バイクで上がったりしています。
こうゆう心がけでは、神様も聞いてもらえなおかな〜〜。
2008/6/11(水) 午後 3:45
親父さん、ここ宝塚は、武庫の入り江が入り込んだところであったためか、歴史が古いですね。
当時は多分西宮辺りは海の底ですから〜〜。
2008/6/11(水) 午後 3:48
トロさん、いいことを聞いて戴きました。
2本の石の柱は、標柱(しめばしら)といい鳥居の役割もはたしています。横にわたっている鉄のパイプは普通はありませんが、注連縄を張るためだとおもいます。
2008/6/11(水) 午後 4:05
ルナルナさん、ありがとうございます。
宝塚市は意外と由緒が古いですね。
武庫の入り江が入り込んだところであったためか、歴史が古いですね。
当時は多分西宮辺りは海の底ですから〜〜。
2008/6/11(水) 午後 4:08
Nobikitさん、さすがによく見て頂いておりますね〜〜。
鳥居の補強が気付かれたのですね。また、拝殿の虹梁など、元の材を使っての修復がされています。
おっしゃるように、この修復・復元の考え方が大切だと思いました。
傑作ありがとうございます。
2008/6/11(水) 午後 4:19
右近さん、大岡越前守忠相がここまで影響をしていたとは初めて知りました。
やはり古文書・文献は大切にしなければいけませんね〜〜。
ポチありがとうございます。
2008/6/11(水) 午後 4:24