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当神社は、尼崎市のほぼ中央の立花地区、尾浜町の、 名神高速道、尼崎インターの南、庄下川西側に 鎮座されています。 応 神 天 皇 (おうじんてんのう) 境内の由緒書には、 「創立年代は不詳であるが、恐らく尾浜の歴史と共に、 古くから存在し、天正年間の荒木村重滅亡時の 戦火にあったのではないかと考えられる。 昭和二十年の戦災以前は境内に八幡造りの社殿と、 古風な大日堂があって、神仏混淆時代の名残をとどめており、 真夏でも涼しい鎮守の森であった。」と、記されております。 大鳥居です。 拝殿正面ですが、東向きになっています。 拝殿内部です。 境内に建つ「名月塚」宝篋印塔です。 宝篋印塔の説明です。 名月姫の伝説です。 約866年前の平安末期、今の尾浜町に才知、徳行に秀でた豪族、 三松 刑部 国松が住んでいました。 40歳になっても子供に恵まれず、京都の鞍馬山にこもって 祈り続けたところ、久安二年(1146)八月十五日に、玉のような 女の子が生まれました。 旧暦のこの日は、丁度中秋の名月で、国春は名月姫と名づけました。 成長するにつれ、その美しさは光り輝き、14歳の春、大阪の能瀬の 豪族、蔵人家包に略奪されてしまった。 悲嘆にくれた国春は、出家し諸国行脚しているうち、 平清盛の手の者に捕まり港を築くため、人柱に奉げられることに なった。ある夜、一人の翁が、名月姫の夢枕に立ち、 「われは大日如来なり、そなたの父の命が危ない」と告げた。 姫は現地に急ぎ、涙、涙で助命を嘆願すると、清盛の重臣が そのけなげさにうたれ、身代わりとなり、姫は父と共に帰郷、 大日如来をまつる寺院を建て平和に暮らしたという。 ご参考 :尼崎市 尾浜町 1丁目4−27 市バス 尾浜1丁目停留所下車 すぐ
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