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当神社は、尼崎市の中央部から少し南、庄下川東の西長洲地区に鎮座されております。 この、「西長洲(にしながす)」は、尼崎市地名めぐりに次の様に記載されています。 神崎川の川口から長く延びた砂浜地帯で、長州浜と呼ばれていました。 弥生時代から漁民が住み、奈良から平安時代に 東大寺猪名荘(荘園)として繁栄。 11世紀頃には、京都の賀茂社が、魚介類を求めて この辺りに長洲御厨を置いたことから、東大寺と 賀茂社との支配争いが続いたそうです。 応 神 天 皇 (おうじんてんのう) 神社誌には、「創立年月不詳。明治六年八月村社に列せられる。」とありますが、 社伝によりますと、 創始は、仁徳天皇の御代(394〜427)と伝えられ、 その御子履中天皇はこの地で大禊の神事を行ったといわれています。 昭和二十年に戦災にて全焼、昭和二十七年に本殿が再建、その後 昭和四十四年に弊殿、拝殿も再建されました。 参道の石灯籠は、天保十五年(1844)の刻銘があります。 拝殿です。 拝殿内部、奥は本殿正面です。 手水舎 手水鉢のはしに、盃状穴が1個穿かれています。 境内の由緒書きです。 ご参考 :尼崎市 西長洲 2丁目15−8 市バス 西長洲停留所 東にすぐ
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