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尼崎市、若王寺(なこうじ)、熊野大神社(くまのだいじんじゃ)のご紹介です。



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御  鎮  座  地


当神社は、尼崎市の北東部、藻川の右岸に位置する

若王寺(なこうじ)地区に鎮座されています。

この若王寺の地名は、室町期以前に「若王寺」と称する

寺院が所在したことに因むといわれています。


御  祭  神


主祭神、 伊 邪 那 美 命(いざなみ の みこと)

天 児 屋 根 命(あめの こやねの みこと)

稲 荷 大 神(いなり おおかみ)


ご  由  緒


神社誌には、「創立年月不詳。明治六年八月村社に列せられる。」とありますが、

当社の伝承によれば、江戸時代初期17世紀に若王寺の

産土神として創始したと言われているそうです。

古来より雨乞いの神社として、農民の多くが、
参詣したそうです。


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入口付近、周辺は住宅になっています。

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大鳥居、前の鳥居が大震災で倒壊したため

その後に再建されました。

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立派な社号標です。

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標柱。宣揚文はありません。

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拝殿です。

昭和五十二年に、本殿、幣殿、拝殿、社務所が

尼崎市内最大の規模で竣工されました。

施工は、金剛組によるものです。

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拝殿内部。

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本殿など。

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手水舎

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震災の碑、倒壊した大鳥居の柱部分です。

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狛犬、吽像です。

砂岩製ですが、奉納の刻銘は不詳。

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狛犬、阿像です。



ご参考     :尼崎市 若王寺 1丁目 10-18


         市バス、若王寺下車  東に5分

六甲山、最高峰の霜花と霜柱です。



昨日(30日)の朝は六甲山も雲ひとつない晴天になり、

放射冷却も手伝って、山上各地で気温は氷点下となりました。

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六甲最高峰は期待通り一面霜に覆われていました。

そして、小さな草の芽は、綺麗な霜花となり

違った可憐さをかもし出していました。

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また、イノシシの掘り返した跡地には、

水晶のような輝きをした、大きな霜柱が

あっちこっちで見られました。

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ところが、こんなものがありました。

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最高峰の平地の片隅に菊の切花が2本置かれてあり、

ガラスカップが1個、花の下は掘り返されて、

10〜20cmの石が数個置かれていました。

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何か、小動物を埋葬したのではないかと思われますが、

掘り返して見る気にはなれません。


丁度、この場所は、ハイカーの皆さんが、思い思いに、お弁当を広げて

楽しまれるところなのです。


何を埋めたかは知りませんが、本人がこの記事を見られたら、

即刻、撤去し埋め戻してください。


皆さんは、この最高峰を目指して一生懸命登ってこられ、

その達成を喜び合い、山頂での特別な美味しさを噛み締められて

楽しまれ、休まれる大切な広場なのです。


私たちは、この大切な広場で皆さんが、登頂の一時を、

気持ち良く過ごして頂くために、少しばかりの

お手伝いをさせていただいております。

六甲山で、「太陽の暈(かさ)現象」が見られました。



本日(11月30日)正午ころに、太陽の周囲に虹の輪が出現、

六甲山の山頂付近から、撮影に成功しました。

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この大気光象を「太陽の暈(かさ)又は、日暈(ひがさ)」というそうです。


この光象は、太陽付近に上空の薄い雲がかかっている場合、

光が上空の薄い雲の中にある「氷の粒」に反射・屈折して

起こる現象だそうです。(気象庁HP)


小さく見える鉄塔は、最高峰のパラボラアンテナの鉄塔です。

尼崎市、伊居太神社(いこたじんじゃ)のご紹介です。


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御 鎮 座 地


当神社は、尼崎市、北部の藻川と庄下川に挟まれた

下坂部地区の「伊居太古墳」上に鎮座されています。


下坂部の地名は、新撰姓氏録 摂津神別に記載されている

「坂合部氏族」の居住地で、開拓後に地名を「坂合部」と

称しましたが、室町期に荘園名として、下坂部としたそうです。


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ご  祭  神


武 甕 槌 神 (たけみかつち の かみ)

天 児 屋 根 命 (あめのこやね の みこと)

經 津 主 神 (ふつぬし の かみ)

姫  大  神 (ひめ おおかみ)



ご  由  緒


神社誌には次の通り記されております。

創立年月不詳、明治六年八月、村社に列せられる。

その春日神を祭神とせるは、明治維新の神社取調べの際

誤認せしものという。

とありますが、

当社境内の、「沿革と由緒」の中には、

藤原氏の全盛期当地方を支配した際、その祖神たる

春日大社を勧請奉祀したものと信じる。

また、

古老の伝うる処によれば、昔大和の春日大社より、

神の使者として神鹿が当社に到来したという。


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大 鳥 居  

後ろ側の石灯籠は、天明二年(1782)の刻銘があります。

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拝 殿

社殿は、阪神淡路大震災により、損壊しましたが、

平成十一年四月に再建されました。

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拝殿内部

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手水舎

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狛犬、吽像 砂岩製の立派なものです。

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狛犬、阿像

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伊居太古墳の図 (拡大してご覧下さい)

図の中で、本殿、拝殿、鳥居とあるのは、現在の当社の建造物の位置関係です。


現在では、伊居太古墳の原形は著しく失われていますが、

全長約92mの南面する古墳時代中期の前方後円墳と考えられています。

市内では最大規模の古墳です。

ただ、これまでの調査では既に墳丘が削平されていたこともあって

古墳に関する出土遺物は見つかっていません。





ご参考    :尼崎市 下坂部 四丁目 13−26

        市バス 近松公園停留所 下車  すぐ東

石峯寺(しゃくぶじ)の紅葉です。



前回少しご紹介しましたが、

神戸市 北区、淡河(おうご)町 神影(みかげ)に

ある古刹です。

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岩嶺山石峯寺は、白雉二年(651)孝徳天皇の勅願所として、

法道仙人(ほうどうせんにん)が開創、ご本尊に延命地蔵尊を

おまつりしたのがはじまりと伝えられています。

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ご本堂です。

中世には、一里四方(約4km×4km)を寺領にもち、

多数の僧兵や学侶(がくろ)を養っていました。

本堂の東には、室町時代の建立の「三 重 塔」があり、

大日如来が祀られております。


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この三重塔は、嵯峨天皇の勅願によるものといわれ、

この時代に建立された三重塔の中では、最も大きく

大正四年に国の重要文化財に指定されています。


また、中堂の薬師堂は、聖武天皇の勅願で行基(ぎょうき)が

開眼(かいげん)した薬師佛、十二神将、日光月光菩薩を祭祀し、

追儺行事が行われました。

同じく、大正四年に国の重要文化財に指定されています。


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今年の紅葉は特に美しいと皆さんが仰っておられました。

そして、このきれいな庭園をはじめ、広い境内の清掃は

地元の皆さんがお忙しい中を当番(勤労奉仕)で行われています。


そのお蔭様で、この様な綺麗な紅葉を楽しませて戴くことに

感謝申し上げます。

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