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六甲山の開拓者、 アーサー・ヘスケス・グルーム の逸話に次のように書かれています。 ある日グルームの101別荘にハンターに追われた一匹の狐が逃げ込み、この狐を彼が救ったことから狐は隣に住み着き、食べ物ほしさに姿を見せると言う話があった。 彼がスープの味出しに使った牛の骨などを庭の芝生に置いて、空き缶をフォークでたたいて合図をすると狐の親子が4・5匹出てきて食べたそうで、グルーム以外の人が缶をたたいても警戒して出てこなかったそうです。 この話が英字新聞に掲載され横浜の外国人にも伝わり、わざわざ見に来た人もあった。 彼の四女の柳さんは「父にだんだん慣れた狐は、夕方父だけがコテーッジの縁先にいると、のこのこ上がってきて、父の膝を枕にして居眠りをするほどになっており・・・・・父が亡くなってからは一度も姿を見せなくなりました。」と回顧している。 大正8年2月、グルームが亡くなって1年が過ぎた頃、5人連れの日本人の男が、生田の森の北側にあったグルーム家を訪ね、「お宅は六甲山に何か関係がありますか」と尋ねて応対に出た家人の返事も待ち切れぬばかりに勝手に上がりこみ、グルームの仏壇に平伏して長々と頭を下げ、一向に去ろうとしない不議な出来事があった。 後に、このことについて、「白髭、白菊」の夫婦と名乗った人が、家人に次のように伝えた。 「諏訪山のお稲荷さんのお祭りの日のこと、グルームが可愛がっていた狐の霊が乗りうつり、グルームさんには少なからずお世話になった。遺族の人達の何かお役に立ちたいので、その方の家に連れて行け。とお告げがあり、歩き出すと5人そろって自然とこの家に足が向いた。」 何者かに導かれるようにグルーム家を訪ねたのは三宮の貿易商だったが、この出来事あり2・3年してグルーム家では、「白髭、白菊」の狐を祭るようになった。 昭和8年に末娘の柳が横浜の岸氏と結婚することになったので、祭っていた「白髭、白菊」を、山の人々の協力を得て六甲山上の全但ホテルの隣に白髭大明神、白菊大明神として祀り、白髭神社と名付けた。 現在も近隣の方々や関係の人達の参拝がたえません。 先日、9月10日は秋祭りで、縁のある方々で賑やかに神事が斎行されました。
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2007年09月14日
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