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本社は、西宮市の西端、芦屋市との境界に接する郷免町に鎮座されております。 その昔、西国街道を西に向かい、桜の名所、夙川(しゅくがわ)堤から西を望むと、家並みの向うに松と楠木を主体とした森が見えたそうです。 森具の宮、須佐之男神社の社叢(しゃそう)で、当時は「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」と称していたそうです。 西国街道を行きかう旅人は、この辺りで小休みしたのか、手前の地名が御茶屋所町として残っています。 また、森具(もりぐ)の地名は、当社のすぐ南、現在の国道2号線を走るバスの停留所名として残されています。 須佐之男命(すさのおのみこと) 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 建御名方神(たけみなかたのかみ) 当神社の創建については不詳ですが、慶長年間(1596〜1615)の創始と伝えられています。 明治の初めに村者に列せられ、牛頭天王社から須佐之男神社となりました。 平成七年一月十七日の阪神大震災で社殿はことごとく倒壊し、その後順次再建されました。 この手前隣に、八幡神社、誉田別尊。さらに石段を上がったところに、愛宕社があり、石体が末社として 祀られております。 境内広場の右側の石段の上に大国主神社があり、ここには氏子地区内の高塚稲荷山に祀られていた大きな大国さんの石像が社いっぱいに納められています。 この社の左に丸石が置かれています。この丸石には盃状穴が穿かれております。 さらに入り口右側には、行者社があり、役行者の石像が祀られています。 これ等の末社の背には、社叢の緑が繁茂し古くの姿を今に残しており、西国街道の旅人と近隣村人たちに崇敬されていたのが伺えます。 境内の大国主神社の脇に真円に近い石と、細長い丸石があり、その真ん丸い石に盃状穴が穿かれています。 この丸石は、松本枝美子宮司と総代が言われるには、以前には「行者社」に力石として置かれていたとのことでした。 その後の調査で、この丸石は、昔、宿火村(現在の森具)の道祖神として祀られていたが、後に「行者社」と同じところに祀られたため、行者信仰の村人が病気治癒を祈願してこの丸石神に盃状穴を穿ったと推考されます。 (役行者は二十代の頃、藤原鎌足の病気を治癒したという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えたと云われています) 丸石信仰は甲府盆地を中心として、山梨県に多くこれより西の地域、関西、中国、九州の熊本、大分等で「道祖神」、「屋敷神」の名で庶民の民俗信仰の対象として今日に至っています。 また、丸石信仰の周辺には盃状穴が見られることが多いようです。 ご参考 : 西宮市郷免町2−1 阪神電車 香枦園駅より北西に徒歩10分 阪急電車 夙川駅より南西に徒歩10分 大手前大学の西へ徒歩1分 阪神バス (2号線)森具停留所 すぐ北。
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