西宮市、越木岩(こしきいわ)神社のご神体「甑(こしき)岩」のご紹介です。
ご本殿の背後の社叢(しゃそう)の中に、巨大なご神体の「甑岩(こしきいわ)」があります。
甑 岩 の 伝 説
豊臣秀吉が大阪城を築いたとき、諸国大名に命じて全国から巨石を集めさせました。
それは、城の石垣を造るためでした。
そして、普請奉行が西宮の越木岩にある、「甑岩」に目をつけたのは当然でした。
高さおよそ12m、すそ回り45mという巨岩がそびえ立っていて、その頂上には高さ9mもある松が生えていたので、岩は遠くの海上からでも望みみることが出来ました。
・・・甑岩の名の謂れについて、当時「酒米を蒸す甑(こしき)に似ているからだ」と云うのと、「木のタケを越すほど高く大きな岩だから」という2つの説があったそうですが、足利義輝に仕えたといわれる山崎宗鑑の句「照る日かな 蒸すほど暑き 甑岩」を知る人は前の説をとっていました。・・・
ともあれ、甑岩は、地元の人達からは、怪石として恐れられ、またあがめられていました。
さる大名の家臣が、越木岩の部落を訪れました。そして、長老たちに「あの岩を大阪城の石垣に、お使いなさるが、村の衆には末代までの栄光であるぞよ」と申し渡すと、つれて来た石工たちに適宜の大きさに切るように命じました。
それから一昼夜、村中で時ならぬノミの音が響きわたり、石切作業が始まったのです。
がその時、あたりの空に異様の光がただよい、なまぬるい風が吹きはじめました。だが、他国者の石工にはわかるはずがありません。
大阪築城の重責ばかりを気にしている家臣には、なおさらのことでした。
長老の一人が、仕事場ににじり寄り、「おそれながら村の衆が・・・」と申し出たが、
「なんじゃッ」と、ひとにらみされて、すくんでしまいました。
村人たちは、甑岩にこもる白龍の神罰を恐れていました。そして・・神罰は下されました。
2・3日のちに、石工達が皆な急死したのでした。それもだれかれとなく、手足をふるわせ、目をむき出すという異常な苦しみののちに息を引きとったのです。
さすがの家臣たちも、「怪石のたたりに違いない」と、早々に立ち去りました。
今でもこの大岩には、その当時のノミの跡や、池田備中守長幸家紋の刻印が残っております。
また、切り出された岩がそのまま放置されたのが残っています。
ご神体の「甑岩」は、安産の神、子授かりの神として、あがめられております。
新年を迎えるにあたり、恒例のしめ縄の張り替えが昨日(23日天長節)に行われました。
しめ縄は、長さが44mで氏子の方、5人かかりで張り替えられ、神職の方が紙垂をつけてまわり、しめやかにとり行われました。
(越木岩神社のご紹介は次にさせていただきます)
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