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当社は東六甲山麓、甲山(かぶとやま)南裾野の天然記念物の森に鎮座されております。 関西の桜の名所、夙川(しゅくがわ)沿いに北に向かって阪急甲陽線が走り、その西側にはその名も「越木岩筋」街道があります。 阪急苦楽園口駅付近で夙川の支流「上新田川」を西に500mほど上ると、越木岩神社の標柱があり、参道の入り口となっています。 ここから境内までが700mで途中が桜並木、六甲おろしに舞う、春の桜吹雪が目に浮かびます。 創立不詳といわれるくらい由緒深く、甑岩(こしきいわ)を霊岩として、今なお全国的に信仰を集め、古代信仰の磐境(いわさか)、磐座祭祀(いわくらさいし)と呼ばれ学術上貴重とされています。 延喜式(えんぎしき)神名帳に、大国主西神社と記載されているのは、当社とされています。 正保年間(1644〜1647)に社殿が再建され、明暦二年(1656)八月十六日に円満寺の教順が「福神」の総本社、西宮神社より蛭子大神を勧請し、蛭子太神宮と称したそうです。 ご本殿は、片削破風流造(かたそぎはふ ながれつくり)で立派ですが、わずかに木の葉の、はざ間からこそ見ることが出来ないのが残念です。昭和十一年(子の年)に造営され、来年で丁度六回目の子年をむかえることになります。 当社の幣殿の両壁に、かかげられています。(神職の方にお許しを得て撮影させて戴きました) この絵馬は、天保二年(1831)六月に越木岩の上新田地区と下新田地区から奉納されたもので、 縦80cm、横180cmの板絵となっています。 この二面が奉納された前年、文政十三年(1830)は、伊勢群参が大流行した年であり、参宮を終えると氏神の境内で踊りを奉納した。これが「おかげ踊り」といわれています。 上の写真が上新田地区の絵馬で、左上に画かれた甑岩の御前で、天狗面をつけた猿田彦役を先導にして、神職、童児、笠をかぶった踊り手が二派に分かれて続き、後に市松模様の屋根をつけた囃方の車が賑わせている情景が画かれています。 また、下の写真は、下新田地区の絵馬で、御幣持ち役のうしろに力士が笹の飾り物を持ち、二枚の絵馬を担いだ力士に続いて、女性が三本の御幣を持ち、その後に賑やかな踊り子が続くといった光景が画かれています。 両面ともよく似た構図ですが、よくこの踊りの規模や情景を伝えていて、江戸末期の民衆の雑芸や風俗などを知るうえからも、貴重な資料として、西宮市有形民俗文化財に指定されております。 (一部、西宮市教育委員会説明書。西宮の社、吉井貞俊氏著より抜粋) 境内には早くもヤブ椿が一輪咲いていました。 当社には多くのヤブ椿が自生していて、三月の中頃の見ごろには椿祭りが行われます。 古代では花の季節には散る花に乗って疫病の精霊が飛散すると考えられていました。 朝廷ではこの精霊を鎮める祭儀を「花鎮めの祭り」として奈良時代の神祇令に規定され、古来厳粛に斎行されてきたようです。 その他、詳しくは、越木岩神社のHPをご覧下さい。http://www5.ocn.ne.jp/~koshiki/index2.htm ご参考 :西宮市甑岩町5番4号
阪急 苦楽園口駅 越木岩筋を北へ15分 阪急夙川駅 阪急バス 夙川短大前、南に2分 |

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