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当二社は、明石市の西端二見町の東二見地区に鎮座されておりますが、君貢神社は二見漁港に面した岡に鎮座されており、御厨神社は、これより西北に約1km、海岸より500mの所に鎮座されております。 御厨(みくりや)神社の創建については、往年の火災により、社殿と共に記録文書を焼失し、年月は不詳のようですが、社伝は次の通りといわれております。 神功皇后が西征の際、この二見浦に船を泊めて船子を加え兵糧を集めた時、土地の者が食物を奉ったところという。その故事によって御厨(神饌を調進する所)の名が起った。 だが、この御厨という言葉は、主として伊勢神宮について使用されることから、伊勢神宮の荘園ではなかったかとの説もあるそうです。 貞観年間(859年〜877年)に八幡宮を勧請。延喜元年(901年)菅原道真が筑紫大宰府に左遷されて西行の途次、船をこの浦に寄せて社地に上陸した所縁により、寛和年中(985年〜987年)に天満宮を勧請されました。 この当時の社地は君貢神社(二見町東二見1番地)で、菅原道真が西下の時、一夜の宿とした岡を“仮の岡”といい、そこに手植えした松を「仮寝の松」と言い神木とされ、二見の名所でもありました。 松は枯れ、何度か植え替えをされておりますが、石碑も残されています。 この君貢神社に祀られた八幡宮と天満宮が「卯ノ花ノ森」に遷ったのは長暦年間(1037年〜1040年)と伝えられています。 「卯ノ花ノ森」は「常盤木の森」ともいい、付近一帯を御厨の岡と呼ばれていたそうです。 天正年中(1573年〜1591年)に池田輝政公が境外に社領40石を、元和4年(1618年)に徳川家光公が、御朱印地40石と山林を寄付されております。 本殿の前には拝殿とさらにその前には、中央が通れる、割拝殿(わりはいでん)があります。 この割拝殿は一般では珍しい様式ですが、播磨地方では多く見る事ができます。 この割拝殿では、子供達が自習?・まんが?・ゲーム?、に真剣に取り組んでいましたが、どんな形にせよ子供達が神社との関わりがある事に、少なからず安堵を感じました。 拝殿前の狛犬さんは台に文化六年(1809年)奉納の刻銘があり、石は砂岩ですが、風化も少なくきれいに保存されています。温暖な土地柄、雨水凍結が無いからでしょうか。 ご参考 :御厨神社 明石市二見町東二見1323 山陽電車線・東二見駅・南出口10分 明石市営バス宮前停留所・1分 君貢神社 明石市二見町東二見一番地 山陽電車線・東二見駅・南出口15分
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