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本社は、北区、山田町北西にある「 丹生山」 (514m)の 頂上に鎮座 されております。 創建については、 仏教伝来以前 に起源を持つと云われる 古社 だそうです。 県道の丹生神社前バス停留所の所の一の鳥居から丹生山頂上に向け約2時間登ると、丹生神社の境内に着きます。 途中、山深い樹林帯を通り、石仏、五輪塔などの立ち並ぶわき道を登りますが、ちょっとした低山登山の気分が味わえます。 山頂の境内には、以前、 丹生寺(明要寺) があったが、今では 丹生神社 だけが残っている。 明要寺は、欽明天皇三年(552)、百済の聖明王の太子、恵(けい、僧名を童男行者という)が創建したと伝えられ、童男行者に代表される、朝鮮半島からの先進文化と技術を携えた渡来人たちが、丹生山田に定着した事を示唆しています。 一方、丹生神社は、古代から 丹生氏の氏神 として、 丹生都比売命 (にうゆひめのみこと)が祀られていました。 この丹生都比売命について、播磨風土記逸文明石郡の部に次のように記されております。 神功皇后が新羅へ出兵の際、丹生山田の丹生都比売から悪霊を追い払う丹土(あかつち)をもらい、すべてを真っ赤に塗って出かけ無事に帰った。 それを謝して丹生都比売を紀伊国、管川の藤代の峰に鎮め祀ったという。 当時、赤色は魔除けの力があるとされていました。 丹土 (あかつち)は、辰砂(しんしゃ、水銀の原鉱)をさすのが一般的で、丹生山田は 水銀の産地 であった可能性が強いとされています。 平清盛が、福原遷都を計画した時には、この丹生寺を近江の日吉神社になぞらえて、日吉山王権現を祭って月参りをしたという。 当時、この山には多数の僧兵がいて、多くの堂塔があり栄えていました。 しかし、天正七年(1579)に、この寺が三木城主に味方したため、秀吉に攻められ堂塔は焼かれたそうです。 ご参考 :神戸市北区山田町坂本字丹生山384
神戸電鉄 箕谷駅 市バス 衝原行 丹生神社前下車 北へ 徒歩2時間 |

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