西宮市、神明八幡神社(しんめいはちまんじんじゃ)のご紹介です。
御 鎮 座 地
本神社は、西宮市の市街地のほぼ中央、神明町(しんめいちょう)、山手幹線沿いに鎮座されております。
この地は、旧、芝村(しばむら)字吹田(すいた)といい、昭和8年に西宮市に合併し、区画整理が行われ昭和13年に新しく神明町となりました。
御 由 緒
当社の創建は不詳ですが、天保年間(1830〜1844)の創建とも伝えられています。
創建当時の社地は、現在地から約200m南の、西福寺の西隣に鎮座されていましたが、境内が20坪とあまりのも小さく、幸いにも御手洗川の改修工事に伴い河川敷の埋立地450坪に社地が出来、昭和九年七月に本社移転が許可され、昭和十一年五月竣功、遷座されました。
ところが昭和20年、戦災にて焼失し、瓦木小学校の奉安殿を本殿とし祀られていましたが、昭和25年に総檜造りで現在の神明造りの本殿と、入母屋造りの拝殿が再建されました。
元の社地、飛地境内地と西福寺
浄土真宗、西福寺(さいふくじ)の西隣に、飛地境内地があり、ここが元の神明八幡神社の鎮座されていた所ですが、「四良右衛門供養碑」が残されています。
この碑文は、下から2枚目の画像ですが、西福寺の副住職より戴き、現場にてご説明を戴きました。
当山、西福寺の住職(豊原大成氏)は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の総長を務められており、阪神淡路大震災の際、書院、庫裏が倒壊し、父で元総長の大潤さん(当時86歳)、と奥様、娘様の家族全員を亡くされております。
現在の鎮座地、神明町のいわれ
神社誌を調べる中で、旧地名は、芝村(しばむら)字吹田(すいた)といい、昭和8年に西宮市に合併し、その後の区画整理で昭和13年に新しく西宮市神明町となったそうです。
この周辺に「神明」なる地名は太古より見当たらず、突如として現れたことに興味を持ち調べたところ、
この時期に新たに移って来た八幡神社に因んで神明町となった。(町名の話、山下忠男著)とありますが、当社の創建時は、「神明社」でなかったのかと思われます。
現在の本殿も棟柱のある神明造りなのが納得されます。
特殊信仰の「もどりの神さん」
この神社には、「もどりの神さん」という信仰があるそうで、もどりとは、ここの神様にお祈りすると、家出とか、行方不明の人とかが帰って来るといわれています。
また勝負の神様とも知られていて、戦時中は出征した夫、縁者が武運に恵まれて無事帰還するようにと多くの人々が祈願に訪れたそうです。
その際に、下駄の鼻緒をとって狛犬の足元に結び付けるといっそうよくききとどけられると云われております。
飛地境内の手水鉢の盃状穴
飛地境内に、慶応二年(1866)の刻銘がある手水鉢があり、その上面の四隅を主体に盃状穴が穿かれています。その他にも多くの小さい盃状穴がありますが、四隅のものには油で焦げた痕があり、灯明皿として使われていたと考えられます。
また、西福寺の境内、東側の十三重塔の隣に置かれた手水鉢にも同じ様な径は大きくて浅い盃状穴があります。
ご参考 :西宮市神明町3−21
JR西宮駅 北へ5分 山手幹線道路沿い
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