丸山稲荷神社(まるやまいなりじんじゃ)の本社、奥宮のご紹介です。
御 鎮 座 地
当神社は、前にご紹介の丸山(標高375m)の頂上に「奥宮」、また西側の麓に本社が鎮座されております。
この丸山は西600mの所に「公智神社」があり、南から東にかけては丸山ダム(金仙寺湖)がひろがり、頂上から眺めは素晴らしく、山口町の象徴的存在ともなっております。
頂上「奥 宮」のご由緒
奥宮の参道にある説明には次のように記されております。
当社が鎮座する丸山は、生瀬(なまぜ)より東久保を経て、有馬と丹波道に至る分岐点の要害の
地にあり、中世室町時代、多田源氏の一族「山口五郎左衛門時角」が、当地に城を構え、その鎮守
として祀られたのがはじめと言われている。
戦国争乱による山口氏の没落後祭祀も絶えていた。
ある時この地方に悪疫が流行し、霊夢を受けた者が当社に祈願したところ、たちまち病がなおり、
これを聞いた人々の参拝が多く篤信の者が社殿を再建した
とあり、さらに「山口村誌」には、
天保十一年(1840)六月、下山口村有志によって、伏見稲荷大明神の御分霊を勧請し奉祀した。
この時敬神講がつくられのち、御膳所、参籠舎、休息所が完成した。
麓の本社の御由緒
丸山の西側ふもとには本社があり、その鳥居脇の石碑には以下の碑文が記されています。
丸山稲荷神社は天保11年(1840年)、山頂の丸山城跡に伏見稲荷大社の分霊を勧請奉祀して
きたが平成7年(1995年)1月17日の阪神大震災により倒壊す。再建に当たり山頂は本殿を
修築し奥社と称号。
当地に財団法人、山口町徳風会の協賛を得て新神社を造営。
之を本社と称号す。下山口、山口会自治会、神社総代とで再建。平成10年(1998年)3月竣工す。
当 社 の 八 朔 大 祭(はっさくたいさい)
八朔祭は、旧暦の八月朔日(ついたち)に行う行事で、豊作を祈願する祭日といわれています。
この八朔(はっさく)の行事は五節供の一つとして、公式な祝日だったそうですが、その起源は鎌倉中期建長年間(1249〜1256)だとされていますが、はっきりしたことは解かっていません。
当社では、毎年9月の休日に八朔大祭が斎行されます。
土俵の清祓神事の後、地域の小学生以下の子供たちによって、奉納相撲がおこなわれます。
境内の土俵は(ブルーシートで覆われている)本格的な規格のものとなっています。
この後、餅撒き行事があり、大人も子供も夢中になって拾いあうそうです。
ご参考 :西宮市山口町下山口字五郎左衛門屋敷1078番地 (公智神社兼務)
JR宝塚駅 阪急バス 丸山下停留所 東に10分
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