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西宮市、名次神社(なつぎじんじゃ)のご紹介です。

御 鎮 座 地

当神社は、西宮市の西部、名次町の名次山の北端に鎮座されております。
西には桜の名所、夙川(しゅくがわ)が流れ、東には「ニテコ池」を挟んで廣田神社の森が展望できる風光明媚な所です。

万葉集にも、「吾が妹子に稲名野は見せつ名次山角の松原いつか止さむ」と高市連黒人によって詠まれ、名勝地として名高かったそうです。
かっては名次町全体が境内地でこの名次山の中央に鎮座していましたが、明治四十一年に北端の現在地に遷座したそうです。

広大な景勝地、名次山は現在某電器メーカー創業者の邸宅となっております。

御  由  緒

説明の立て札には次の通り記されております。
古来より衣食住に殊の他関係深い「水分神(みくまりのかみ)」を奉斎すると特に
雨乞いに霊験あらたかなる社であります。

御創立の年代は詳らかではありませんが、第56代清和天皇貞観元年(859)正月
正五位下の神階を授けられ、同年九月八日風雨御祈りのため、勅使を参向せられ幣帛
を奉られおります。

第60代醍醐天皇の延喜の制大社に列せられ、月次・新嘗及び祈雨の幣帛を奉られお
ります。

社殿右隣に石祠があり、その背面に「上総国浦々、西宮講中、正徳五乙未歳正月吉日」と
刻銘があります。

これは、この時代に上総の国(千葉県房総半島)九十九里浜に西宮から遠洋出漁してその地に定住した人々が故郷に石祠を献上したことを表わしております。

 ニ テ コ 池

当社の東側には南北に連なった、三つの池がありこれをニテコ池と呼んでいます。

この地は大阪層群の土である真土(まつち)と真砂(ますな)が採れ、西宮神社の「大錬塀」(国重文)に使用されたそうです。

大錬塀を造るときに掘られた跡が池となったのですが、ニテコの名称は、土を運ぶ人たちの「ネッテコイ、ネッテコイ」と云う掛け声が「ニテコ」になったとも言われております。


ご参考 :西宮市名次町5  (廣田神社 境外摂社)
     阪急甲陽線 苦楽園口 東へ 5分

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