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宝塚市、鹿塩(かしお)熊野神社(くまのじんじゃ)のご紹介です。


御  鎮  座  地


当神社は、宝塚市の南部、西宮市との境界の武庫川の支流、仁川(にかわ)北600mに鎮座されております。

境内のすぐ東側には阪急今津線が走っています。

この地の昔しの地名は、「武庫郡 良元(りょうげん)村、大字鹿塩(かしお)字宮ノ西」で、鹿塩の由来は今も伝説として語り継がれております。

後出の、[当社の地名「鹿塩の里」の伝説]をご覧ください。
 

ご  由  緒


当社の創建は不詳ですが、平安時代末期頃かと考えられています。

神社誌には、創立年月不詳明治六年八月村社に列せられる。

祭神、伊邪那美之命(いざなみのみこと)、火迦具土之命(ひのかぐつちのみこと)と記されています。


当神社の地名「鹿塩の里」の伝説

奈良時代のころのことです。都のある奈良の春日大社には、各地域から鹿が神の使いの手伝いをする
ために集まっていました。

この鹿塩の里にも鹿がたくさん住んでいて、そのうちの一頭の雄鹿(おじか)が春日大社へかけつけ
ていきました。

この年もまた、里の熊野神社のお祭りの日が来ました。お祭りの日には毎年、春日大社の使いが、
お供物を持って来るならわしになっています。

祭り太鼓がなりだすと、太鼓の音に呼び寄せられたように、雄鹿と雌鹿(めじか)がやってきました。 

背中にいっぱいのお供物を積んでいます。雄鹿はこの里の鹿で、春日大社の神様の使いを受け、雌鹿を
連れて 久しぶりの里帰りです。
 
熊野神社の神様にお供物を渡すと、二頭の鹿は祭りの輪に加わりました。里の人たちは労をねぎらい、
珍しいものを たくさんごちそうしました。

里の人々の歓迎を受け、謡(うた)い踊っているうちに雌鹿は旅の疲れが出たのでしょう。眠ってしま
いました。
雄鹿は、寝ている雌鹿を起こすのはかわいそうと、そのままにして、昔の友達に 逢いに出かけました。

しばらくして目を覚ました雌鹿は、雄鹿がいないのでびっくりして、あちこち探しましたが、いくら探
しても雄鹿は 見つかりません。

知らない土地です。心細く、かなしい思いで神社の裏山まで来ると井戸がありました。のどのかわきを
覚えた 雌鹿は、かけよって井戸を覗きました。

するとなんと、そこに雄鹿がいるではありませんか。!!

喜びの声を一声あげると雌鹿は井戸に飛び込んでしまいました。 水面に写った自分の姿を、探していた雄鹿と見間違えたのです。 疲れていた雌鹿はおぼれて死んでしまいました。

そのことを知った里の人たちは大変悲しみ、雌鹿のしかばねを丁寧に塩で包んで、

 「か な し く も  み る や 雄 鹿 の  み ず か が み」

という歌を添えて、春日大社へ送り返しました。

それからしばらくして、帰ってきた雄鹿は、雌鹿のことを聞いて大変悲しみ、自分のおろかさを悔や
みましたが、雌鹿は帰ってきません。食べ物も食べず、井戸の回りをウロウロするばかりです。

ある朝、里の人が行って見ると、井戸を抱くようにして雄鹿は死んでいました。
里の人たちは二頭の鹿の愛情の深さを思い、塚を建てて霊を弔いました。

その塚を「鹿の一里塚」と言います。そして雌鹿を思い、お祭りには塩を一切 使わなくなったことから、このお祭りを「しおたち」・「しおたち祭り」と呼ぶようになりました。

そして雌鹿の覗き込んだ 井戸を「鹿の鏡井戸」として今に伝えています。

また「鹿塩(かしお)」の地名も鹿を塩付けにしたところから、付けられた名であるとされています。


ご参考 :宝塚市仁川台1番7
     阪急今津線  仁川駅 北に10分

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