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当神社は、宝塚市西谷地区の北東、長谷(ながたに)に鎮座されております。(地図参照) この旧長谷村は、銅、銀などの鉱業が盛んで、 長谷の千本鉱として大変栄えました。 近くのゴルフ場内には、豊臣秀吉の大阪城築城の基金と なったと伝えられる鉱山の坑口があります。 当神社の創建は不詳ですが、 当社の境内は、涼滝山・普光寺(ふこうじ)(京都大覚寺派)の一角で、 明治以前は寺の社僧によって、祭祀管理がされていました。 口伝では、天正(1573〜)以前の創建とも言われています。 現在の本殿は、近畿では珍しい三間社の切妻造りで、 正面中央に一間の向拝を付けています。 建立年代は、その様式から桃山時代か江戸時代初頭とされています。 本殿の向かいに長床(舞台)があり、 この床下をくぐって社前に出る参道形式がとられています。 この形式はこの長谷地区の東隣の猪名川町の神社に多く見られ その影響と思われます。 南北朝時代の観応元年(1350)に立てられた 波豆産石材(流紋岩・りゅうもんがん)で、年代の記されている 宝篋印塔(ほうきょういんとう)としては、 現在のところ最も古いものとされています。 社殿の前には一対の砂盛があります。 これは、当社の秋祭り(10月第2日曜日)の前に お清めの為に盛られるもので、祭りの1週間前に 「お当(おとう)」によって盛られます。 砂盛が見られるのは、この阪神地区では、西宮市の厄神天神社、 宝塚市の口谷春日神社の三社です。 当社に隣接して、牡丹園があります。 この画像は5月に撮影したものですが、 既に牡丹の季節は過ぎていました。 期間中は沢山の人出で賑わっています。 ご参考 :宝塚市長谷字道谷4番地 JR宝塚線 武田尾駅 阪急田園バス 長谷公民館前下車 7分
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