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前紹介の「住吉神社」からさらに南に進むとすぐ砂浜の海岸に出ます。 ここが西宮港の西、御前浜から香枦園浜につながる広い砂浜で、「西宮砲台」(国史跡)があります。 嘉永六年(1853)六月、アメリカ、ペリーの来航、翌年1月の再航、同年9月、ロシア極東艦隊司令長官プチャーチンの大阪湾進入など、情勢が緊迫するなかで、国防に不安を感じた江戸幕府は、京都を警護する要地にあたる大阪湾に砲台の建設計画を始めました。 幕府は、砲台の設置場所を、兵庫津の和田岬、湊川出洲、西宮、天保山沖、に決定しました。 そして勝海舟がその実地調査の任にあたり、西宮砲台は、この場所に決定され、文久3年(1863)8月より工事が始まりました。 その工事は、容易に進捗せず、慶応二年(1866)まで続き、あしかけ4年間も続きました。 砲台は、石造3層、内径17m、高さ12m、 土堤でかこった中央部に、松クイを1000本以上も打ち込んで基礎とし、カコウ岩の大岩を組み上げています。 本体には砲眼11個と窓1個が穿たれ、外面は漆喰(しっくい)塗り上げで、大砲で四方をねらうことができました。 実戦には使われることなく、明治維新をむかえました。 今では美しい砂浜で、野鳥が多く生息し、凧揚げなど市民の憩いの場となっています。
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2008年01月14日
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