西宮市、福の宮・福應神社(ふくおうじんじゃ)のご紹介です。
御 鎮 座 地
当神社は、西宮市の今津地区、西宮インターのすぐ南側に隣接して鎮座されております。
このインターは、名神高速道路の西の起点となっておりますが、元の当社はこのインターのほぼ中央部に鎮座していましたが、昭和41年(1966)に現在地に遷りました。
この地は、また酒造の「灘五郷」の中、一番東部で有名酒造会社の本社工場等があります。
御 由 緒
当神社の由緒書きには、
創建年代は不詳ですが、かつてこの今津の浦に神霊が降臨し、「この浦のすがすがしき地に吾を
斎き祀れ。されば万人守護し諸願成就を得さしむ」という神託があった。
そこで浦人たちが浄地を勧請して奉斎したのが始まりと伝えられる。
下って第七十三代堀河天皇の嘉祥元年(1106)、仁和寺覚行法親王より代院室の格に列せ
られ、以後代々の祈願所となった。
近世、文禄年間(1592〜1596)に後陽成天皇の名代の参拝があり、「福に應ずる宮」
すなわち福應神社の社号を賜わり、仁和寺の祈願所として別当真福寺を置くことになった。
こうして皇室の深い崇敬を受けて明治維新を迎えた。
明治十四年(1881)、県社に昇格し、昭和十五年には紀元二千六百年祭を記念して社殿の造営を行なったが、
戦災により稲荷神社を残してすべてが灰燼に帰した。
崇敬者の奉替により昭和二十六年に社殿を復興、名神高速道路建設に伴い昭和四十一年に現在地に
移転した。
現在、福の神として信仰を集め、西宮神社・越木岩神社とともに「三福神」と並び称されている。
また、「兵庫縣神社誌」には、
光格天皇御宇仁和寺宮より鉾4本の御寄付あり、該鉾は真鍮製鑛金にて鉾先鉾先5寸(15cm)
柄一丈五尺(4.5m)全長二丈余(6m)のものにして当社の宝物として現存する
とあり、祭礼ごとにこれを飾りつけていたそうですが、昭和20年戦災にて焼失しました。
今 津 砲 台 記 念 石
今津海岸の砲台に使用されていた積み石が、当神社の鳥居を入った右側に、(現在の神輿楽車庫)記念碑として保存されていましたが、大震災の後、今津真砂町川沿いに移転されました。
この今津砲台は、香枦園浜にある西宮砲台と同時期に作られたもので、明治維新の後に、民間に払い下げられて、大正四年(1915)に取り壊されました。
その記念石が今津真砂町川沿いに、扇型の容姿を今に伝えています。
ご参考 :西宮市今津大東町1−28 TEL 0798-26-0769
阪神電鉄 久寿川駅 南に 3分
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