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当神社は宝塚市の南部の中心地の伊子志(いそし)で、市の中心を南北に流れる武庫川沿いから少し入った所に鎮座されております。 ですが元は、武庫川の川辺近くに鎮座されていましたが、水害があり神社を守るために現在地に移されたそうです。 当社の創建は不詳ですが、延喜式内大社で、旧武庫郡では広田神社(西宮市)と並ぶ古社とされています。 摂津誌には、「伊和志津神社・貞観元年(859年)正月授 従五位上 在 伊刀志村」と記載されていますので、これ以前の創建となります。 御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)が主神で、相殿に愛宕大神が祀られております。 ご本殿は本殿覆屋の中に納められていますが、(拝殿内部の写真の中央奥の朱色がご本殿)一間社春日造り、杮葺(こけらぶき)で、説明板には、 「建立年代は不明であるが、細部手法から江戸時代中期(17世紀〜18世紀頃)の建築と考えられる」 と書かれています。 宝塚市指定文化財となっています。 写真ー1・2の通り、境内の下をトンネルで宝塚と西宮をつなぐ幹線道路が通っています。 これは、阪神淡路大震災を契機にそれまで川沿いに迂回していたものを、当社の境内を突き抜けることとして境内整備が行われました。 道路の上は東門からの参道となっております。 拝殿の前には、自祓用の祓串(はらいぐし)があり、そこには使い方が書かれてあります。 今まで参拝した、神戸、明石、西宮の神社では見たことがありませんでしたが、京都の地主神社などでは行われているそうです。 当社の周囲を黙々と清掃作業に勤しんでみえるご老人が居られました。(最後の写真) ご挨拶を申し上げ、道路整備の経緯等をお伺いいたしました。ご説明を受けた後、ご老人は次のように申されました。 私は87歳になりますが、これまでに何度となく命を落とすところを助けられてきました。 その中でも二つの大きな出来事がありました。 その一つは、太平洋戦争でのことです。南方の前線に赴くとき急遽自分は変更になり内地に留まることになりました。戦友は玉砕、皆帰らぬ人となりました。 二つ目は、2005年4月25日のJR宝塚線(福知山線)の脱線事故です。 その日、私は友人と一緒に大阪に行くことになっていました。友人はJR宝塚線で行くとのことでしたが、私は別の用があるから先に阪急線で梅田に出るからと、別々になってしまいました。 約束の場所で待っていましたが、友人は現れません。そのうちにテレビで事故の放送があり、もしやと不吉な予感がしました。 残念ながら予感は当たり、友人は3両目に乗っていたそうで、帰らぬ人となりました。 私は、自分に与えられた命を大切にし、感謝をこめて自分の出来る範囲でご奉仕をさせて戴いております。 本当に感謝をしております。ありがとうございました。 と言われて箒を持ってまた掃除を始められました。 ご参考 :兵庫県宝塚市伊子志一丁目4−3
阪急電鉄 今津線 逆瀬駅 東へ100m |

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