西宮市、東鳴尾皇太神社(ひがしなるおこうたいじんじゃ)のご紹介です。
御 鎮 座 地
当神社は、西宮市の東の端、武庫川沿いで海岸近くの東鳴尾町の住宅地の中に鎮座されております。
御 由 緒
当社の由緒について、境内の案内板に書かれていますが、つぎの様に伝えられています。
当神社の創建は不詳ですが、伝えに依ると、元禄四年(1691)三月、徳川綱吉公が当地の領主に命じて勧請されたそうで、それ以来代々当村民は鎮祭し、当地の守護神とされてきました。
寛政十一年(1799)九月に再建されるも、昭和二十年(1945)、戦災にて焼失しました。
昭和三十三年(1958)十二月二十三日に再建され、社名を東鳴尾皇太神社変更されました。
吉井貞俊氏の著書 「西宮芦屋の杜(もり)」の中の当社の紹介文に次のような一節があります。
武庫川沿いに皇太神社へ歩いてみる。
校庭の一隅でゲートボールをしている人たちを見て、あるドイツ人が語った言葉を思い出した。
「私は戦争に敗れた日本を一層尊敬しています。
心ある外国人は敗戦によって日本の本当の良さを知りました。そのうちの二つを申します。
一つは戦争の敗け方の奇跡的な鮮やかさです。
敗戦の混乱の中に国論を一つにまとめ、一つの方向に指導することは、不可能に近く、世界的に見てもその例がないのに、日本の場合、全国民の思想を一瞬にして転換せしめたその不思議な力は昭和天皇のご放送でありました。
この天皇と国民と自ら意識すると否とに関らず、客観的にはただ真に偉大という他ありません。
これこそ日本の輝かしい歴史に培われた立派な国民性の実証と思います。
もう一つは、敗戦後、その元首は世界的常識からすれば、亡命するか、それ以上の悲劇に遭遇するのが普通です。
ところが日本では亡命どころか、天皇自ら丸腰の無防備で日本全国を巡られた。
そしてその時、誰一人危害を加える者もなく、熱狂的に日の丸を振ってお迎えし、国民のほうから天皇をお慰めしました。
このような事は世界の歴史にどこにもない。
これは日本の歴史の中に培われた精神的な豊かさ、根強さ、偉大さにほかありません。
武庫川の堤防には、ニセアカシアが咲き乱れています。
北米原産の木ですが、明治の中頃に砂防用に土手や崩壊地、川の堤防などに植えられ、それが野生化したものです。
甘い香りのする白花を枝いっぱいに咲かせていますが、この花からは良質のハチミツが採れるそうです。
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