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雨上がり、緑の葉っぱから雨のしずくが、スルリとすべって落ちた。 お日様を浴びて落ちるしずくは、 虹色にキラキラ輝き、草むらはまるで宝石箱のようです。 毎朝、まぶしさと、ほほを伝う水玉に目覚める私は、 いつからか、なぜ自分がこのきらめく緑の世界にいるのかわかりません。 今では「小浜の首地蔵」といわれ、 坂の上の高台におさまっていますが、昔すごした緑の大地をよく思いだしますよ。 夏の昼下がりにはバッタたちが、私の顔をすべり台にして遊んだっけ。 ちょっとくすぐったかったけれど、 時間を忘れるほど楽しかった。 なにより私のお気に入りは、虫達の合唱を聞きながら、 輝く星空の星を数えたり、雲とかくれんぼする月を眺める秋だった。 そうそう〜冬の寒さはさすがにこたえたが、タンポポや蝶に逢える春を待ちながら、 じっとがまんしていましたよ。 でもね〜、また春が巡ってきて、タンポポの黄色い花を見つめながら、ふんわり暖かい風に 包まれて、気持ち良く ウトエトしていたある日のこと〜〜、 なにやら騒がしい声で起こされましてね〜〜。 よくよく聞いてみると〜〜 「こんな地(じ)べたでは、お地蔵様がかわいそうだ」と言っているんです。 それで、その人たちの手でこの高台の上に上げられたのですよ。 おまけに屋根まで建ててくれると言うのですが、なにしろ私は、草花に囲まれ、 光の中で風と戯れながら暮らすのが大好きなものですから〜〜、 「どうか屋根で 覆わないで。青空の中にいたい〜〜〜」と一心に祈っていました。 すると、大工さん達が次々と病気になってしまってね、家を建てることを とりやめてくれたので、こうして雨のシャワーを浴びながら、暮していられるのですよ。 大工さん達には、本当に悪かったと思っています。 そのお詫びという訳でもないのですが、 首から上の病は、私の力でなんとか治してあげようと精いっぱ い頑張って いるので、病に苦しんでいる人がいたら、私のことを伝えてくださいよ。 そして、元気な君達も、一度笑い顔を見せに来てください。 今にも降りだそうとする鉛色の空を見上げ、思いたった。 天露に濡れる、お地蔵様の顔をたしかめるため、 走りだしました。 到着しても雨は降ってこない。 お堂の中で待つことにした。 左隣に「十三仏像」あり、夢中でスケッチをする一人の熟年の女性がみえる。 暫らくして、待望の雨が降りはじめました。 女性はスケッチをやめ、雨宿りで私の前に腰を掛けられ、にっこりと挨拶され、私のカメラを見て 「写真をやってみえるのですか」と話しかけて頂きました。 「えぇ〜 雨に濡れたお地蔵さまを撮りに〜」と控えめに云いましたら、 「私もね〜〜 以前は写真を撮って、パソコンで処理したりしていたのですよ〜〜」 そして、 「寺院などを歩くのが大好きで、旅行などしていたのですが〜〜」 と、うつむき加減に淋しさが漂ってきました。 「スケッチをなさるなんて、素晴らしいじゃないですか。 私などは、画けないから、ただ押せば写る写真でごまかしているみたいですよ」 「ところで、失礼ですが〜 おいくつですか??」と恐る恐る、お訊ねしました。 「82歳なんですよ〜〜ほほ・・〜〜〜大正15年なのよ〜〜」驚きました75・6歳だと思っていましたから〜〜。 「いや〜〜お元気何よりですね〜〜」お世辞ではなく本当にその様に感じていました。 そうしたら、 また寂しそうに、「だめなんですよ〜・・脳が悪く、手はふるえ、 足はふらつき・・・・」 「治らぬ 病に罹って〜〜」と云われ、お地蔵様をじ〜〜と眺めておられます。 そして、 小さな声で 「パーキンソンなんです。」 お話は、満州引き揚げから終戦後の苦しさを〜〜そして、寺社巡り、俳句、写真と・・・ そして最近の首地蔵のお参り、とスケッチ・・・話は尽きず 夕刻を迎えてしまいました。 幸い、雨もあがり 「久方ぶりに 楽しくお話をさせて戴き、ありがとう御座いました」とにっこりされながら、丁重なご挨拶を頂きました。 私は、「パーキンソン病」について、詳しく知りませんでした。 帰ってから調べて 解かりました。 何故女性が毎日、首地蔵にお参りして、スケッチをされているのかを!!!。 首地蔵は首から上の病に霊験あらたかと云われています。 スケッチは、手足のリハビリであることを〜〜〜。 誰に知られることもなく、懸命に努力をされて、おられたのです。 快方に向かわれることを〜〜お祈りしつつ〜〜〜 首地蔵さんの前での、一こまでした。 地蔵は新旧2体が祭られていますが、昭和50年11月に拝堂が燃えその火炎で旧地蔵のお顔が欠けたことから、その後近隣の人々によって新しい御影石の地蔵尊が安置されました。
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