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当社は、宝塚市の南東部で上中筋の国道と県道の交差点に鎮座されております。 境内の前は国道176号線と東側は県道335号の交差点に位置しています。 古くは、小池村と云い小池一族の土地でした。弘治年間(1555〜1558)中筋村に改められました。 当社の創建年月は不詳ですが、江戸時代中期に著された、「摂津誌」によると康永四年(1345)平義重(たいらのよししげ)が修理したと記載されており、また、震災後に発見された棟札に、康永四年(1345)二月十四日、大願主、平義重と記されております。 この事から、当社はこれ以前の創建であるとされております。 御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で、大分県の宇佐八幡宮から御分霊を勧請されたと伝えられています。 本殿は一軒社春日造りで、特有の意匠や工芸も随所に見られ、手法もすぐれているといわれています。 寛文四年(1665)に修理が行われましたが、室町時代後期(16世紀中頃)の摂津地域の神社建築を代表する建造物の一つとされています。 阪神淡路大震災で破損しましたが、災害復旧保存修理がされ、写真の通り極彩色に蘇りました。 ご本殿の写真は、「重要文化財八幡神社本殿(災害復旧)保存修理工事報告書」のもので、現在は覆い屋に覆われております。 御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)ですが、震災で本殿の倒壊でご神体の下遷宮の際に、初めてご神体の姿が明らかになりました。 本殿の内陣中央に正八幡大菩薩を祀り、その両脇に一体ずつ御神体が祀られていました。 両脇の御神体には墨書き等はなく、神名は不明です。 八幡神社では応仁天皇と神宮皇后と比売神の三神を祀っているところが一般的と言われていますが、当社は異なっております。 このことは慶長七年(1602)に中筋村の宗派替え(真言宗から法華宗)の影響とされています。 ご参考 :宝塚市中筋二丁目6−3
JR宝塚線 中山寺駅 北東に6分 |

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