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旧川辺郡安場村で、現、川面町の住宅地の中に広い鎮守の森が残されております。 当社の由緒については文献その他によって様々で、「宝塚市川面 皇太神社沿革史」(前田武治氏著作1982)には次の様に書かれております。 由 緒、 御由緒については、謎の多いところで、その謎を理解するために、この本即ち「皇太神社沿革史」 を書いたのであります。 それ故に皆さんはこの沿革史を読んで、読者自身が御由緒を心の中に体得して形成して頂きたい。 そして私達の祖先から受継いだ守護神・皇太神社を心から御信奉頂いて、平和な住みよい郷土を つくって頂きますことを最大の念願と致します。 この「皇太神社沿革史」は233ページあり、全部読みましたが、結局系統立ててまとめることが出来ません。 参道石段入り口の、由緒書き(最後の写真)をご参照ください。 本殿は角パイプ鉄骨造りの覆い屋に納められているので全容は見えません。 兵庫県神社誌によりますと、「桧皮葺き春日造り」で享保六年(1721)再建、寛延四年(1751)に修復とされています。 阪神大震災で破損、棟木などを取替え原形通り修復し、覆い屋を新築されたました。 皇太神社(祭神:天照皇大神)であるのに、本殿が「神明造り」ではなく、「春日造り」なのは、元は明城大明神であったり、多田神社或いは赤白神社(八幡神)が前身であったからのようです。 この鳥居は「明神鳥居(みょうじょうとりい)」で(鳥居のいろいろ参照)皇太神社(祭神:天照皇大神)の「神明鳥居(しんめいとりい)」ではありません。 これも本殿と同じいきさつですが、この鳥居は年代不詳ですが、隣の伊丹市中野の神社から譲り受け、村人総出して6kmの道のりを運んだそうです。 境内には9社の摂社・末社がお祀りされていますが、その中で「明城神社」と「多田神社」は明治維新の際に、皇太神社(天照皇大神)を勧請するにあたり、本殿から出されて境内社としてお祀りされております。 全国的に狛犬の台には盃状穴が見付かっていないと云われておりますが、当社に穿がかれています。 兵庫県阪神地区周辺の神社約500社の調査の中で、芦屋神社に次ぐ2例目です。 ご参考 :宝塚市川面四丁目7−6
JR・阪急 宝塚駅 北東に800m |

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