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当神社は、宝塚市の市街中心地の近く、清荒神(きよしこうじん)に鎮座されております。 この地は、清荒神 清澄寺(せいちょうじ)一般に三宝荒神さんと呼ばれるかまどの神様の参道近くで、 当社の前の道は、古代の有馬街道、義経道(よしつねみち)と昔から言い伝えられております。 西は有馬、東は、中山、山本、池田、箕面に通じていました。 須磨、一の谷の源平の合戦に通じた道であります。 当社の創建は不詳ですが、 御祭神の牛頭天王(ごずてんのう)は古くに、清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)の == 境内の一部であったが、寿永年間(1182〜1185)の頃、源平両軍が摂津の昆陽野(こやの)(現・ 伊丹市)での戦いのあおりを受けて焼失しましたが、建久元年(1190)に源頼朝によって、再建され たと伝えられています。 その後、天正七年(1579)伊丹城主、荒木摂津守村重が、織田信長にそむき、戦いとなり村重が 逃げる際にこの辺りを焼き払い、当社も再び焼失しました。 その後、寛文四年(1664)に現在の義経道沿いに、牛頭天王を祀る社殿を新築し、 京都、八坂神社を勧請したとされています。 当社は、何度と無く被災、焼失と再建を繰り返して」きましたが、 平成7年1月17日、阪神淡路大震災にて、全壊しました。 その後、覆い屋に納められていた、ご本殿は修復されましたが、 いまだに拝殿などは再建のめどはたっていないそうです。 プレハブ材の仮設の覆い屋には、パイプシャッターで本殿の保護がなされていますが、 哀れな姿をしております。 この他に、境内の右側に、境内社の愛宕神社があります。 また境内の狛犬は、嘉永五年(1852)九月に奉納の刻銘があります。 ご参考 :宝塚市清荒神二丁目21−6 阪急宝塚線 清荒神駅 北へ4分 |

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