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宝塚市、下佐曾利(しもさそり)の廃・香櫨寺(こうろうじ)(尼寺)



前回ご紹介の、下佐曾利神社から少し北に進んだ道沿いに、

石段をはさんで一対の石灯籠が残る、今は廃寺の香櫨寺(こうろうじ)があります。


旧境内地には、下佐曾利公民館と消防団倉庫が建てられております。

公民館の中に、観世音菩薩像が祀られておりますが、

廃・香櫨寺のご本尊ではありません。

北摂では、元禄6年(1693)開始の「多田庄三十三所」があり、

その第2番札所が、この香櫨寺でした。

記録には、「第二番下佐曾利村 宗旨不明 香櫨寺廃寺 本尊不明」と記載されております。

この地では、尼寺と伝えられております。


境内から北東を望むと、今井岳(382m)と、その後ろに三蔵山(411m)があります。

この両山共に、頂上に山城が築かれていました。

三蔵山(みくらやま)には、三蔵城、または、佐曾利城といわれていました。

尼子十勇士の一人、山中鹿之助が築いたとも言われています。


この三蔵城には、明智光秀の娘、佐保姫(さおひめ)が光秀の母と共に住んでいました。

佐保姫は後添いの母と折り合いが悪く八上城主・波多野秀治の好意で

三蔵山城に分かれて住んでいました。

いつしか秀治の息子・貞行は、佐保姫と許婚の仲になっていました。

ところが織田信長は丹波侵攻を明智光秀に命じました。

やむなく明智光秀は、八上城攻略にかかり、苦難の末攻め落とします。

それを知った波多野貞行は、光秀の母と娘の佐保姫(許婚)が住む三蔵城を攻め、

許婚をも炎に包んでしまいました。


この尼寺の香櫨寺は、いろいろ謎に包まれていますが、

光秀の母と娘の佐保姫の供養のために

開山されたのではないかとも考えられないでしょうか。



下佐曾利の皆さんが口ずさむ歌があります。

それは・・・・

     春 は む め (梅)  秋 は ま が さ に  白 菊 の

                     花 も 匂 い や  ま さ る 香 櫨 寺



入り口の石段と手水鉢に盃状穴が穿かれています。


石段に穿かれた盃状穴は、ことのほか美しく、

尼寺に相応しくも思われます。


   
  

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