|
当社は、川西市の中部の平野地区高台に、鎮座されています。 源満仲がこの地に、移り住んだ頃、 東部の原野(げんや)に「平ヶ沼」と呼ばれる沼がありました。 その周辺が大規模の開発が行われ、平野(ひらの)と言うようになりました。 そして、「平野明神」が鎮座されておりました。 伊 弉 諾 尊(いざなぎのみこと) 伊 弉 冊 尊(いざなみのみこと) 日 本 武 尊(やまとたけるのみこと) 仁 徳 天 皇(にんとくてんのう) しかし、大和国 葛上郡 の式内社 多太神社と同じ、 とされており、元々は、祖神、太田田根子命(おおただねこのみこと)を 祭っていたとも考えられています。 創始については不詳ですが、 享保年間(1716〜1736)のころ、 この社を「平野明神」と呼んでいましたが、 調査で、延喜式内社の多太社であることが解り、 元文元年(1736)に、寺社奉行大岡越前守によって 古い社の由緒を失わないように社名を正し、多太社と 刻んだ社号標石が建てられました。(市指定文化財) 大きな覆い屋に納められていますが、 春日造りの一間社で、 建築年代は、内陣厨子内の小箱に書かれ、 元禄六年(1693)の造営であることが確認されました。 また、蟇股(かえるまた)や欄間(らんま)などに、 桃山調が見られ、記録によると、天正六年(1578)にも 再建があり、その時の遺材と考えられています。 ご参考 : 川西市 平野 2−20−21 能勢電鉄 平野駅下車 南西へ15分
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2009年04月18日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]


