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この「小童寺(しょうどうじ)」には、悲しい伝説が残されています。 10世紀に多田院(多田神社)を建立した源満仲は、 子どもの「美女丸」を僧侶にするため、中山寺(宝塚市)へ修業に出しました。 しかし、美女丸は武芸のまね事ばかりして、遊んでいました。 美女丸が十五歳になったある日、満仲は修業の成果を尋ねました。 和歌や管弦はもとより、経文も読むことができないのを知った満仲は怒り、 重臣の藤原仲光に「美女丸を切れ」と命じました。 主君の子の命を奪うことができず困り果てた仲光の姿を見て、 仲光の子、幸寿丸は「わたしが身代わりに」と合掌し、 まぶたを閉じました。 仲光は流れる涙をこらえ、わが子を切り、 美女丸をひそかに比叡山(滋賀県)に送り出しました。 後にこれを聞いた美女丸は、 修業に励み源賢僧都(げんけんそうず)となり、 (自分の身代わりに命を絶った)幸寿丸のために この「小童寺」を建てました。 春には桜が、秋には紅葉が伝説を彩ります。(川西市ホームペ−ジより) この伝説は、西宮市津門神社の前に美女丸の首を洗ったと言われる 「明星池」のご紹介の際と、http://blogs.yahoo.co.jp/dekunobou36/40363256.html 幸寿丸が修行に出された、宝塚市の中山寺の紹介の際にも 記載させて戴いております。 この本堂の裏には、美女丸、幸寿丸、藤原仲光、のお墓があります。 また、その隣に、室町時代後期と言われる、 「十三仏板碑」などがあります。 お詣りしていると、ケーン ケーンとキジの鳴き声が聞こえてきました。 土塀の瓦に乗ってのお出迎えでした。 ご参考 : 川西市 西畝野 1−7−1 能勢電鉄畦野駅下車 北西へ徒歩1キロメートル
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