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この「神戸の盃状穴見学会」は当初5月27日に計画されていました。 折からの、新型インフルエンザの発症で、延期されていましたが、 一昨日17日と18日の二日間にわたって行われました。 街行く人々には、マスク姿も消え、元のお洒落なヤングの街にもどっています。 今、色々のところで、割引などがあり、お得な神戸の街巡りなどができます。 ぜひ〜〜ぜひ〜〜お越しください。 参加された方々は、四国の香川県、三重県の鳥羽、滋賀県の守山、 そして地元神戸の方々と各地から参加を戴きました。 神戸市には、約180箇所の石造物に盃状穴が穿かれたものが 残されています。 今回の見学会では、その中で代表的な所をご案内させて戴きました。 神戸市の最東端のお寺です。 古い手洗い鉢は、古墳時代の家形石棺の蓋と 思われる物が使われています。 その周囲に大小沢山の盃状穴があります。 一の谷合戦の跡地から少し西に「敦盛塚」と呼ばれる 大きな五輪塔があります。 平敦盛(たいらのあつもり)は16歳、笛の名手としても 知られていましたが、武運つたなく、この一の谷合戦で、 熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)に討たれました。 この若き武将の供養のために、大きな五輪塔が建立されたという 伝承から敦盛塚とよばれ、今も多くの方々の参詣がたえません。 この基壇に、多くの盃状穴が穿かれております。 この地は、平清盛が治承二年(1178)上陸した地でもあり古代の要津で あったとされ、外国人検問の役所(玄藩寮)の中に奉祭された神社が当神社の 創始で、足利尊氏が西国敗走の折、参詣し社前の浜から乗船したなどの謂れがあります。 年代不明の大きな手水鉢と、稲荷社前の手水鉢大きくてきれいな形の盃状穴が 穿かれています。 一個の盃状穴から、型取りをしてみました。 きれいな円錐状で表面も非常に滑らかです。 平清盛の遺骨を持ち帰った円実法眼が埋葬したお墓として 信じられて来た石造十三重塔ですが、道路工事に伴い少し移設したが、 その際に墳墓とは確認されなかったそうです。(県の文化財) この基壇に多数の盃状穴が穿かれています。 また、周囲が黒くなっている盃状穴があり、 灯明として使われた形跡がみられます。 第二次世界大戦で、神戸の街も度重なる空襲により1万人の 命が奪われました。 中でも、昭和20年3月17日のアメリカ軍B29爆撃機による 大空襲で雨嵐のごとく落下する焼夷弾で多くの人々が逃げ惑い焼死されました。 この大輪田橋からは、炎に巻かれ熱さから逃れるために多くの人が飛び込みました。 しかし、海水は熱水と化し、飛び込んだ全ての人が蒸し焼きになり、亡くなられました。 その数500人とも云われております。 今回の見学会で、もがき苦しんで亡くなられた方々の 霊安らかならんことをお祈りしつつ、この橋を渡りました。 神出町宝勢地区の上池堤防に地蔵堂があり、 大きな盃状穴が穿かれております。 神戸市の西端の「吉田郷土館」に保存されている家形石棺の棺身台 に沢山の盃状穴は穿かれています。 これは隣の「神本神社」の手水鉢に利用されていますた。 嶋姫神社の常夜燈、庚申塔、法華塔など、 下北古稲荷神社の手水鉢 宝勢地蔵堂の法華塔 宝勢大歳神社の古い手水鉢 蘇民神社の古い手水鉢 常纂寺の手水鉢 と次々と見学いたしました。 |
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2009年06月19日
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