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本日のご紹介で、66社中の20社目です。(遅れており申し訳ありません) 当神社は、尼崎市の南西部、武庫川左岸の元浜地区の住宅地の中に鎮座されています。 この地は臨海工業地帯で、南側に広がる広大な工業地帯には、 今後の日本の産業を担う、パナソニックプラズマディスプレイ尼崎工場を始めとして クボタ、日本油脂、等の大工場地帯となっています。 応 神 天 皇 (おうじんてんのう) 創建は不詳ですが、 大正三年には一旦隣村の、西素盞鳴神社に合祀されましたが 氏子崇敬者の篤い要望で昭和24年に元の鎮座地に奉斎されました。 昭和35年には、大浜新田に祀られていた、大浜八幡神社が 合祀されました。「尼崎市神社あんない」より抜粋 境内の石造物には1800年代の刻銘が多く、鳥居は天保十五年(1844) 常夜灯は、文化十二年(1815)、手水鉢は、享和四年(1804)、 和泉砂岩の狛犬は文政七年(1824)の刻銘があります。 当社には、4対の狛犬が奉納されていますが、その中の拝殿近くの 第1列に配されている狛犬は、神戸・阪神地区で初めてお目にかかる物で、 花崗岩製の少し小ぶりではありますが、尻尾が丸まっています。 これは、出雲型狛犬に見られるものですが、幕末に大阪の石工が出雲型を 手本として彫られたとも伝えられていますので、その種のものと考えられます。 色の黒く見えるのが、和泉砂岩製で、浪速(住吉型)狛犬です。 台石には、文政七年(1824)の刻銘がありますが、これは別々で 移動などの際に、別の台石の上に乗せられているのかと考えます。 狛犬自体の製作は、1700年代の後半ではないでしょうか。 参道の入口近くに立派な常夜燈がありますが、 その基壇(台石)に一個の盃状穴が穿かれています。 その他には竿の下部にわずかに削られた痕跡がありますが 盃状穴とは断定され難いものです。 この常夜燈も他所から持ち込まれたもので、そこには多分 この他にも穿かれていてのではないかと想像されます。 では、盃状穴って何だろうと思われる方々もお見えでしょうから、 ごく、簡単にご説明しますと、 盃状穴(はいじょうけつ)とは、「盃(さかずき)の状態をした穴」という意味ですが、 「盃状穴」なる名称が生まれたのが、 昭和55年5月、山口市大内の神田山にある、神田山1号墳の石棺の蓋石に 人為的に穿かれた数多くの凹み穴が確認され、 国分直一博士(当時:梅光女学院大学教授)により命名されたのがわが国の最初とされています。 では、何故その様な凹み穴を作ったのでしょうか?。 先ほどの神田山古墳の石棺蓋は、死者の蘇生を願ったのではと考えられています。 それでは、神社仏閣で見られる盃状穴はどうしてでしょう?。 それらは主として、手水鉢、灯籠の台石、石段等に穿かれていますが、 年代はその奉納の刻銘から1700年代以降であり、 その穿った目的は、今もって謎が多く解明されておりませんが、 一般的には、子宝、安産、豊作、大漁、病気平癒、等々を願って 堅そうな握り易い石で、叩き擦り回して明けたのではないか、と推考されています。 ご参考 :尼崎市 元浜町 四丁目 37 阪神バス 南武橋東詰 停留所 北へ2分
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