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(クリックで拡大してご覧下さい。) 当神社は、尼崎市の大物町、阪神大物駅より南に50mの所、 国道2号線と43号線の中ほどに鎮座されております。 前回ご紹介の桜井神社は尼崎城址の西端に鎮座されていましたが、 本社は、逆方向つまり、東北の方向に鎮座されていました。 すなわち、その位置は尼崎城の「鬼門」にあたります。 現在地は、それより南になりますが、藩主青山氏の時代に移転したと 云われております。 (クリックで拡大してご覧下さい) 摂津名所図会(せっつめいしょずえ)寛政8〜10年(1796-1798) 手前が大物川と大物橋、 右上が大物主神社の全景が描かれています。 この地は、巨木の集積地として知られていましたが、 謡曲の「船弁慶」や、歌舞伎で有名な「義経千本桜」の中で出てくる、 「大物浦の段」が有名です。 大 物 主 大 神(おおものぬしの おおかみ) 別名 :三 輪 明 神 です。 市 杵 島 姫 命(いちきねしまひめの みこと) 安芸の宮島、 「厳 島 神 社」より勧請。 田 心 姫 命(たごりひめの みこと) 湍 津 姫 命(たぎつひめの みこと) 往古、この尼崎の海岸は、現在より北に入り込んでいました。 そして、「神崎川」と「武庫川」に挟まれた三角州で、度々の水害に 悩まされる土地であり、そして、海運の要衝でもありました。 平家物語にも語られる、源義経、弁慶が「大物浦」から船出して、 大風に流されたとあります。 当社はこの様な土地の守護神として、古くから祀られてきたと云われています。 市杵島姫命は、平清盛の願により、安芸の厳島から 勧請し合祀をされました。 (クリックで拡大してご覧ください) 国道2号線と国道43号線をつなぐ、県道大物線の中程です。 社号標石です。 中央の石柱は、万度石です。 一般には、百度石で、お百度をふむと言われる物ですが、 ここは、万度石ですから、一万回拝殿と万度石を往復して お願いしなければいけないのでしょうか。 それだけお参りするのですから、きっと、お願い事が叶うでしょうね。 拝殿です。 本殿の裏側です。 戦前の社殿です(昭和12年) しかし、昭和20年6月15日の大空襲で焼失していまいました。 国民学校(小学校)の生徒の参拝です。「欲しがりません、勝つまでは!」。そして、 神風が起ることを信じて。 兵隊さん、ご苦労様です。と感謝を込めて。 私たちはこれを「日参(にっさん)」と言っていました。 遷宮などのお祝い神事に、お稚児さんによる「砂持ち」です。 持ち込まれた砂は、境内に撒かれました。 注)、 ここに掲載の昔の画像は、尼崎市在住の、稲垣恵一氏の神社の変遷に 掲載された冊子から許可を戴き、拝借、引用させて頂いたものです。 |

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