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(クリックで拡大してご覧下さい。) 国道43号線の辰巳大橋付近です。大阪市との境界です。 この右側の少し入った所に当社があります。 当神社は、尼崎市の南端、東本町の南、左門殿川沿いに鎮座されています。 元は、少し北側の、「ユニチカ記念館」の敷地内にありましたが、 明治22年に、尼崎紡績(大日本紡績の前身)の工場建設に伴い、 現在地に移転した」とも云われています。 「ユニチカ記念館」です。 当社はこの敷地内にあったとの説もあります。 この「ユニチカ記念館」は明治33年(1900)に、尼崎では最初の大工場である 尼崎紡績会社(現在のユニチカ)の本社事務所として建設された建物で、 市内に現存する最も古い洋風建築です。 建設された尼崎紡績工場です。 応 神 天 皇(おうじんてんのう) 別名は、誉田別尊(ほむたわけのみこと) 大鞆和気命(おおともわけのみこと) 誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと) 胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)等とも称されています。 (クリックで拡大してご覧下さい。) 前の通りです。北東向きに鎮座されています。 大鳥居です。 境内、拝殿です。 なかなか立派な本殿です。「一間社流れ造り」です。 末社、金子稲荷社です。 境内の東隅に、「辰巳の渡し仇討址」の碑があります。 石碑の側面には、 「慶長八年(1603)、辰巳の渡し場で、藤堂高虎の家臣、高畑寿教の妻、 槇が、家来、端四郎の助太刀により、亡夫の仇、佐和新九郎を討ち取り自刃した。」 の意味が読み取れます。 ご参考 :尼崎市 東本町 1丁目 42 東本町バス停留所 300m東
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