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当社は、尼崎市の東北、藻川の左岸、園田地区の東園田町5丁目に 鎮座されています。 園田東中学校のすぐ西側で、阪急園田駅の北になります。 園田の地名は、中世の荘園「橘御園」から村名がつけられました。 明治二十二年、周辺の18の村(猪名寺、田能、御園など)が合併して 園田村になり、昭和22年尼崎市に合併しました。 鳥居、園田東中学校のすぐ西側に建つ。 天 之 手 力 男 命 (あまの たぢからお の みこと) 創建は不詳です。 旧法界寺村の氏神さんです。旧集落の北東少しはなれた場所に 位置しています。 拝 殿、 拝殿内部、奥のご本殿は、 一間社流造(いっけんしゃ ながれつくり)で、屋根は、柿葺(こけらぶき)です。 正面の向拝中央の蟇股(かえるまた)は凡字、身舎の蟇股は左側が「牡丹」、 右側が、「桃」がそれぞれ彫刻されています。 部材の多くは新材に取り替えられておりますが、残る当初部材から 建築年代は、17世紀末から18世紀初め頃と考えられます。 (尼崎市教育委員会、「尼崎文化財散歩」より) 本殿の覆屋です。 拝殿内部の正面左側の絵馬です。(明治二十五年奉納)
「九尾(きゅうび)狐の退治図」
九尾の妖狐の伝説は、天竺・中国・日本にその舞台をひろげる、広大な物語で、謡曲「殺生石」にしくまれ有名となりました。 日本に飛来した金毛九尾の狐は、天下無双の美人となり近衛天皇の 寵をえて玉藻の前となりました。 天皇は、その妖美に魅せられ政務をおろそかにするため、大臣らは陰陽師の 安倍康成に祈祷させ、その正体を見破ります。 そして、東国武士の上総介広常と三浦介義明の両名によって 那須野で退治させました。 殺された妖狐の霊は石と化して、近寄る人や鳥獣を殺す 殺生石(せっしょうせき)となりました。 世にこれを「那須の殺生石」といわれ、のちに玄翁(げんのう)和尚の 法力で妖狐の精魂は散滅させられました。 石を砕くときに用いる大金槌を「玄翁(げんのう)」と云うのは、 この故事からだそうです。 右側の絵馬です。「武者図」で明治二十五年の奉納です。 境内社です。右から「八幡社」「稲荷社」「住吉社」が祀られています。 境内の灯籠です。文政十二年(1829)三月の刻銘があります。 狛犬は新しいですが、台石は嘉永七年(1854)三月の刻銘があります。 ご参考 :尼崎市 東園田町5丁目73 阪急園田駅 北に3分
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