神社巡り神戸、中央区

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

本社は、兵庫県庁より、西に200mの街の中に鎮座されています。

治承4年(1180)、平清盛が福原京を造営した際、清盛が崇敬していた、広島の厳島神社より7社を神戸に勧請した内の1社とされています。

この花隈の地は、その昔料亭が軒を列ね、芸奴さんの参拝が多く、華やかな賑わいをみせる神社であったが、今では料亭も数軒しかなく、芸奴さんも、見ることが出来なくなりました。

境内の玉垣には、当時の芸奴組合、料亭の名が刻まれており、わずかに当時の面影を残している。

ご参考 :神戸市中央区花隈町6−5      TEL078-341-4566
     市営地下鉄 県庁前 下車 西へ200m

            これで「中央区」の全ての神社のご紹介が終わりました。
                    次は「兵庫区」のご紹介です。
                引き続きお越し頂きます様お願いします

           

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

本社は、湊川神社の北200mの所、地下鉄大倉山駅のすぐ南に鎮座されます。

また、神戸にある一宮神社から八宮神社の中の、六宮神社と八宮神社を合祀された神社です。

両神社とも創建時は別のところにあったそうで、八宮神社は、現在地より東は300mの元市役所の場所、六宮神社は、西に300mの楠中学校の場所にあり、各々、役所、学校の建設のために現在地に移され合祀されたそうです。

珍しいことに、両社は一つの本殿を二部屋に分け、右側が「六宮神社」、左側が「八宮神社」、として鎮座されています。

お祭りとしても、7月13日の夏祭りは、「六宮さん」のお祭りで、

        10月9日の秋祭りは、「八宮さん」で、湯立神事と神楽を奉納されているそうです。

ご参考 :神戸市中央区楠町3−4−13      TEL078-341-6920
     市営地下鉄 大倉山駅 下車 東南出口前

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

三宮神社から西に約1km、花隈駅の南の、元町5丁目の繁華街の中に、鎮座されています。

延喜年間(901〜)菅原道真公が、筑紫の大宰府へ左遷の途次、この地に立ち寄られ、村民に高徳を施され、後に村民達は、その余徳をと温情を偲び、旧跡に祠を建立し、お祀りしたのが、起源と伝えられています。

その後、神戸港の発達とともに、村区画の整理、合併などがあり、明治8年、近隣の八幡社を合祀、旧走水村の地名とり、「走水神社」を創建したそうです。

境内には、狛犬は無く、牛が置かれているが、戦災以前には狛犬と、両方があったそうですが、爆撃で狛犬は破壊され、牛が残ったそうですが、その牛も、角は折れてしまい、無くなったままで現在置かれています。

他に、御祭神の高徳を授かろうとして、筆の形をした、「筆塚」あります。

ご参考 :神戸市中央区元町通5−6−1     TEL078-341-2028
     JR元町駅 下車 西へ 600m 徒歩 8分

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

新幹線、新神戸駅より、東に400mの摩耶山の山際にある、中尾町に鎮座されています。

狭い道で、急な坂道の入り組んだ所で、地図にも掲載されていないので、分かり難い所です。
このあたりは、旧家が多く、現在この方々が神社の管理をされているそうです。

創建の時期は不明ですが、生田神社の元鎮座地(砂子山)に住んでいた、布敷首の一部がこの地に移り住んで、天照皇大神を祀ったと伝えられているそうです。

明治6年に村社に列せられ、同年二宮神社に合祀され、大正12年に合祀を取り消し、この地に奉斎したそうです。

ご参考 :神戸市中央区中尾町10−20     TEL078-222-3477(筒井八幡神社社務所兼務)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

湊川の楠公さんと、生田さんは、神戸を代表する神社で、兵庫の歴史関係書、ガイドブック、などに多く紹介されていますので、その中の一部を紹介させて頂きます。

「現在、神社の周辺は、神戸随一の繁華街でビルが林立しているが、かっては旧生田川が流れていたJR三宮駅付近まで、うっそうとした森で、『森は・・・・生田の森』と『枕草子』(能因本)にも記されており、多くの歌にも詠まれました。

また、境内には梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)が梅の枝を箙(えびら)(矢を入れる武具)にさして奮戦したと言う『えびらの梅』や、平敦盛の遺子が父のお墓を訪れる途中に、立ち寄り休息したという『敦盛の萩』など、源平合戦に関係する場所もあります。

14世紀になって、楠木正成が戦った湊川合戦、16世紀の織田信長の花隈城攻めなど、幾たびかの戦乱の舞台ともなった。

江戸時代には、社前から海辺の鳥居までの馬場道が桜の名所として、庶民に親しまれたが、明治時代になって、馬場の南側は、外国人の居留地となってしまい、残った北側の桜もいつしか取り除かれてしまった。」・・・(兵庫県の歴史散歩より)

開く トラックバック(1)

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.
NORI
NORI
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事