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神戸市、中央区の湊川神社(みなとがわじんじゃ)で、今日13日に師走恒例の「煤祓(すすはらい)」神事が斎行されました。 これは新年を迎える準備となる最初の神事で、社殿内外のすすを払い、清新な境内で新年を迎えるための、大切な神事であります。 すすを払う竹を「忌竹(いみたけ)」(斎竹とも云う)と云い、長さ4mで先には葉枝がまとめられて、紙垂が付けられています。 神前にて祝詞奏上のあと、用意された5本の忌竹で、宮司様と神職、巫女で、御本殿前、拝殿内外を始め、摂社、東門、西門、最後に「表神門」のすす払が行われ、煤祓神事が終わりました。
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関連神社
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神戸の生田神社に師走の訪れと共に、来年の干支にちなんだ、ねずみをあしらった絵馬が奉納され、記念写真に人気を呼んでいます。 この絵は、和紙のちぎり絵「しゅんこうのちぎり絵」で、剥いだ和紙を張り合わせてありますが、和紙のもつ色と、ちぎることで生じる毛羽による、淡い優しさのある、水彩画の画風が特徴のようです。 本殿の西隣の池には、生田弁才天、市杵島(いちきしま)神社が鎮座されております。 噴水と紅葉が師走の陽光に映えています。 また、灯籠は九州薩摩藩市来港の商人、林善次郎が宝暦六年(1756)に寄進されたものです。 この石の材質は近畿地方では見られないことから、阿蘇の火山石ではないかともいわれています。 台石には盃状穴が穿かれていますが、形状は三角錐状に尖っているのが見られます。
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明石の岩屋神社(ご紹介済み)は、成務天皇十三年(147年)成務天皇の勅命により、淡路島の岩屋、石屋(いわや)神社から御遷になったとされています。 そこで、早速参拝させて戴くため、淡路島に渡ることにしました。 明石の岩屋神社のすぐ東の船着場から、高速艇に乗り、淡路島の岩屋漁港に向いました。 明石海峡大橋をくぐり、僅か約18分で岩屋に到着です。 降りてすぐの所に、砂岩で出来た小さな島、「絵島」があります。 太古、イザナギ・イザナミの二神が、国づくりのとき、最初に生まれた国が「オノコロ島」で あり、淡路島を指すとされていますが、この、絵島であるという説もあります。 島の頂上にある石塔は、平清盛の兵庫築港の際に人柱となった、侍童、「松王丸」の菩提を弔う ために建てたと伝えられています。この山には登ることが禁止されていて残念でした。 (説明書より) ここより少し南に、明石の岩屋神社のご本家、「石屋(いわや)神社」が鎮座されておりました。 鳥居の後ろの大きな門屋敷は、何と云うのか分かりませんが立派な建屋です。 (石屋神社は次に)
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六甲山の開拓者、 アーサー・ヘスケス・グルーム の逸話に次のように書かれています。 ある日グルームの101別荘にハンターに追われた一匹の狐が逃げ込み、この狐を彼が救ったことから狐は隣に住み着き、食べ物ほしさに姿を見せると言う話があった。 彼がスープの味出しに使った牛の骨などを庭の芝生に置いて、空き缶をフォークでたたいて合図をすると狐の親子が4・5匹出てきて食べたそうで、グルーム以外の人が缶をたたいても警戒して出てこなかったそうです。 この話が英字新聞に掲載され横浜の外国人にも伝わり、わざわざ見に来た人もあった。 彼の四女の柳さんは「父にだんだん慣れた狐は、夕方父だけがコテーッジの縁先にいると、のこのこ上がってきて、父の膝を枕にして居眠りをするほどになっており・・・・・父が亡くなってからは一度も姿を見せなくなりました。」と回顧している。 大正8年2月、グルームが亡くなって1年が過ぎた頃、5人連れの日本人の男が、生田の森の北側にあったグルーム家を訪ね、「お宅は六甲山に何か関係がありますか」と尋ねて応対に出た家人の返事も待ち切れぬばかりに勝手に上がりこみ、グルームの仏壇に平伏して長々と頭を下げ、一向に去ろうとしない不議な出来事があった。 後に、このことについて、「白髭、白菊」の夫婦と名乗った人が、家人に次のように伝えた。 「諏訪山のお稲荷さんのお祭りの日のこと、グルームが可愛がっていた狐の霊が乗りうつり、グルームさんには少なからずお世話になった。遺族の人達の何かお役に立ちたいので、その方の家に連れて行け。とお告げがあり、歩き出すと5人そろって自然とこの家に足が向いた。」 何者かに導かれるようにグルーム家を訪ねたのは三宮の貿易商だったが、この出来事あり2・3年してグルーム家では、「白髭、白菊」の狐を祭るようになった。 昭和8年に末娘の柳が横浜の岸氏と結婚することになったので、祭っていた「白髭、白菊」を、山の人々の協力を得て六甲山上の全但ホテルの隣に白髭大明神、白菊大明神として祀り、白髭神社と名付けた。 現在も近隣の方々や関係の人達の参拝がたえません。 先日、9月10日は秋祭りで、縁のある方々で賑やかに神事が斎行されました。
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境内の奥、西側に「生田弁財天・市杵島神社」が鎮座されておりますが、 2月17日に挙式した、藤原紀香が式の当日早朝に「弁天さんにお参りしたい」と言い出し参拝した神社 で、御祭神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は、音楽、芸能の守護神で知恵と財宝を授けてくだ さる神とされています。 ところが以前は周囲が池であるため、転落の危険があるため鉄柵で閉ざされていました。 藤原紀香の参拝を機に周辺を整備し6月17日の例祭に合わせて開放される事になりました。 写真ー1、の見取り図で左上に位置しています。 写真ー2・3、は整備前の入り口付近と太鼓の石橋、 写真ー4・5、は新しく整備された橋などで、車椅子も入れる様に平坦な石橋になった。 写真ー7・8、が生田池。 写真ー9、早くも沢山の絵馬が奉納されました。 写真ー10・11、は宝暦六年(1756)二月の刻銘のある立派な灯籠で台座には盃状穴が みられます。
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