神社巡り神戸、須磨区

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本社は、山陽電鉄の板宿駅の西、500mの所、妙法寺川沿いに鎮座されています。

当社の由緒は次のように記されております。
永延元年(987年)9月、第60代一条天皇の御代・須磨の浦の真南にあたる紀州熊野の大神を勧請し、妙法寺川沿岸の、大手・板宿・東須磨・野田・駒ヶ林の五ヶ村の氏神として、創祀されました。

寿永元年(1182年)須磨の地に御遷都されるにあたり、大手の守護神として平家一門の崇敬篤く、徳川の代に至って「須磨聖霊大権現」と称せられた。

明治初年證誠神社と改め、明治六年村社、同十四年郷社に加列、大正五年神饌幣帛供進神社に指定され、須磨地域一円の守護神として、崇敬されて現在に至っております。

当神社の祭礼には必ず少し雨が降るため、 「しょぼしょぼ権現ふる長田、生田祭りは降らぬことなし」 と今も言いならわされている。

境内には、宝永五年(1708年)聖霊大権現奉献と刻まれた石灯籠等があります。

ご参考 :神戸市須磨区権現町1−3−2      TEL078-731-2743
     山陽電鉄 市営地下鉄 板宿駅下車 西へ 徒歩5分

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本社は、須磨区の東部の中央付近、県道22号線沿いに、両社共 同じ境内に鎮座 されております。

当社、八幡神社の御本殿は、 北向きに建立 されており、通称 「北向きさん」 と呼ばれています。
御祭神は 応仁天皇 といわれていますが、実はその内陣に 「大国主命」 が祀られており、 出雲 に対してその敬意から 北向きに建立 されたとも伝えられています。

また、一の谷の合戦の時に、 源義経 は村人から、御神威が高く、飛ぶ鳥でさえ社殿の上空を飛べない社があると聞き、 那須与一 に、武運長久の代理の参拝を命じた。

そこで那須与一は、当社に参拝し、 主君義経の武運長久を祈念 したそうです。
そしてまた、自分の守護神としても崇め、戦乱の後、与一はお礼参りに当社を訪れるが、中風の病の為に当地で亡くなりました。

道を挟んで西側に 那須与一のお墓 があり、命日である毎月七日には、当社と墓所に多くの参拝者があります。

例大祭は、10月第二日曜日に斎行されますが、周辺のニュータウン化が進み、氏子区域も広がり、現在10ヶ所以上の単立町会が連合して(妙法寺連合自治会)祭典が行われいます。

子供相撲、福引、餅つき、ビンゴ、等、催され、 子供達には楽しい祭礼日となり、これを通じて子供達の教育の場 となっております。

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本社は、須磨区の東部の、地下鉄板宿駅から北西に600mの所の、 上野山に鎮座 されております。

創建は、菅原道真公が九州に左遷された時の宿泊の跡を保存するため、 永延元年(987年)1月菅原道真公と、武神八幡大神を鎮守神 として創祀されたそうです。

この地区に 飛松の地名 が(飛松中学校など)あるが、この 「板宿・飛松」 の名称は、菅原道真公左遷の祭、「 で囲った簡単な 宿 泊所」を設けた事により 「板宿」 と称し、また、菅公が京都で大切に育てておられた松が、菅公の後を追って京都からこの地まで んできた 「飛松」 の地名が由来するそうです。

この時の 松の巨木 は大正年間に落雷が原因で枯れ死しましたが、その 切り株 は、境内の 飛松社に奉斎 されており、 「大宰府の飛梅」 と並んで 「板宿の飛松」 として人々に慕われてきております。

当神社の境内の続きであった東側(現在の須磨学園高校)を大正13年に開拓した時、 推定四世紀の竪穴式石室 が発見されました。

その 古墳 から、 一体の人骨 (女性)と 二面の鏡、刀剣等 が出土し、現在 東京国立博物館に展示 されておりますが、その写真が当社に所蔵されております。
撮影させて頂いた写真が「最後の写真ー7」です。

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本社は、須磨区の北部、白川台北端の原始照葉樹に囲まれた小高い所に鎮座されております。

当社の略記・由緒には次の様に記されております。
創建年代は不詳であるが、社伝によれば、『長徳元年(955)疫病流行せしかば、これを除疫のため、素盞雄大神を勧請、除疫病の神として近郷の崇敬甚し、朝廷亦奉幣の宣命を下し給ふ』とある。
しかし、残念なことに「源平寿永の兵乱に悉く失う」とも伝える。

古くより、白川の里人は「天王さん」と称して奉斎してまいりました。
「天王」とは、牛頭天王の略称にて、素盞雄大神の別称でもあります。現在でも、7月13日の夏祭りに合わせて「天王篭り」と唱える饗応が里人に伝えられています。

その後、昭和45年の白川台ニュータウンの造成に際し、宝暦三年(1753)建立の本殿を覆う現社殿を造営、さらに社務所を設けた。
以降、地下鉄の名谷駅近辺を含む、須磨ニュータウンの守護神としても崇敬されております。

狛犬ならぬ、クロちゃんが愛嬌をふりまきながら、留守をお守りされておりました。

ご参考 :神戸市須磨区白川字池の尻51    TEL078-741-1838
     地下鉄 名谷駅下車 市バス 70系統 白川台終点 下車 スグ西

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本社は、須磨区の北外れの旧白川村に鎮座されております。紹介しました白川大歳神社から、東の山裾にやまももの大木に囲まれ、ひっそりと佇んでおられます。

参道の入り口手前には、大きなカヤの木があり、根元に石を抱き幹を太らせている事から、 「白川の石抱きカヤ」 と呼ばれ、良い目印となっております。

当社は、源平の合戦の折に、源義経の軍勢を鵯越(ひよどりこえ)から一の谷へと道案内したことで、鷲尾の姓を賜ったとされる 鷲尾家の氏神 であります。

創建は、応保二年(1162)と伝えられており、祭神の 猿田彦大神 は、道彦の神、そして配祀の 天鈿女命 (あめのうずめ)は芸能の神として信仰をあつめております。

また、子供達は、イボ、タコ、デンボ(化膿性ふきでもの)が出来ると、それが治るように 「タコの絵馬」 を奉納し、祈ったそうです。タコはイボを吸い取るという事からです。
現在でも、タコの絵馬が数多く奉納されております。

ご参考 :神戸市須磨区白川字堂の東498      TEL078-741-1838(白川大歳神社社務所)
     市営地下鉄 名谷駅 より 市バス 70系統白川台終点下車 徒歩15分

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