神社巡り神戸、垂水区

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本社は、垂水区の北部、旧多聞村の原始照葉樹林残る、小高い丘に鎮座されております。

当社の創建について、由緒書きの立て札(写真ー8最後の写真)に記載されている「貞観五年(863)の創建にして・・・・、」はすぐ南にある多門寺の鎮守神(大山咋神)と混同されたようで、誤りとされ、多聞六神社は 安永六年(1777)の創建 のようです。

境内には、大震災復興記念碑があるが、これは震災で倒壊した鳥居の「貫き」をそのまま記念碑にしたものと、ひびが入った狛犬(嘉永四年1851奉納)が置かれております。

また、お百度参りの際に、回数が分かるよう、竹棒が100本竹筒に入れてあります。

秋祭りには、獅子舞、だんじり、子供神輿、など、小・中学生が参加して奉納されます。拝殿内の額は、獅子舞の写真(写真ー6)です。

ご参考 :神戸市垂水区多聞台2−17−5    
     JR舞子駅 市バス 54系統 本多聞2丁目 西へ 徒歩5分

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本社は、JR垂水駅のすぐ南に鎮座されています。正面は2号線に面しており、その先は垂水漁港があり、高さ12mの朱塗りの 浜大鳥居 がそびえております。

当社の創始は、社伝によりますと、
神功皇后が三韓よりの帰路、暴風怒涛のため、御船を進める事が出来なくなり、皇后自ら綿津見三神を祀り祈祷したところ、たちまち風波は収まり、無事に都に帰られた。
そのとき神功皇后が綿津見三神を祀って、御神徳を仰いだのが、鎮座の由来とされています。

しかし、当社は 5世紀後半に、明石国造 (あかしのくにみやっこ)に任じられた 海直(あまのあたえ)(五色塚古墳を築いた、大倭 直の一族) による創建と考えられています。

さらに当、海神社は、 古代の山陽道 (現、国道2号線)に沿い、かつ、幾内に入る関門・明石海峡に面しており、 「境の神」 としての意味があったとされています。

なお、一昨日(2/21日)にご紹介しました、 「下畑海神社」当社の本宮 とされています。

本殿垣内には、享保六年(1721)、天保五年(1834)の石灯籠(写真ー6・7)があります。

秋の例祭は、10月11日の フトン太鼓の引きまわし 、12日の 「神幸祭」(海上渡御) があり賑わいをみせます。

海上渡御は、 神輿を乗せた御座船 が、数十隻の 守衛船(お供の船) を従え、垂水漁港を出発して、西は舞子沖から東は神戸港沖まで渡御します。http://kobe-mari.maxs.jp/kobe/kaijinja_kaijo.htm

ご参考 :神戸市垂水区宮本町5−1     TEL078-707-0188
     JR垂水駅 南へすぐ

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本社は、垂水区の東端、鉢伏山の北西に位置する、下畑町の第二神明道路の南下に隠れたように鎮座されています。

旧神明道路の南側に、 「竜宮城」 と書かれた朱色の鳥居があります。
これをくぐって石段をおりると、 さざれ石の崖 を背にして、 大歳神社 がありますが、社殿の前の偏額に 「乙姫大明神」 とあり、「乙姫さん」とも呼ばれております。

また、境内には、 天高稲荷神社 も祀られており、別称 「天高さん」 とも呼ばれております。

当社の創始は、 承安年間 (1171〜)に 平清盛が建立 したとも伝えられており、昨日紹介の「下畑海神社」よりも古くから祀られ、この地区の 元の鎮守社 であったといわれています。

伝説  下畑の浦島太郎

この北側に、「鯛とり山」と言う小さな山があります。

この山で、浦島太郎は鯛を釣りましたが、釣った鯛を助けました。

助けられた鯛は、浦島太郎を竜宮城へつれて行き、百年目にこの乙姫神社の岩の上に帰ってきて、目を覚ましたと云われております。

このような「浦島伝説」は、全国にありますが、神戸のニュータウンの近くにあるのも、面白く思われます。

ここの稲荷社では、 初午の日 に、当番が米と豆を集めて 握り飯 を作り、これを 山伝いに置 いていく。

冬の食べ物のない時期に、 山の動物に食べ物を 与えて、山を荒らすのを抑えるための 「野坂舞」 と云う行事である。また、これは 五穀豊穣を祈願 するお祭りでもあります。

ご参考 :神戸市垂水区下畑町神ノ脇437     TEL078-707-0188  (海神社兼務社)
     地下鉄  名谷駅 市バス74系統 下畑下車 東へ 徒歩5分

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本社は、垂水区の東端、鉢伏山の北の 下畑町の高台の城ガ原に鎮座 されています。この地は、明石藩の出城跡ともいわれております。

創始は、 宝暦年間 (1751〜1764)に垂水村鎮座の 日向神社の御分霊 を迎え、下畑村の鎮守の神としてお祀りしたのが、創始と伝えられているそうです。

この下畑地区では、統主と呼ばれる、六家(佐伯、石坂、森本、佐伯、藤田、林)が、輪番制で神社のお守りをしています。

またこの地区では、各家の祠が、村の中に点在して、祀られております。(写真ー6・7)

境内には、土俵があり、秋祭りには子供が主役の、 「神相撲」 が奉納されます。
地元の青年会が準備等行い、 満5歳になった男子 が、赤いふんどしをつけ、盛土を平にかきまわし土俵を作り 相撲をとる伝統行事 があります。

ご参考 :神戸市垂水区下畑町城ヶ原1963     TEL078-707-0188 海神社兼務社
     地下鉄 名谷駅 市バス74系統 下畑下車 北へ 徒歩8分

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本社は、垂水区のほぼ中央の西名地区の小高い森に鎮座されております。

創始の詳しい事は分かりませんが、社殿新築の記念碑には、
古来、この西名村に住みついた、ご先祖の人達の子種と安産と子孫繁栄を守る陰陽の自然石をこの神殿に祀った産土神の古奈祀神社である。
文政時代に建てられた本殿は、平安時代様式の流れ造りの神殿であった。

明治四年の国家神道の布告で祭神を天照大神とし、若宮神社と命名して海神社に属した。

また、次のようにも言われております。
この西名地区も、縄文時代の主要食物であったドングリのなるウバメガシなど照葉樹が残されており、周辺から当時の土器・石器が出土しているので、この付近に縄文人が住んでいたと思はれる。

この西名の北方「高塚山」には、5世紀頃の古墳が多数発見され、神社の北側の斜面には、この時代に土器を焼いたと考えられる原始登り窯である「穴釜」跡らしきものが残っており、この頃が若宮神社の創始であろうとされています。

これらの時代、人々の信仰は、きびしい自然環境の中で子孫を残す事が、最大の願いであるので、「性器崇拝」が一般的だったそうです。

当社もそのひとつで、ご神体は男根の先端にわずかな原始彫刻を加えた自然石に、三個の丸型自然石を組み合わせた、「夫婦石」だそうです。       (神戸の神社、神戸新聞発行)

ご参考 :神戸市垂水区名谷町字押戸310     TEL078-707-0188 (海神社兼務社)
     地下鉄名谷駅 市バス12系統にて「堀割」 下車 北へ3分

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