神社巡り神戸、北区

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本社は、北区の北東端の生野地区の松や杉の鬱蒼たる森林の中に鎮座されております。

当社の創建については、次の通り伝えられているそうです。

当社は、往古「志り知社」と称して、天児屋根命・経津主命を祭祀し、氏子の長者が神主となって奉仕してきた。

その後、敏達天皇の御宇、聖徳太子がこの地に行啓あって、独鈷山、適射寺を創立し、「志り知社」の別当となる。

延宝元年(1673)のころより、「志り知村」の文字を改めて、「塩生野村」と書き、元禄の頃(1688〜)より塩の字を省き、生野村となる。

また、「志り知社」を春日神社と改称した。

境内の拝殿の右に、 天照皇大神 を祭神とする末社、 神明神社 が往古より鎮座されております。
この神明神社の社殿前の 灯籠 には、 享保十七年六月の刻銘 があります。

当社から少し南に、摂津名所の 百丈岩鎌倉峡 どがあります。

ご参考 :神戸市北区道場町生野字宮ノ浦882     TEL078-985-2863 塩田八幡宮兼務
     神戸電鉄 道場駅  西へ徒歩5分

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本宮は、北区の北東端、道場町、塩田地区の三田市との境界近くに鎮座されております。

創建の年月については不詳ですが、ご由緒によりますと、

この地を、塩田の庄と総称する以前の創建で、大同年間(806〜)には、すでに御年神を奉祀する大歳神社として、存在していたそうです。

その後に、京都石清水八幡宮より、八幡三神の御霊を勧請、合祀し石清水八幡宮の別宮、塩田八幡神社と称せられた。

この地は、七十四代鳥羽天皇(1103〜56)の院政期、后妃の庄園ともなったが、保元三年(1158)には、石清水八幡宮、宿院極楽寺領の庄園となり、神宮寺としての体裁をなしたとされています。

境内拝殿の右には、 「桧」「山もも」 が根元で結合した、 樹齢450年以上 とされる ご神木 あります。

また、手水舎の隣に、 「御神水」 の水汲み場があります。説明書きに 「いただく人の心掛け次第で、不思議な働きをします」 とありました。 アトピー症状に効くようです。

画像の追加です。

下の2枚の写真は「夏祭り万灯祭」の様子です。(当社のHPから引用させて頂きました。)


ご参考 :神戸市道場町塩田字八幡3238    TEL078-986-2863
     JR宝塚線 道場駅 
     神戸電鉄 神鉄道場駅 共に 徒歩20分

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本社は、北区、山田町北西にある「 丹生山」 (514m)の 頂上に鎮座 されております。

創建については、 仏教伝来以前 に起源を持つと云われる 古社 だそうです。

県道の丹生神社前バス停留所の所の一の鳥居から丹生山頂上に向け約2時間登ると、丹生神社の境内に着きます。
途中、山深い樹林帯を通り、石仏、五輪塔などの立ち並ぶわき道を登りますが、ちょっとした低山登山の気分が味わえます。

山頂の境内には、以前、 丹生寺(明要寺) があったが、今では 丹生神社 だけが残っている。

明要寺は、欽明天皇三年(552)、百済の聖明王の太子、恵(けい、僧名を童男行者という)が創建したと伝えられ、童男行者に代表される、朝鮮半島からの先進文化と技術を携えた渡来人たちが、丹生山田に定着した事を示唆しています。

一方、丹生神社は、古代から 丹生氏の氏神 として、 丹生都比売命 (にうゆひめのみこと)が祀られていました。

この丹生都比売命について、播磨風土記逸文明石郡の部に次のように記されております。
神功皇后が新羅へ出兵の際、丹生山田の丹生都比売から悪霊を追い払う丹土(あかつち)をもらい、すべてを真っ赤に塗って出かけ無事に帰った。
それを謝して丹生都比売を紀伊国、管川の藤代の峰に鎮め祀ったという。

当時、赤色は魔除けの力があるとされていました。 丹土 (あかつち)は、辰砂(しんしゃ、水銀の原鉱)をさすのが一般的で、丹生山田は 水銀の産地 であった可能性が強いとされています。

平清盛が、福原遷都を計画した時には、この丹生寺を近江の日吉神社になぞらえて、日吉山王権現を祭って月参りをしたという。
当時、この山には多数の僧兵がいて、多くの堂塔があり栄えていました。

しかし、天正七年(1579)に、この寺が三木城主に味方したため、秀吉に攻められ堂塔は焼かれたそうです。

ご参考 :神戸市北区山田町坂本字丹生山384
     神戸電鉄 箕谷駅 市バス 衝原行 丹生神社前下車 北へ 徒歩2時間

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本社は、北区、山田町の中央、下谷上地区の神戸電鉄、箕谷駅の裏山に鎮座されております。

創建については、次の様に伝えられております。

いまから355年前の、慶安五年(1652)に京都府の大原神社を勧請し、同年二月五日に寿福寺住職真賢が開眼し、以来、箕谷の辻宮として村人に崇敬されてきたそうです。

境内社の白龍大明神は、商業にご利益があるとして、近隣からの参拝者多いようです。

この地区の山にはクヌギが多く、クヌギの葉を食べて育つ 「山繭(やままゆ)」 が見られます。

今の時期では、さなぎは羽化しており、「まゆ」の色も 美しい淡い緑色から、黄色く変色 しております。

枯 く ぬ ぎ  山 繭 の 殻  残 る ま ま     NORI


ご参考 :神戸市北区山田町下谷上字五池谷83−1
     神戸電鉄 箕谷駅 すぐ裏 徒歩2分
    

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本社は、北区の最西端、西区との境界近くの、小河(おうご)地区に鎮座されております。

創建は不詳ですが、明治六年に村社に列せられております。

社殿の前にある 石灯籠 には、 元禄三年 (1690)九月の刻銘があり、したがってそれ以前の創建と思われます。

社殿は茅葺にトタンで覆われた鞘社に、 杮葺き流造りの本殿 が納められています。

当社にも農村歌舞伎舞台があり、昭和30年頃まで地元の青年団による芝居が行われていたそうです。

祭礼は、1月3日に引目祭(弓引神事)が斎行されますが、内容は他社と同じ内容です。

この弓引き神事の他に、当社 独特の行事 として、 豊作祈願の神事 があります。

それは、その年の天候や、種々の条件があるからと言って、逃げ腰になる神に、無理にでも豊作を頼むと村人達が、大きな榊を持って、社殿を叩きながら廻りますが、その頼み方が、丁度子供が親に駄々をこねるような仕ぐさをする、古くからの形を残した、素朴な行事だそうです。

境内社は、皇大神宮(天照大神)、出雲大社(大国主命)が祀られております。

ご参考 :神戸市北区山田町小河字向山24
     神戸電鉄 木津駅 北東へ 徒歩15分

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