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JR垂水駅から西に700mほどの所に、明石海峡を眼下にした丘陵地に、県下最大の前方後円墳である 五色塚古墳 (ごしきつかこふん)があります。
四世紀から五世紀 にかけてつくられたといわれていますが、墓の主が誰であるかは不明です。
ただ瀬戸内海の海上交通の重要地点である明石海峡を望む高台につくられていることから、神戸の西部から隣の明石にかけて相当大きな力をもっていた 豪族の墓 ではないかと推察されています。古墳の大きさは、全長194m、高さは前方部11.5m、後円部18mで、3段に築かれ周囲には空堀をめぐらしています。 斜面には、大・小の石で葺いてあり、石の総数は223万個、総重量は約2784tonと推定されています。 これらの葺き石は、淡路島の東側の海岸で産出するものであることが分析の結果解ったそうです。 各段の平坦面と頂上には、 ヒレ付円筒埴輪 が立て並べられており、4〜6本に1本の割合で、 ヒレ付朝顔形埴輪 がたてられていました。 これらの埴輪は10mに18本の割合で立てられており、全体で 2200本 ものあり、別名 千壺古墳 とも言われております。 この古墳の規模は、同じ時期のもので比べると、奈良県北部の大王墓(佐紀古墳群)と肩を並べる大きさでそうです。
(写真ー1は神戸市の絵葉書です)
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神戸の史跡
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JR神戸駅より北へ2km 祇園神社 より東へ50mほどの所に、平家の供養塔と、勝海舟の寓居跡があります。 文久3年(1863)将軍家持が順動丸で摂津海岸を巡視した時、随行していた勝海舟が海防の必要性を説き、神戸村に海軍操練所の開設の内諾を得て、塾生は諸藩の俊英200名程集まり、塾長には土佐藩脱藩浪士坂本竜馬を任命し発足しました。 寓居は、神戸村の庄屋生島四郎太夫の配慮で、平野の祇園神社の東50mに位置する生島の別荘が提供され、乗馬で操練所まで通っていた。 幾度となく坂本竜馬が来訪したと伝わっております。『平野の街あっちこっち』郷土史家、前田章賀氏より抜粋。 |

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JR兵庫駅から、東へ600mほどのところの、能福寺の境内に鎮座されています。 |

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JR兵庫駅から東南に700mのところに清盛塚と琵琶塚があります。 |




