神社巡り神戸、西区

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田中八柱神社(たなかはちゅうじんじゃ)のご紹介です


本社は、西区、玉津町の北端の田中地区の住宅に囲まれた中に鎮座されております。

この田中地区は、昔は沼地だったそうですが、25・6戸の村落が永い歳月をかけて開拓した土地で、地域では最も早い荘園(自懇地系荘園)であったそうです。

当社の創建は、天文二十三年(1554)九月二十八日と伝えられ、すぐ東の平野八幡神社の摂社として、勧請され、この田中の鎮守社となったそうです。

八社のご祭神は、 

八幡大神、天照皇大神、春日大神、天満大神、加茂大神、熊野大神、厳島大神、猿田彦大神、とされています。

境内の入り口には、灯籠(菊花紋章入り大神宮常夜灯)があり、明和五年(1768)正月の刻銘があります。また、台座には多数の盃状穴があります。

この灯籠は、氏子の交代で毎夜、点灯されております。
そのための、守小屋が造られており、風雨の強い日も、小屋の中からローソクに点灯できるようになっています。

手水鉢は、中が扇状になっていて、上面には浅い盃状穴が彫られております。

社殿は昭和六十一年一月に火災で全焼し、新しく平成九年十一月に再建されております。


ご参考 :神戸市西区玉津町田中字城ヶ市477
     JR明石駅 神姫バス 西神中央駅行き 玉津インター前下車 西北5分

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= 皇大神社(こうたいじんじゃ)のご紹介です。 =


本社は、西区、平野町の北部、常本地区の南端、田園の中に鎮座されております。

側面には県道平野三木線(83)が走っており、周辺には民家がありません。

地元では、当社を「御神山(ごうしんさん)」と呼ばれていて、皇大神社では通じ無い人もおられます。

当社の創建は不詳ですが、境内の奥の古灯籠には、寛政五年(1793)三月の刻銘があり、

これ以前の創建と思われます。

境内は県道におされた形で三角形で狭く、社殿もこじんまりとしていますが、十月六日の秋祭りには、
常本地区の自治会により、盛大に斎行されております。

特に、三枚重ねのフトン太鼓屋台が引き出され、常本地区と神社を行き来し、境内では、おはやし、しめ太鼓などの行事が繰り広げられる等があります。

境内の白色鳥居は、平成六年十一月、伊勢講の奉納とあり、氏子15戸で講が組織されており、3戸ごとの当番制がとられており、維持管理がされているようです。

境内社には、大神社、若宮社が祀られております。


ご参考 :神戸市西区平野町西戸田字石塚521
     JR明石駅 神姫バス 三木行き 平野橋下車 東に10分

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竃神社(かまどじんじゃ)のご紹介です


本社は、西区、神出町南地区の高台に鎮座されております。

当社は別名荒神といい、三宝荒神で日常火を使うところに祀られる神で、竃(かまど)の神、窯の神で在ると共に、農作物の守護神でもあるそうです。

この地には、土師器(はじき)と云う赤色の素焼き土器を焼く窯と、須恵器(すえき)土器を焼く登り窯があったそうで、火の神、窯の神として祀られたそうです。

当社の創建は不詳ですが、拝殿の前に保存されている灯籠には、寛政六年(1794)の刻銘があり、

それ以前の創建と思われます。

境内入り口の灯籠は文久三年(1863)の刻銘があり、台石には、多数のは盃状穴があります。

この境内にも、色々の「つゆ茸」が出ています。

ご参考 :神戸市西区神出町南366
     市営地下鉄 西神中央駅 神姫バス 大久保行き 南下下車 南に10分

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蘇民神社(そみんじんじゃ)のご紹介です



本社は、西区、神出町、田井地区の国道175号沿いに鎮座されております。

当社の創建は不詳ですが、ご祭神である「蘇民将来(そみんしょうらい)」は茅の輪の起源について、

神代の昔、武塔神(素盞鳴尊)が求婚の旅の途中に、蘇民将来と巨旦将来の兄弟に宿を求めたところ、

弟の巨旦将来は裕福な身でありながら宿を拒んだが、兄の蘇民将来は貧しい身でありながら、尊を

お泊めし、歓待した。

翌朝、素盞鳴尊は「この地に疫病が流行するが、その時茅の輪を腰に付け、蘇民将来の子孫であると

告げれば、疫病は免れるであろう」と告げて、旅立たれた。

お告げの通り、疫病が大流行となり、弟の巨旦将来一族は滅んでしまったが、蘇民将来の一族は無事

であったと伝えられたそうです。

この伝えにより、蘇民将来と書いて門口に張れば、災厄を免れるという信仰が生じたそうです。

また、祓いの神事に茅の輪を作ってこれをくぐり越えるようになったといわれています。


当社は、天王山に在ったが、向所の古老が、当地に勧請、邪の守護神としていたが、明治二十六年に

田井村の守護神として現在地に奉遷されたそうです。

平成十三年十月に社殿の修復と、狛犬、手水鉢などの奉納がされています。

境内の隅には、古い手水鉢が保存されていますが、形状が三角で上面には盃状穴があるなど、珍しいものです。


ご参考 :神戸市西区神出町田井1299
     JR明石駅 神姫バス 三木行き 北古口 下車 北にすぐ。

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池下(いけした)大歳神社(おおとしじんじゃ)のご紹介です。



本社は、西区、神出町、紫合(ゆうだ)地区の池下の田圃の中に鎮座されております。

当社は、この地の開拓前の延宝六年(1678)一月に、五穀豊穣と、村内安全を

願って祀られたと伝えられております。


この地も明石藩藩主松平直明による開拓地で、この地に住民を移して、新田組と称したそうで、住民達は

互いに助け合い、ことに冠婚葬祭を集落田にて助け合ったことから、「紫合(ゆうだ)」という地名にな

ったとされています。


境内社の「春藤大明神」は、この地の開拓に功績のあった、明石藩重臣、須藤重太夫が祀られております。


ご参考 :神戸市西区神出町紫合539
     市営地下鉄 西神中央駅 神姫バス 加古川行き 新々田 下車 南10分

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