神社巡り、西宮市

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西宮市の神社の全てを参拝させて頂きました。

西宮市には、宗教法人格(神社庁登録)は32社、その他・境外摂・末社18社で、合計50社あります。 (企業内社としての稲荷社とか、邸内社は含めておりません。)

この中で、40社を昨年12月より当ブログでご紹介させて頂きましたが、残る10社をまとめて簡単にご紹介させて戴きます。
 

高 木 熊 野 神 社    高木東町 31−31


御祭神、イザナミ命・誉田別命・火之迦具土命

創建は不詳ですが、元禄五年(1692)に、この宮、古来より鎮まるとあり、かなりの古社といわれております。
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木 之 元 八 幡 神 社    名塩木之元


 御祭神  応仁天皇
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若 宮 神 社 (高座神社)  高座町181  廣田神社境外摂社


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武 甕 槌 神 社      広田町61    廣田神社境外末社


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風 神 社           広田字中畑26  廣田神社境外末社



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塞 神 社          奥畑136     廣田神社境外末社



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須 左 之 男 神 社    中須佐町69    廣田神社境外末社



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苦 楽 園 神 社      苦楽園二番町    越木岩神社境外末社


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柏 堂 神 社         柏堂西町


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白 髭 神 社        南甲子園二丁目11

鳴尾八幡神社に合祀された「砂浜神社」の境内社で、この地に残されて、何度の再建されて、地区の皆様がお祭されています。

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以上で西宮市の神社(宗教法人社[神社庁登録]:32社、その他:18社、合計50社)の全てをご紹介させて戴きました。

ご訪問頂きました皆様方には、最後まで読んで戴き感謝に堪えません。

また多くの方々にコメントをいただき、大変いい勉強をさせて戴きました。

厚くお礼申し上げます。

次は、宝塚市の神社巡りと史跡などのご紹介をさせて頂きます


なにとぞよろしくお願い申し上げます。

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西宮市、東鳴尾皇太神社(ひがしなるおこうたいじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地

当神社は、西宮市の東の端、武庫川沿いで海岸近くの東鳴尾町の住宅地の中に鎮座されております。


御  由  緒

当社の由緒について、境内の案内板に書かれていますが、つぎの様に伝えられています。
当神社の創建は不詳ですが、伝えに依ると、元禄四年(1691)三月、徳川綱吉公が当地の領主に命じて勧請されたそうで、それ以来代々当村民は鎮祭し、当地の守護神とされてきました。

寛政十一年(1799)九月に再建されるも、昭和二十年(1945)、戦災にて焼失しました。

昭和三十三年(1958)十二月二十三日に再建され、社名を東鳴尾皇太神社変更されました。


吉井貞俊氏の著書 「西宮芦屋の杜(もり)」の中の当社の紹介文に次のような一節があります。
武庫川沿いに皇太神社へ歩いてみる。

校庭の一隅でゲートボールをしている人たちを見て、あるドイツ人が語った言葉を思い出した。

「私は戦争に敗れた日本を一層尊敬しています。
心ある外国人は敗戦によって日本の本当の良さを知りました。そのうちの二つを申します。

一つは戦争の敗け方の奇跡的な鮮やかさです。

敗戦の混乱の中に国論を一つにまとめ、一つの方向に指導することは、不可能に近く、世界的に見てもその例がないのに、日本の場合、全国民の思想を一瞬にして転換せしめたその不思議な力は昭和天皇のご放送でありました。

この天皇と国民と自ら意識すると否とに関らず、客観的にはただ真に偉大という他ありません。

これこそ日本の輝かしい歴史に培われた立派な国民性の実証と思います。

もう一つは、敗戦後、その元首は世界的常識からすれば、亡命するか、それ以上の悲劇に遭遇するのが普通です。

ところが日本では亡命どころか、天皇自ら丸腰の無防備で日本全国を巡られた。

そしてその時、誰一人危害を加える者もなく、熱狂的に日の丸を振ってお迎えし、国民のほうから天皇をお慰めしました。

このような事は世界の歴史にどこにもない。

これは日本の歴史の中に培われた精神的な豊かさ、根強さ、偉大さにほかありません。


ニセアカシヤ  別名 ハリエンジュ (針槐)


武庫川の堤防には、ニセアカシアが咲き乱れています。

北米原産の木ですが、明治の中頃に砂防用に土手や崩壊地、川の堤防などに植えられ、それが野生化したものです。

甘い香りのする白花を枝いっぱいに咲かせていますが、この花からは良質のハチミツが採れるそうです。

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西宮市、小曽根(こそね)白山姫神社(しろやまひめじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地

西宮市の東端、尼崎市との境界である武庫川の西岸沿いの小曾根町に鎮座されております。

境内は榎木と楠の大木で覆われています。

御  由  緒

兵庫県神社誌によると、「当神社の創建は不詳、明治六年八月村社に列せられる。」とあります。

祭神は、白山姫尊とありますが、本名は、「菊理姫尊(くくりひめのみこと)」のことで、水の神様とされています。

また、姫神はすべてを清く、くくり合わせ結びつける神徳をもっておられるとのことで、古典にもイザナギの尊がミソギをされたときに出現されたさまが物語られているそうです。

社  殿

当社は、昭和43年に本殿、幣殿、拝殿共に全面的にコンクリートで新築されました。

御本殿はコンクリートの覆い屋となっており、内部に杮葺き一間流造りの御本殿が納まっています。

阪神淡路大震災では、幸いにも倒壊は免れています。

石 鳥 居

境内の石鳥居は、震災で倒壊はせず、右柱のみが傾きました。

修復の際に、笠木の裏に奉納年代の刻銘があるのに皆さんが初めて気付いたそうです。

他の神社では柱に刻銘があるのが普通のようです。

彩色の木彫り狛犬

本殿の前には彩色された木彫りの狛犬がありますが、この台座の内側には、明治十一年四月十二日に元庄屋の方の奉納と記載されています。

舟の模型が奉納

本殿の左側面に舟の模型が吊り下がっています。

何のための奉納かよく解かりませんが、舟の側面には「小曾村樋口○○次女××明治三十六年五月奉納」と書かれています。

これは、安産祈願の成就のお礼として奉納されたようです。

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西宮市、岡田神社(おかだじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地

当神社は、西宮市、門戸地区の岡田山の中央に鎮座されております。

この岡田山の全てが、神戸女学院のキャンパスで、大学、中等学部、高等学部があります。

当学校はミッションスクールで礼拝堂などがとりまく中に、当社が堂々と鎮座されております。


御  由  緒

当社の創建は不詳ですが、「延喜式」式内社に列する、武庫郡内四社、「廣田神社、名次神社、伊和志豆神社、岡田神社」の一社といわれています。

御祭神は神社誌では不詳となっていますが、廣田・西宮の社伝には、「天御中主命(あめのみかなぬしのみこと)」とされております。

現在は廣田神社の境外摂社となっています。


鎮 座 地 の 神 戸 女 学 院


北隣の関西学院大学と同じヴォーリズの設計によるスパニッシュ・ミッション・スタイル(南地中海様式)の優美な校舎は、淡いクリーム色の外壁と赤銅色の瓦が特徴的で、周囲の緑とうまく調和されています。
この森には多くの自然が保たれ、数々の野鳥が生息しています。

また、国土交通省近畿地方整備局は神戸女学院大学キャンパスを阪神間モダニズムにおけるヴォーリス設計事務所の代表作として紹介されています。

何よりも、当女学生の参拝が微笑ましく感じられました。


ご参考 :西宮市岡田山4−1  (鎮座地地目 66番地)
     阪急今津線 門戸厄神駅 西に500m

    注、(参拝には、事前に有印文書による許可申請を要します。)

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西宮市、鳴尾(なるお)八幡神社(はちまんじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地

当神社は、西宮市の南東部、鳴尾地区、上鳴尾町の民家の中に鎮座されております。

参道入り口の大鳥居の直前には、阪神電鉄が走っていますが、これより約200mほど進んだところに社殿となっています。

御  由  緒

当社の創建は、神社伝承によると、「文安(ぶんあん)年代(1444〜1448)に創建される」とあり、兵庫県神社誌には「由緒、創立年月不詳なれども鎮座地の鳴尾本郷は文明年代(1469〜1488)既に人烟盛(じんえんさかん)なる処なれば当村の創立も其以前の事なるべし。其後、本村七箇村一郷の鎮守と仰ぐ。
降って有栖川宮家は、累世当社を崇敬せられ、度々幣帛及び御歌の御寄進あり。
近くは慶応三年(1867)有栖川宮熾仁親王は御染筆の八幡宮の扁額及び白銀拾枚を奉献せられた」とあります。
明治六年八月に村社に列せられました。

社  殿

社殿は、文化八年(1811)に再建された瓦葺拝殿に、檜皮葺(ひわだぶき)三社春日造りです。本殿は当時近郊においては珍しい様式でしたが、惜しくも平成七年の阪神大震災でほぼ全壊してしまいました。
その後、平成12年3月に再建復興され、新しい社殿となりました。
又、拝殿の八幡宮の扁額も社殿倒壊の際に破損したため、現在のものは復元されたものです。

砂浜神社碑 (文房四神碑)

立て札には次の様に書かれています。
四神とは、筆、墨、硯、紙、の四柱の意味で、本町辰馬の辰馬主計が元文四年(1739)、現在の南甲子園地区一帯、約拾町歩を鳴尾村から譲りうけて開墾したのが砂浜新田で、主計は大阪町奉行の許可を得て新田の鎮守の神として天照大神を勧請し、砂浜神社と称しました。

大阪の画家、大岡春トをはじめ全国より文人墨客が集い、いつしか、文房、学問の神と伝承される。

大正元年十一月、碑と共に当八幡神社に合祀されました。

この建碑の趣旨を今に生かされるように、当社の田中穂積宮司は、書、画、陶器の個展を毎年欠かさずに、神戸・大阪などで開催されておられます。(参考:今年の作品展↓)

秋 祭 り で は 阪 神 電 車 も 止 ま る

当社の参道は以前は海岸(現阪神パーク近く)まで続いていたそうで、毎年、夏祭りは、7月9日、秋例祭は、10月20日に行われています。
阪神電鉄が開通したころの秋祭りでは、神輿、太鼓などが、神社の前の踏切を渡るとき、数十分にわたって電車を止めたそうです。

現在のように電車が高速になって、電車が通過するのを人が待つというのが常識となっているのを思えば、なんとも悠長な時代が思い起こせる実話です。(最初の写真)


ご参考1. :西宮市上鳴尾町14−21
       阪神電鉄 甲子園駅 東に400m 5分


ご参考2.   第34回  田 中 穂 積 作 品 展 (書、画、陶器、他)
    
        5月22日(木) 〜 27日(火) 午前11時より午後7時
    
      会 場 : ギャラリー アライ 西宮市甲子園6番町14-2 TEL0798-42-2263
 




      

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