神社巡り、西宮市

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西宮市、門戸天神社(もんとてんじんしゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地

当神社は、西宮市の北東、宝塚市の境界に近い、上甲東園の高台(天神山)に鎮座されております。

西には、西宮高校、甲陵中学、南には神戸女学院大学などが建ち並ぶ、いわば学園都市とも言えるこの地に、学問の神様である、菅原道真公をお祀りする天神社が鎮座されていることはまさにその意を得たりとおもわれます。

御  由  緒

兵庫県神社誌には、「創立年月不詳。明治六年八月に村社に列せられる」また、御祭神は、手間天神(てまのあまつのかみ)と記載されております。
この手間天神(てまのあまつのかみ)は、別名、少彦名命(すくなひこなのみこと)で 、永延元年(987)に一条天皇の令で菅原道真公が天満天神として祭祀されることになる以前の祭神とされています。

したがって当社の創建はこれ以前とも考えられます。

盛 砂(もりすな)

当社の社殿の前には盛砂があります。

盛砂で有名なのは京都の「上賀茂神社」と「宇治上神社」です。

上賀茂神社は盛砂(立砂)が注連囲いされていて、神が降臨されるとされております。

宇治上神社の盛砂は拝殿の前にあり、この間を通る時に清められるとされています。

ところが当社の砂盛の起源は、昔、秋祭りの始まる前、10月10日に武庫川・仁川から砂運びをする、
「砂持ち」行事がありました。

武庫川から牛車で運んだ砂を、多くの若者が皿篭(さらかご)で担いで百段階段を上がる、力自慢の行事で、持ち上がった砂は、境内に敷きつめられ、また拝殿の前に一対の盛砂が作られ、豊作を祝う神事のお清めとされました。

二番目に古いとされる、石鳥居

境内の立て札には、当社の石鳥居が西宮市で二番目に古いと書かれていますが、残念ながら大震災で崩壊し、境内に残骸が残っています。


ご参考 :西宮市上甲東園一丁目2−14
     阪急今津線 甲東園駅 西に300m 4分

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西宮市、今津浜(いまづはま)恵比須神社(えびすじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地

当神社は、今津港の「大関今津燈台」より、500mほど入った所の、甲子園六湛寺線沿いに鎮座されております。

当社の由来について

当神社の境内には、奉賛会によって、由来などが書かれていますが、それを簡略しますと、次の様に言われております。


恵 比 須 神 社 由 来 記

この地に鎮座される今津浜恵比須神社は古い昔から霊験あらたかな蛭児大神であると伝えられています。

その由来は、淡路島の津名一ノ宮の浜辺より、伊弉諾尊と伊弉冊尊よりお生まれの蛭児を、アメノイワクズブネに乗せ海辺に放された。

蛭児の神は海の神となるべく修行をされ、人々に漁法や商法を教導されるため、アメノイワクズブネを今津浦の浜辺に着かれ、「輿(こし)」にて西宮神社本宮に入られる途中休息された所が、当社の蛭児大神、神輿屋伝説の地とされています。

そして代々の漁民の長が祭事を司ってきました。

境内の舟形の手水鉢は昔から強風、高波に遭い砂浜に埋れたりしてもいつしか戻ってきたとか古老の不思議な話があったりします。

また、体の病めるところを、この手水鉢につけて擦ると痛みが治まり、病も自然に治ると信じられてきました。

この船形の手水鉢がアメノイワクズブネになぞらえて奉納されていることから、この地が蛭児大神の着かれた地であることが言われています。

鳥居に掲げられている社額の「恵比須(えびす)」は、元は「蛭子(えびす)」であったといわれております。

その由来は、天保の飢饉のあと慶応元年の武庫川決壊で田畑・家屋が流失し、貧困餓死が続出する中、この今津浜に砲台の建設が始まり、用石とか土の運搬に男女を問わずの人夫使役の仕事が舞い込みました。

このことは、神のお助け・お恵みと「お台場の土運び、向こうで飯(まま)食って二百と五十 ありがたい ありがたい」とお蔭歌がうたわれるほどでした。

めぐみ(恵)、くらべる(比)、すべからく(須)、

他に、くらべものに、ならない、めぐみを、すべての人々に与えてくださった恵比須さまのご神徳を表わしたとされています。

当社の祭礼は、古来より、六月五日、九月十六日とされ、今も続けて斎行されているそうです。


ご参考 :西宮市今津久寿川町11
     阪神電鉄 久寿川駅 南へ500m  巽バス停スグ 

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西宮市、名次神社(なつぎじんじゃ)のご紹介です。

御 鎮 座 地

当神社は、西宮市の西部、名次町の名次山の北端に鎮座されております。
西には桜の名所、夙川(しゅくがわ)が流れ、東には「ニテコ池」を挟んで廣田神社の森が展望できる風光明媚な所です。

万葉集にも、「吾が妹子に稲名野は見せつ名次山角の松原いつか止さむ」と高市連黒人によって詠まれ、名勝地として名高かったそうです。
かっては名次町全体が境内地でこの名次山の中央に鎮座していましたが、明治四十一年に北端の現在地に遷座したそうです。

広大な景勝地、名次山は現在某電器メーカー創業者の邸宅となっております。

御  由  緒

説明の立て札には次の通り記されております。
古来より衣食住に殊の他関係深い「水分神(みくまりのかみ)」を奉斎すると特に
雨乞いに霊験あらたかなる社であります。

御創立の年代は詳らかではありませんが、第56代清和天皇貞観元年(859)正月
正五位下の神階を授けられ、同年九月八日風雨御祈りのため、勅使を参向せられ幣帛
を奉られおります。

第60代醍醐天皇の延喜の制大社に列せられ、月次・新嘗及び祈雨の幣帛を奉られお
ります。

社殿右隣に石祠があり、その背面に「上総国浦々、西宮講中、正徳五乙未歳正月吉日」と
刻銘があります。

これは、この時代に上総の国(千葉県房総半島)九十九里浜に西宮から遠洋出漁してその地に定住した人々が故郷に石祠を献上したことを表わしております。

 ニ テ コ 池

当社の東側には南北に連なった、三つの池がありこれをニテコ池と呼んでいます。

この地は大阪層群の土である真土(まつち)と真砂(ますな)が採れ、西宮神社の「大錬塀」(国重文)に使用されたそうです。

大錬塀を造るときに掘られた跡が池となったのですが、ニテコの名称は、土を運ぶ人たちの「ネッテコイ、ネッテコイ」と云う掛け声が「ニテコ」になったとも言われております。


ご参考 :西宮市名次町5  (廣田神社 境外摂社)
     阪急甲陽線 苦楽園口 東へ 5分

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西宮市、名塩八幡神社(なじおはちまんじんじゃ)のご紹介です。


御 鎮 座 地

当神社は、西宮市の北部、山口町の東隣の塩瀬町名塩(なじお)地区の小高い山に鎮座されております。

当神社は北向きですが、前の山には古刹「教行寺」があり、同寺の守護神として祀られたとされています。

また当社の下には、この地区の中央を縦走する国道176号線があり、大阪から三田市に抜ける主要幹線ですが、当地区の民家の中でしばしば混雑するために、当神社の真下をトンネルをで抜ける工事が近ぢか始まるそうで、氏子の方々は懸念をお持ちの様子でした。

御  由  緒

当社の創建は不詳ですが、寛政六年(1794)の「摂津名所図絵」に次の通りの記載があります。
祭神、山州男山よりの勧請也、此の地の産土神とす。

御祭神は石清水八幡宮より勧請されたとされております。

岩倉具視(いわくらともみ)の石灯籠

本殿の前両脇に、「従一位勲一等岩倉具視」奉納の石灯籠があります。
明細帳には次の通り書かれております。
古来堂上精華の崇敬浅からず岩倉公 しばしば祈願あり、白鳩三羽 源家紋章附き御幕一張 提灯一対

を献ぜられしほか、明治十一年社殿改築の際 公爵岩倉具視 先前の故をもって石燈籠一対、提灯を

献上さる。

また、教行寺の十世摂観と、岩倉氏は姻戚関係があり、岩倉具視とも親交あったので、十世摂観の懇請があったともいわれています。

岩倉具視は五百円札の肖像でも知られています。

古 刹 教 行 寺

教行寺(浄土真宗・本願寺派)は、名塩の歴史そのものを物語る古刹で、名塩御坊とも呼ばれ、室町時代に蓮如上人によって創建されたお寺です。

蓮如上人はここから草深い山道や獣道を歩いて全国行脚の旅に出られたといわれています。

境内から前を眺めると、当山の鎮守神とされる、八幡神社の広い鎮守の森の中に鳥居と社殿が見え隠れしております。


ご参考 :西宮市塩瀬町名塩2380
     JR西宮名塩駅  西に15分

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西宮市山口町、名来神社(ならいじんじゃ)と上山口稲荷神社のご紹介です。


山口町の神社はこの二社で終わりです。当神社は、各地区の所謂地神をお祀りしていたもので、各々昭和の時代になって社殿並びに、境内整備が行われた神社で、神社庁登録外(無法人)の神社です。

名 来 神 社


当社は、西宮市山口町の北端、名来(ならい)地区に鎮座されております。

国道176号線と有馬川の流れる東側の小高い丘の上に、愛宕社と水神社があります。

創建は不詳です。もともと村人が地神としてお祀りしていたもので、昭和61年に社殿の建立と境内整備がなされました。

参道石段の両脇の灯籠は33基あり、この小さい名来地区の人々の信仰の篤さが窺えます。

この名来地区には、百数十年以前から伝わる神楽があり、一時青年会の衰退により中止していましたが、昭和57年に名来消防団有志によって「名来(ならい)神楽舞曲奉納会」が結成され復活しました。

現在は「山口町古文化保存会・神楽舞曲育成部会」として、当神社での奉納のほか、各地の催し等に参加しているそうです。

社殿の周辺には、きれいな椿が咲き誇っていました。特に、ピンクの椿がバラのような美しさでした。


上 山 口 稲 荷 神 社

当神社は、山口町の上山口地区の田圃の中にポツンと鎮座されております。

当社の由緒ははっきりせず、色々の説があります。

近くに十王堂橋と云う名前の橋があることから。かなり昔からここにはお堂があったようでもあります。

社額に秀吉大明神とありますが、秀吉との関係は解からないようです。

現在は上山口の自治会で管理運営がされております。


これで山口町の神社のご紹介が終わりました。次回は隣町、塩瀬町名塩八幡神社です。

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