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神社巡り、西宮市
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恵 比 須 神 社 由 来 記 この地に鎮座される今津浜恵比須神社は古い昔から霊験あらたかな蛭児大神であると伝えられています。 その由来は、淡路島の津名一ノ宮の浜辺より、伊弉諾尊と伊弉冊尊よりお生まれの蛭児を、アメノイワクズブネに乗せ海辺に放された。 蛭児の神は海の神となるべく修行をされ、人々に漁法や商法を教導されるため、アメノイワクズブネを今津浦の浜辺に着かれ、「輿(こし)」にて西宮神社本宮に入られる途中休息された所が、当社の蛭児大神、神輿屋伝説の地とされています。 そして代々の漁民の長が祭事を司ってきました。 境内の舟形の手水鉢は昔から強風、高波に遭い砂浜に埋れたりしてもいつしか戻ってきたとか古老の不思議な話があったりします。 また、体の病めるところを、この手水鉢につけて擦ると痛みが治まり、病も自然に治ると信じられてきました。 この船形の手水鉢がアメノイワクズブネになぞらえて奉納されていることから、この地が蛭児大神の着かれた地であることが言われています。 鳥居に掲げられている社額の「恵比須(えびす)」は、元は「蛭子(えびす)」であったといわれております。 その由来は、天保の飢饉のあと慶応元年の武庫川決壊で田畑・家屋が流失し、貧困餓死が続出する中、この今津浜に砲台の建設が始まり、用石とか土の運搬に男女を問わずの人夫使役の仕事が舞い込みました。 このことは、神のお助け・お恵みと「お台場の土運び、向こうで飯(まま)食って二百と五十 ありがたい ありがたい」とお蔭歌がうたわれるほどでした。 めぐみ(恵)、くらべる(比)、すべからく(須)、 他に、くらべものに、ならない、めぐみを、すべての人々に与えてくださった恵比須さまのご神徳を表わしたとされています。 当社の祭礼は、古来より、六月五日、九月十六日とされ、今も続けて斎行されているそうです。 ご参考 :西宮市今津久寿川町11
阪神電鉄 久寿川駅 南へ500m 巽バス停スグ |

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山口町の神社はこの二社で終わりです。当神社は、各地区の所謂地神をお祀りしていたもので、各々昭和の時代になって社殿並びに、境内整備が行われた神社で、神社庁登録外(無法人)の神社です。 当社は、西宮市山口町の北端、名来(ならい)地区に鎮座されております。 国道176号線と有馬川の流れる東側の小高い丘の上に、愛宕社と水神社があります。 創建は不詳です。もともと村人が地神としてお祀りしていたもので、昭和61年に社殿の建立と境内整備がなされました。 参道石段の両脇の灯籠は33基あり、この小さい名来地区の人々の信仰の篤さが窺えます。 この名来地区には、百数十年以前から伝わる神楽があり、一時青年会の衰退により中止していましたが、昭和57年に名来消防団有志によって「名来(ならい)神楽舞曲奉納会」が結成され復活しました。 現在は「山口町古文化保存会・神楽舞曲育成部会」として、当神社での奉納のほか、各地の催し等に参加しているそうです。 社殿の周辺には、きれいな椿が咲き誇っていました。特に、ピンクの椿がバラのような美しさでした。 当社の由緒ははっきりせず、色々の説があります。 近くに十王堂橋と云う名前の橋があることから。かなり昔からここにはお堂があったようでもあります。 社額に秀吉大明神とありますが、秀吉との関係は解からないようです。 現在は上山口の自治会で管理運営がされております。 これで山口町の神社のご紹介が終わりました。次回は隣町、塩瀬町名塩八幡神社です。
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